OP 05
自ら剣を取った訳じゃない。
だから手放すことも簡単だった。
それなのに、それを必要としている。
今頃、それが必要になった。
一度は手放すことの出来たそれを
再び掴んでしまったら。
「…もう、戻れないけど、良いの?」
「君が、ディアッカ?」
その声は頭の上から唐突に降って来た。
「…アンタ誰?」
ラクスとの会話から、少し時間が流れた。その間、特に普段と変わらずに講義に出て、レポートを出し、休暇を過ごした。休暇と言っても実際は短いもので、そのほとんどを研修先で過ごしていたけれど。お陰で、同じコロニーの中にある実家に帰る暇もなかった。元より、規則正しい生活なんかないから、今更だ。
大学に併設された病院の食堂。ピークを過ぎているからか、人気は疎らだった。窓際の席で、資料に目を通しながらと言う余り行儀の良くない昼食を摂っていると、誰かが声を掛けて来た。
見上げると、まだ若い青年が微笑を湛えて立っていた。恐らく、自分よりは少し年上。白に近い程のプラチナブロンドに、黒曜石のような瞳をしたその青年は、失礼、と言って目の前に腰を落ちつける。
「…ふうん、こうして見ると丸っきり普通の学生だな」
居心地の悪い視線に晒されて、少し苛立つ。
「…なにか、ご用ですか」
そっけなくそう問い掛ける。まとっているのが白衣だったから、恐らくこの病院に勤務する医師だろうと辺りを付けて、なるべく波風が立たない様に、と気を付けたつもりだった。けれど、青年は面白いね、と呟いて、決定的な言葉を紡ぐ。
「いや、本当かなと思って。…元ザフト軍クルーゼ隊の紅服パイロット君?」
がちゃん、と乱暴に持っていたカップをソーサーに叩き付けた。公表もしていないけれど、別に隠している訳でもない。誰もが戦争中は、何らかの形でザフトに、戦争に加担していたのだから。それでも、その言葉に背筋が冷たくなっていく。
ラクスの言葉を聞いた後だから、余計に。
「…そうですけど」
辛うじて震える声を押さえつけて、ディアッカは答えを絞り出した。
「それが、なにか?」
その答えに青年は小さく笑う。
「へえ、否定しないんだ。けど、皮肉なもんだよね、パイロットって言ったら人殺し…」
その言葉は、更に向こうからディアッカを呼ぶ声で中断される。青年の肩ごしに視線を投げると、研修担当の医師が大きく手を振って近づいて来た。
「…邪魔が入っちゃったな」
また今度、と言って青年は素早く席を立つ。その遠ざかって良く背中を見送って、替わりに担当医が隣りに来ると、ディアッカは大きく息を吐いた。随分と緊張していたらしい。
「あれ、邪魔してしまったかな」
擦れ違う青年を見送って、初老の医師はそう言ったけれど、緩く首を振る。
「…いえ、実は助かりました」
苦笑を浮かべて顔を上げると、男性の隣りにどこかで見た顔があった。やはり白衣を着て、柔らかな笑みを浮かべる口許。ここに来てからではなくて、もっと前に。
「…こんにちは」
そう言った医師は、次いで久し振り、と続ける。
「…あ!」
思い出した。思わず席を立つ。
「アンタ、エターナルの!」
肯定の代わりに笑みを浮かべて、白衣の青年は静かに頷いた。
気を付けた方が良い、と少し険しい顔をして彼は言う。
「さっき、食堂で話してた彼。嫌な感じがするんだ」
担当医の研究室に場所を移すと、唐突にそう言った。
戦争終盤、あの艦の中で何度か世話になった医師は、やはり退役してこの病院に勤務しているのだと言った。軍にも病院はあるんだけどね、と少し寂しそうに微笑を浮かべて。
「いや、初対面です。いきなり、向こうから話掛けて来て。オレが、元パイロットだと知ってましたし…」
ディアッカの方が混乱しそうだった。退役したと言うわりに、この人は色々と知っているような気がする。
「頼まれて、少しだけ君を見張ってた。気を悪くしないでくれると有り難いんだけど」
誰の指示か、なんて簡単に想像がつく。曖昧に苦笑を零して構いません、とだけ言った。
「…どっちみち、避けられる事じゃないから、か…」
小さく呟くと、青年は緩く首を振る。
「君が危険だと言う事に変わりはないよ。だけど少し、遠ざかる事は出来るかも知れない。」
その言葉と共に差し出されたもの。クリップボードに止められた紙の束にさっと目を通すと、研修先の変更について、と題名がついていた。次いで、明記された研修先とやらは。
「…あの?」
良く知っているだろう、と言ったのは担当教授だ。
「いや、君は優秀だし、私も将来を楽しみにしていたんだがね。君のお父上と、クライン議長の連名では仕方がない」
残念だよ、と言ったその人は、それでも柔らかく笑みを浮かべていた。
「…ご迷惑をおかけして、すみません」
研修先が急に変更されたのは、ディアッカがここにいると他の誰かに危害が及ぶかも知れないからだ。それも良く分かっているし、随分と世話になったこの教授にとっても本当に心底そう思っているのだろう。だからそう言って頭を下げる。
「そう、心配する事もないと思うよ。君は何処に言っても上手くやって行けるだろうし、ね」
そう言ってくすくす小さく笑っていた青年は茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。それに、と続ける。
「お父さんのところにいた方が、情報も手に入り易いだろう?」
「…なんで…?」
眠い目を擦りながら、モニタを睨み続ける日が続いていた。原因が解らなくて、なんとか外に向かう出口を作ろうとして、思いの外頑固なマザーコンピュータとの根競べが続いていた。さっきまでは。
思わず呆然として、間抜けな問い掛けを無機物に向かって投げかける。
唐突に、コンピュータの自閉モードは解除された。たった三日間、きっちりそれだけの時間コンピュータを止めて、あっさりと開放する。
「…わかんない、なぁ…?」
くらくらする頭を片手で支えながら呟く。当然ながら、この事態が人為的なものだと言う事をキラは知っていた。折角支配したコロニーを、なぜ開放したのかが分からなかった。もしくは、誰も気付かないうちに何らかの細工をしたのか。
疑問を覚えながらも、取り敢えず新しく作った出口からメールボックスにアクセスを試みる。瞬きをする間に、恐ろしいほどの未開封メールが画面を埋めた。差し出し人はほとんど同じ。
「…アスラン…」
こんなに大量に送って寄越したらばれちゃうじゃないか、と苦笑するやら呆れるやら。それでも端からそれらに目を通して、時折別の名前になっている事を確認して、そこで初めて、二ヶ月ほど前から自分の生存情報がネットに出回っていた事を知った。どくり、と言う鼓動が、やけに大きく聞こえる。
たくさんの人達が護ろうとしてくれている。それは良く分かっているし、嬉しいとも思う。それでも。
嫌な汗が、背中を湿らせ始めた。胃袋は空っぽの筈なのに、吐き気が込み上げる。震える手で、温くなったミネラルウォーターのボトルを掴んで、ゆっくりと一口だけ飲んだ。甘やかな水が喉を滑り落ちて、ほんの少し吐き気が遠ざかる。それでも、小さく始まった耳鳴りは次第に大きくなって行き、これ以上意識を保っているのが難しくなってくる。