OP 07
あの日、心に強く誓ったこと。
ささやかで良いから。
ただ、君が隣りにいてくれたら。
ずっと笑っていてくれたら。
傍に、いるから。
「…はァ?」
一瞬、目を丸くした。
随分と久し振りに顔を合わせた友人は、自分の返した反応に眉を寄せる。
「だから、お前はここを動くな、ややこしくなるから」
深い溜息と共に、そう言った。
研修、と言うのがただの名目に過ぎない事くらい、分かっていたつもりだった。体良く無茶をしないよう、目の届く所に置いておきたいだけなのだろうと思うと、目の前に積んであるレポートもカルテも、全く手を付ける気にもならない。
小出しにされる情報は、大半が役に立たないものばかり。本当に知りたい事は、こうして空いた時間に余り人には言えない方法で電脳世界から掻き集める。
どうして、なんの連絡も寄越さなくなったのか。
メールの返事が来ない事に疑問を覚えるのと、某所のデータベースに入り込んでキラのいるコロニーが閉鎖状態にある事を知ったのは、ほぼ同時だった。その時は復旧も早く、大して気にも留めていなかったのだけれど。
事態の大きさは、友人が突然訪ねて来た事で理解する。
「…つまり、ヤな予感が当たったって事だろ?」
窮屈で仕方がないから、結局自宅には戻らず一人で生活している。必要最低限のものしかない部屋で、目の前のソファに座った友人を見据えてそう言った。
「当たらなければ、それに越した事はなかったんだがな」
溜息混じりにそう言った友人は、現在の状況について簡潔に説明してくれる。
ラクス・クラインの失踪。それ以前の、マザーコンピュータの異常、コロニーの閉鎖。旅客シャトルは今や完全に欠航し、貨物船すらまともに動いてはいない。コロニーの中がどうなっているのかさえ、正確な所は判らないと言うこと。
「送られて来る映像は、恐らくフェイクだろうな。監視からはなにも情報がないから、余程上手くやっているのか…手遅れかの、どちらかだ」
その言葉に、背筋が冷たくなっていく。
「…それでも、ここにいろ、ッつーのかよ…」
絞り出した言葉に、お前は民間人だろうが、とイザークは頷いた。
「…ラクス・クラインからの伝言だ。必ずここにいるように、念を押していたからな。」
なにか考えでもあるんだろう、と。
「最終的に、ここは避難場所だ」
医療施設や研究施設の多いフェブラリウス市の中で、行政機能が集中したこのコロニーは、人の出入りも多く、セキュリティの目を掻い潜る事も容易い。木は森に隠せ、と言う事さとイザークは微かに笑った。
「ザフトが、動く。それを隠れ蓑に、なんとかここまで送り届けるのが仕事だ」
お前の仕事はそのあとだろう、と続けて。
「…なんで、そんなに自信満々、なんだよ」
自分でそう評しておいて、何処か頼もしく思えた。いつでも、揺るぎない信念を持った友人は、当然とばかりに笑みを乗せた。
「期待していろ」
何処までも恐らく真面目なその言葉は、心の奥に良い知れぬ安堵を広げる。
期待してるよ、と呟きながらも、そこに立てない自分がもどかしかった。初めて、軍を離れた事を後悔した。
護る、と言うのは難しい。
軍人でいれば、確かにそれは叶うのかも知れない。けれど、軍人でいる以上命じられた全てを護らなければならない。そうして、護るばかりでなくその命令如何によっては壊す事もしなければならない。
壊すのも失うのも嫌だと思った。
世界を護るよりたった一人を護りたい。そう思って選んだ道。
より多くの人を少しでも支える事が出来れば、と願ったのも自分。
全く後悔していないのかと訊かれれば、否と応えるしかなくても。
ばさばさと、積んであった本が崩れ落ちる音で現実に引き戻された。薄暗い室内で、何時の間にか眠っていたらしい。
医師として考えた場合、最優先されるべきは目の前の患者の命だった。他に意識が飛んでいて、全く役に立たないと担当の教授に叱責され、自分でも役立たずな自覚があったから取り敢えず休暇を取った。その間に、滞っていたレポートを片付けるつもりでいた癖に、結局夜通しモニタに向っていた。
現状維持。
それ以外の言葉を忘れてしまったように同じ画面が繰り返されるばかりで、諦めたようにディアッカは溜息を吐く。時折友人がくれる連絡に目を通し、自分に出来得る限りの技術を使って情報を探る。
不意に開いたメールボックスに、奇妙な違和感が残った。
「…そう、言えば…?」
返事の来なかったメール。閉鎖されたコロニーに繋がる回線を、物理的に切断された状態で送信されたメールはどうなるのか。届く先がなければ、戻って来るしかない筈だった。ただし、通常の状態ならば。
記憶にもなかったし、実際に受信ボックスを広げて確認してもデーモンはいなかった。それはつまり。
「どっかに、届いてるって事か…?」
軍人としてひと通りの訓練を受けたディアッカには、メールの痕跡を辿る事くらい簡単だった。伊達に紅い制服を着ていた訳ではなく。
キラの使っているメールボックスに辿りつくのはさすがに無理がある。専門家並み、と言うよりそれを遥かに凌ぐ技量で整えられたセキュリティに自分が敵う訳がない、と最初から判り切っているから、自分の送信履歴を辿って行く。
その存在を世界から隠しているのだから、それ相応にカモフラージュされた専用回線。幾つもの中継サーバーを通って、届いたと思しきメールボックスを突き止めた。
「…まさか」
届いた先は、コロニー内部のキラが暮らす施設。そこにいる誰かには、自分の存在が筒抜けなのだと。
「最初から、バレてるじゃねぇかよ…」
戻って来ないメールは、正しく届けられているのだと当たり前のように思っていた事が今更悔やまれる。辿り着いたメールボックスの主は不明、と表示された。
キラ・ヤマトに繋がるものを探っていた人間。すぐ近くに存在しながら、怪しまれることなく近付ける人間など、限られて来る。あまりにも限定され、なおかつ想像のつかない人物に、首を傾げて。
唐突に、いつだったか食堂で声を掛けて来た若い医師を思い出した。気を付けた方が良いと、忠告してくれた顔見知りは、どうしてそう言ったのだろう。愛想良く浮かべた笑みの裏側に、何処か他人を見下した印象を受けたあの青年は、まだあの病院にいるのだろうか。
気に掛かったことは早目に調べた方が良い、と言うことは、ここ数日でいやと言うほど学んでいた。予め手に入れておいた医師のデータを端から攫い、目的の人物をピックアップする。コンピュータで限界まで絞り込んだ30人ほどの中から、自分の目で確認して漸く辿り着いた一人の青年医師。
「こいつは…」
特徴のあるプラチナブロンドに、黒い瞳。ケネス・アウスレーゼと表示されたその医師の経歴に、目を見張る。高度遺伝子研究所、と言う名称。それは忘れもしない赤く乾いた世界。
コロニー、メンデル。
せっかちだね、とその青年は言った。
何処から現れたのか、瓦礫の中にはそぐわない雰囲気の青年は、小さく笑いながらゆっくりと少女に近付いて。
「…初めまして、キラ・ヤマト君」
それは、世界を壊す言葉となる。