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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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OP 05

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 倒れる前に、形だけでも何とかしないと。
 ふらつく身体を叱咤して、なんとかマシンの電源だけを落とした。遠回りになるけれど、壁伝いにベッドに近付く。デスクスタンドの明かりから遠くなると、窓の外は夜明けを迎えようとしていた。
「…ねぇ、今、何してる…?」
 不意に、零れた言葉。
 大量のメールの中に、ほとんど毎日と言っていいほど連絡をくれるその人の名前はなかった。無意識に、求めているもの。それに気付いて、苦笑した。
「…やだな、これじゃ…」
 倒れ込むようにベッドに転がったまま、明かりが落ちるように意識が途切れる。

 もう少し、我慢しようと思ったのに。


「キラキラキラ、キラばっか」
 心底うんざりしたように呟く声は、何処か幼い。薄暗い室内でモニタの明かりに浮かぶ影も、小柄だった。可愛らしいとさえ思わせる仕種で頭を揺らすと、さらりとした黒髪が空に流れる。
「まあ、そうバカにしたもんじゃないよ。使えるからこそ、こうやって自由にさせてるんじゃないか」
 もっとも、届く筈のメールをここで留めている事自体、全然自由じゃないよね、と言った涼やかな声は、心底楽しそうだ。
「…ねぇ、いつまでこうしてれば良いの?」
 もう飽きちゃった、と呟く幼い声には、微かに苛立ちが混じっている。それに、さて、と軽く答えた声の持ち主はゆったりと腰掛けていたソファから立ち上がった。
「そう心配しなくても、向こうはもう動いたんだ。頭は悪くなさそうだから、直に始まる。」
 それまで君はここに居るんだよ、と言い置いて。
「…せいぜい、遊んでやるといい」


 ぽたり、ぽたりと規則正しく落ちる液体を見詰める。その先は細いチューブに繋がっていて、キラの痩せた腕に繋がっている。酷い眩暈でベッドから起き上がる事も出来ないまま、他にすることもなくてぼんやりそれを見詰めていた。
 いつもの時間に部屋を覗いた老婦人は、ベッドの上に突っ伏して動かないキラを見て卒倒しかけたらしい。これ以上寿命を縮める気ですか、と物凄い剣幕で怒られて、少しだけ意識を失ったままでいたかったと思ってしまった。
 少年と作ったドライフルーツは、どうやら胃袋が受け付けてくれる気になったらしい、と少し油断して、処方される薬も点滴も忘れていたツケが来た。最低でも三日は大人しくしている事、と担当医は少し強く言い含めて部屋を出て行った。それから、なにもすることがない。する事がないから、規則正しく落ちる水滴を観察して時間が流れて行く。あまりにも単調なその動作は強い眠気を誘い、意識が掠れ始めたころ、控えめにドアをノックする音が響いた。
「こんにちは」
 そう言いながら顔を出したのは、裏庭で知り合った少年。
「…やあ」
 緩く笑みを浮かべる。良く入って来れたね、と言うと少年は照れたように笑った。
「決まってるよ、いつものとこから。後はばあちゃんに入れてもらった」
 そうして、後ろをついて来た更に幼い少年と、見覚えの在る少女に視線を動かす。一瞬、息を詰めた。あの時、酷く壊れた笑みを浮かべた少女は、歳相応の顔をしている。
「…あの子…」
 上手く音にならない声でそれだけ呟くと、少年はああ、と言って後ろの二人を手招きした。
「えと、こっちは弟。ほらマサキ、ご挨拶は?」
 兄に促されるまま、マサキと呼ばれた少年は小さくこんにちは、と言った。軽く微笑んでそれに応えると、つられるように少年は笑った。
 その後ろの少女は相変わらず押し黙っている。けれど、その理由をキラは知っているから、特になにも言わない。少女はこの施設の患者だった。両親を失ったショックで、言葉を失ってしまったのだと老婦人に訊ねたら答えてくれた。視線がぶつかると、少女は淡い微笑みを浮かべる。何処か危うげな足取りで近付く度に、長い黒髪がさらさらと揺れた。
「最近来なかったから、どうしたのかなと思って。やっぱり病気だったんだね」
 キラが最初に知り合った少年は、二度目に顔を会わせた時にマナヤと名乗ってくれた。弟がいる事もその時に聞いた。両親が行方不明になって、兄弟でここに来たのだと。
 マナヤは言いながら持っていた紙袋をサイドテーブルに乗せる。
「お見舞い。これ、昨日ばあちゃんと作ったから。…キラ、ご飯食べられないの?」
 はきはきとした少年は、言う事もストレートだ。思わず苦笑を零しながらそうだよ、と答える。
「…うん。でもマナヤとお婆さんの作ってくれたのは、大丈夫だから」
 有り難う、と微笑むと、少年は嬉しそうに良かったと言った。
 幾分すっきりした頭を軽く振って、ベッドの上に起き上がる。少しくらりとしたけれど、先ほどまでの酷い眩暈を考えたら驚く程の回復ぶりだ。
「あの子、こないだ仲良くなったんだ。温室のとこで」
 えへへ、と照れたように笑う少年は、とても可愛らしい。何処か微笑ましい気分になって、キラも良かったね、と続けた。
 子供達と過ごす時間はやかましいけれど、優しい。そう、多分、キラがいつでも欲しいと願うもの。形はなくとも、なくしてしまったなにかをそこに見出す事が出来るような気がして。
 可愛らしいお客様ねぇ、と入って来た老婦人は苦笑混じりに呟いた。
「さあさ、あんまりお喋りが過ぎるとお兄ちゃんは疲れてしまいますよ」
 他人の乱入に顔を強張らせた子供達は、それでも老婦人がそろそろお昼でしょう、と続けると慌てたように戻らないと、と言った。
「また、あそこで会えるよね?」
 マナヤが少し寂しそうな顔でそう言うから、キラは出来るだけ明るい笑みを乗せて頷く。
「…うん、約束」
 それから、と言って老婦人にチェストの上に乗っていた紙袋を取って来て貰う。親友が来る度に増えて行くそれらは、メール以外では唯一ディアッカからの気持ちの表れ。それがとても嬉しいのだけれど、一人では食べ切れない。
「これ、お礼。みんなで分けてね」
 缶に納まったチョコレートを見るなり、少年達は目を輝かせた。
 片手に紙袋を下げて、もう片方で幼い弟の手を引いて、何度か振り返りながらも少年達は部屋を後にする。その少し後ろを着いて行き掛けた少女は、ドアの所でぴたりと動きを止めた。ゆっくりと振り返ると、何かを考えるように首を傾げる。そうして、音のない言葉を紡いだ。
 じゆうはどこにあるの?
「…え?」
 どくり、と鼓動が大きく跳ねた。
 哲学的な話ではない、と言うことはすぐに理解出来る。そもそも、幼い少女がそんな事を口にする筈がない。それは、続けて紡がれた少女の言葉に。
 もう、にげられないよ。
 そうして、少女は酷く冷たい笑みを浮かべた。
 アンジェラ、と廊下から呼ぶ声がして、少女はあっさりと部屋を出て行く。ただ、その背中を呆然と見送って。
 どうかしたの、と老婦人が声を掛けても、喉の奥が詰まったように嫌な呼吸の音ばかりが響いた。
「…あの、子…ッ」
 頭の奥がずきりと痛む。彼女は、何かを知っている。キラの過去や、戦争の事を。
 危険だ、と頭では分かっているのに。すぐにでもアスランに知らせなければと思うのに。身体が、全く動かなかった。凍り着いたように、ただシーツをきつく握り締める。
 窓の外から聞こえる子供達の歓声に、キラは緩く息を吐き出した。
「…大丈夫…」
作品名:OP 05 作家名:綾沙かへる