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綾沙かへる
綾沙かへる
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君の隣で、夜が明ける。12

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真夜中に目を覚まして、隣に眠るあなたを見ている。
知らず、笑みが浮かんで、酷く優しくて暖かな気持ちが広がる。

だからそっと、その耳元で囁く。

ありがとう。





 ベッドの上で、膝に抱えた端末のキーが軽快な音を紡ぐ。時折躊躇うようにモニタを見つめて、途切れた音は再び響き始める。
 テラスに置いてあるプランターの手入れをしながら、それを見ていた。あまり長い時間目を使っていると、また疲れて眠ってしまう事が分かっていた。だから気を付けていないと無茶な態勢で寝入ってしまう時がある。
 真剣にモニタを見つめる姿に苦笑を零して、足元に小山を作っていた雑草を塵取りに集めた。
 何気なく見上げた空は、薄い水色をしている。作り物でも、季節は春から初夏に変更されていた。照りつける陽射しは強くとも、紫外線を殆ど含まないから上着を羽織る必要もない。プラント全域の居住区の気温が上げてあるだけで、少し身体を動かすと汗ばむ程度。
 泥まみれになった作業用の手袋を外して、手の届くところに置いてあったペットボトルを掴んだ。バケツに張った水が跳ねて、熱を持っていた指先に心地好い。
 「…さて、と」
 ボトルの中身を一口呷って、ディアッカは立ち上がる。
 家主に許可を得て株分けした菖蒲の様子を見に行くのが最近の日課になっていた。視線を向けた部屋の中では、キラが相変わらず真剣にモニタを見つめている。
 「…キラ」
 テラスの入り口に立って声を掛けると、手を止めて振り向いた。
 「どうしたの?」
 そう離れている訳でもないと言うのに、随分小さな声だった。
 「向こう、様子見てくる。あんま、根詰めるなよ…適当なところで終らせる事」
 いいな、と言うとキラは困ったように微笑って頷いた。
 それを確認して軽く手を振ると、纏めてあったガーデニング用品を抱えて裏庭へと足を運ぶ。
 軍を辞めて、大学に戻るには時期が中途半端だった所為もあって、自宅に戻る事もせずアスランの家に居候したまま過ぎていく時間。ゆっくりと流れていく時間は、まるで世界の中からそこだけ切り取られたように静かで、優しい。大抵はキラの傍にいて過ぎていく。記憶の片隅に追いやられていた講義内容を攫いながら、テキストを読んで復学するための論文を書く。時々、人手が足りないと言うアスランに引っ張られて基地に行き、雑用をする。父親に呼ばれて、月に一度は自宅にも戻る。その時に持って帰って来たのが菖蒲の花。その、大輪の花の色は、キラの瞳によく似ていた。
 株分けをする、と言うよりも、庭で草木の世話をすると言う事自体、初めてだった。たまたまテラスに置いてあったプランターの花が萎れているのを見つけて、水をやった事が始まり。なんとなく気になって毎日様子を見て、キラが好きだと言う花を選んで植えてみたり、自分で気に入った鉢植えを買い込んで来てみたり。そうしている内に、本格的にガーデニングを始めてしまった。
 キラが療養している部屋はテラスに面しているから、わざわざ切り花を飾らなくとも庭先が十分見えるし、華やかだった。それでも時々は近くに行きたい、と言い始める。
 いくら衰弱していると言っても、全く動けないわけでもないキラは、目を放すと庭に出てぼんやりしている事が多かった。それを見つけて連れ戻そうとした時に、キラが小さく呟いた言葉。
 「…花、少ないよね」
 緑の木々は多くても、途切れる事なく花を咲かせる木は少ない。家主の趣味なのか、単に手入れが面倒なだけなのかは分からないけれど、言われてみれば確かに緑は目に多く映っても花をつける木は殆ど見られなかった。玄関に面した庭先にはいつも花が咲いているのに比べると、奥まったテラスに面した庭はまるで林のようで。
 「…さあ…母が管理していたから、よくは知らない」
 苦笑を浮かべてアスランはそう言った。彼の母親は植物学者ではなかっただろうか。庭の片隅で見つけた小さな温室で、その名残が見られた。全く見たことのない不思議な植物が整然と並んだ温室は、主がいなくとも誰かがきちんと管理していたらしい。
 不思議に思いながらも、その温室の傍に菖蒲を植えた。半日ほど日が当り、裏手にある所為か土が適度に湿っている。この時期は毎日水をやらなくては良い花が咲かないらしい。
 鉢植えを増やし始めた頃、通って来る庭の管理者と顔見知りになった。その老人は、驚いた事にナチュラルだと言った。この邸の前当主は反ナチュラルの代表ではなかっただろうか。不思議に思って尋ねると、老人は昔話をするように目を細めた。
 「…こんな事になったが、パトリック様もまだ奥様がご健在の頃は誰にでも分け隔てなくお優しい方でした」
 以前の自分ならばともかく、現在は暇を持て余していたから、卓越した豊富な知識を長い年月の内に詰め込んで来た老人を素直に尊敬して教えを請い、ディアッカは庭弄りを始めた。
 他に取り立ててやる事があったわけでもなく、なによりもキラが花を付けた鉢植えを見て喜んでくれるから。
 それが、なによりも嬉しかったから。


 モニタに表示された文章を確認して、送信ボタンを選択する。障害なくそれが送信された事を確認して、キラは軽く溜息を吐いてマシンを畳んだ。それをベッドサイドのテーブルに退けると、柔らかなクッションに転がる。いつもよりも時間が長かった所為か、少しだけ目の前がくらくらした。
 それでも、たった今自分が送ったメールはとても大事なもので。その人にメールを送る時にはいつも緊張しているけれど、今回は特別だった。
 うとうとしかけた頃湿気を含んだ風が入ってきて、キラは雨の時間が近い事を知る。裏の様子を見てくると言ったディアッカはまだ戻らない。
 「…教えた方が良いのかな…」
 庭先に出ていると、あまり良い顔をしない事はよく知っていた。それでも、日に一度くらいは外に出たい、とキラは思っている。僅かに逡巡したキラは、ベッドの端に丸まっていた上着を羽織って庭に繋がるテラスに向かった。
 そこまで自然に似せる必要があるのか、とキラが時々疑問に思うほど、空の様子は精巧に作られている。投影された映像は、途切れている筈のところから曇り空になっていた。
 「…ディアッカ…?」
 呼んでみても、返事はない。テラスの端に揃えてあったサンダルを引っ掛けて、温室があるほうにゆっくりと歩き始める。
 この部屋に移ったとき、窓から見える景色は緑色だった。今は所々に他の色が入っている。何気なく花が少ない、とキラが呟いたら、ディアッカが植えてくれたもの。驚く程熱心に庭木の世話をするところも、キラは好きだった。
 傍にいる、と言った言葉通りに、ディアッカは余程の事がない限りキラの視界に入るところにいる。あまりに張り付いているから、キラが少し困ったように束縛したいわけじゃない、と言ったら、その人は可笑しそうに笑ってごめん、となぜか謝った。
 「オレが、いたいだけ。」
 その言葉は、とても嬉しかった。迷惑なら引っ込むけど、と言ったディアッカに慌ててそうじゃないからと首を振ったら、また笑われた。