OP 05
この小さな世界を護ろうと、決めたばかり。
それでも、少年との約束が果たされる日は永遠に来る事はない。
役者が揃うよ、と青年は笑った。
「そろそろ始めようか」
愚かな世界に、終焉を。
その日、プラントの一角で大騒ぎが起きていた。
ラクス・クライン失踪。
その一報は、アスランとイザークが奇しくも顔を揃えるミーティングの真っ最中に飛び込んで来た。ただし、事の重大さを踏まえてひっそりと。
目の前の小さなモニタに表示された文章に、二人は同時に立ち上がった。一瞬呆気に取られる他のメンバーに短く退出を告げて、足早にミーティングルームを出る。
「…全く、あのお姫様は…!」
小さく悪態を吐いたアスランに、並んだ同僚は訝しげな視線を向ける。それを受けて、そんなに大騒ぎする事じゃない、とアスランは言った。
「行き先なんて、ひとつだ。あれほど一人で動くなと言っておいたのに…」
なるほど、とイザークは諦めたように溜息をひとつ零す。色々な意味で、ラクス・クラインほど目を離せない人間はいない。普段は思慮深く、慈愛に満ちた深層の令嬢だけれど、曲がりなりにも評議会を束ねる女性だ。その行動力と決断力は、戦争中に遺憾なく発揮されている事をイザークも身に染みて知っている。
「…それで?ラクス・クラインは一人で例のコロニーに向かったと?」
距離にして近かったアスランの執務室に足を踏み入れるなり、イザークが問い掛ける。眉を寄せてそれに頷きながら、アスランはソファに腰を降ろして溜息を吐いた。
「彼女は彼女なりに、調べていたんだ。今動いた、と言うことは近いうちに向こうも動く、と言う事なんだろう」
さすがに一人ではないだろうな、とアスランは思う。その容姿だけでも目立つ上に、彼女の顔をプラントで知らない者はいない。
「旅客シャトルは相変わらず半分欠航しているような状況だ。彼女の力があれば特別機を飛ばす事くらい訳もないが…」
その先は、ノックの音で遮られる。視線だけで頷いて、アスランはどうぞ、と言った。
「失礼します。ザラ隊長、お手紙です」
席を外していた副官が持って来たものは、薄紅色の封筒。思わず、顔を見合わせる。
「…手紙?」
電子メールが主流の昨今、紙を使った手紙は珍しい。一応、不審物チェックはしてありますが、と言葉を濁した副官は、それを差し出した。
「なにしろ、差し出し人の名前が…」
受け取ったそれは、直接ここに届けられたもののようだった。封筒を裏返すと、見慣れた署名が目に映った。
ちゃんと、期待してるわけか。
微かな笑みを乗せて、大丈夫だ、と頷く。
「…ああ、確かに本人からだな」
アスランの言葉に、副官はほっとしたような表情を浮かべて部屋を出て行った。それを視線だけで追っていたイザークは、珍しく苦笑を零す。
「それで、お姫様は何を期待してるんだ?」
その言葉にどうせ無茶苦茶な事だろ、と返しながら封を切り、揃いの便箋に書かれた内容に目を通した。メールではなく手紙と言う手段を取るだけあって、アスランは内心頭を抱える。
「…どんぴしゃ、だ」
ラクスが動けば、向こうも動く。彼女は一月前のマザーコンピュータの事件から、再びウィルスが仕掛けられた事を疑っていた。自閉モードに入っている間に、不審な住民登録が為されていた事も突き止めている。次に犯人が動くタイミングを予想して、自らそれを促したのだ。
犯人の狙いはキラとフリーダム。
手紙にははっきりとそう記されている。そうして、自分が上手く潜入できたら、必ず周辺宙域を封鎖し、包囲しておくようにと。
簡単に内容を説明すると、イザークは少し考え込むように俯いた。
「…今の時点でオレたちがどのくらい動かせるか、だな」
当然ながら軍に所属し隊長と言う地位にあっても、軍事行動を起こすには然るべき命令がいる。キラの事が伏せられている以上、まっとうな理由が通じるとも思えない。事が起きてからでは遅すぎる。
「…さて、ザラ隊長」
暫く沈黙していた同僚は、これまた久し振りに見る楽しそうな笑みを浮かべて呟いた。
「隊長格がいきなり二人も留守にする訳にはいかないからな」
それらしい事件をでっち上げて、出撃命令を貰うのが一番良い。幸い、評議会議長が失踪している、と言う事実もある。
「…そうしますか、ジュール隊長?」
考えている事はお互い様だ、と小さく笑うと、軽く互いの拳をぶつけた。
「ところで、完成体、と言うのはどういう意味だ?」
その疑問に、アスランは軽く首を傾げた。それは最初のメールからずっと疑問に思っていた事だ。
「…さあ、な。とりあえずイザーク、やって貰う事がある」
ラクスの手紙には、必ずディアッカに会いに行くように書かれていた。友人の護衛を、と言う提案に渋い顔をしたのは自分達だった。彼女が何処まで、何を知り得たのかは分からなくとも、事態がここまで進行してしまった以上、なにも知らせないままではいられない。迂闊に通信が出来ないから、直接会いに行く方がいい、とはアスランも考えていた。
何を差し置いても恐らく、一番狙われたら痛いのはディアッカだ。少し前に研修先を移したとは言え、基本的に今までと変わらずに生活している。元軍人なのだから、そう簡単に何事か起こるとも考えにくい。それでも。
キラにとって、なによりも、誰よりも大切な存在。
親友の気持ちが痛いほど良く分かっているからこそ、アスランはすぐにでも行動を起こさなくては、と思う。
「こっちの準備は俺がやっておく。だから先に、ディアッカのところへ」
一瞬疑問を浮かべながらも、同僚は頷いた。
「…まあ、おまえが行くよりマシだな」
とにかく状況を説明して、無茶な事をしないようによくよく頼んでおいてくれ、と言うと、同僚はなにかに思い当たったように笑った。
「それに…もしかしたら疑問に答えてくれるかも知れない」
推測だが、とイザークは続ける。
「…完成体、の意味を、あいつは知ってるんじゃないかと思ってな」
とても小さく呟いて、立ち上がった。
「良い機会だ。この際、少しでも仕事を減らしておくか」
不安要素の撤去。それが、今の自分達に与えられた仕事。出来うる限りの手を尽くして、仮初めの平和が、真に平穏と成り得るようにと。
それが、自分達のこの世界に対する責任。
さて、とアスランは言葉を紡ぐ。
「作戦開始、だ」