OP 09
手を伸ばせばすぐに届く場所。一歩踏み出せば辿りつく場所。それなのに、両足が貼り付いたように動かない。腕が、固まったように動かない。見えないなにかが、あの時と、これまで自分が犠牲にして来た人達の怨嗟が、足許から絡みついて引き止める。
ほんの少しの空間を挟んで、その先が酷く遠く見えた。恐る恐る伸ばした指先は、ドアノブのほんの少し手前で力なく降ろされる。知らず、一歩後ろに下がって。
逃げてしまおう。
不意に脳裏を過ぎった声に、身体が反応する。
どこでもいい、どこか、誰も知らないところへ。
それは、何時だって頭の片隅で主張していた声だ。初めてモビルスーツに乗った、それを意識してからずっと。人を殺めてしまったと気付いてからずっと。
また、後ろに下がる。
きっと許してもらえない。
それはきっと、無意識に沸き起こる自己防衛のための本能。そこから生み出される声にしたがって、踵を返そうとした一瞬。
勢い良く目の前のドアが開いた。
信じられないのは自分だって一緒だった。昨日からのニュースで件のコロニーが閉鎖され、全てのシャトルや貨物船の類が出入りできないことを告げていて、それでもダメ元でそこまで行こうかとすら思ったのだ。むしろ、友人の助言がなければニュースの第一報の時点で飛び出していただろう。
そこにいろ、と自信満々で言った友人。その言葉通りに。
「…キラ?」
確かめるようにその名を呼べば、見開かれた瞳が大きく揺れて。
「…ディアッ…カ…ッ」
囁くように零れた言葉に、細い肩を引き寄せ、抱き締める。ただ、そのぬくもりに触れることだけが、唯一の。
「無事で、良かった…」
痩せた肩に額を押し付けて吐き出された言葉に、一瞬だけ怯えたように硬直した身体からゆっくりと力が抜けていく。恐る恐る、と言った感じで背中に回された腕に、ただひたすら感謝した。
誰かに、有り難うと言いたかった。
任務完了ね、と少女は呟く。向こうの視界には入らない場所からそこを見上げる青年は、少女の言葉に軽く頷く。
「…そうだな」
開く気配のないドアを見詰めて、本当にこのまま逃げてしまうのではないかと思っていた。そうなったらなったで特にどうするつもりもなかった。けれど、その特殊性ゆえに放って帰ることも出来なかった。引き受けた依頼を中途半端に終わらせるようでは、プライドにも関わる。
珍しく無理を言ってその場に留まった青年に、少女は仕方ないわね、と微笑った。
きっともう、彼に関わることはないだろう。
だから、頼りない背中がドアの向こうに消えるまで。
泣きたくても泣けなかった。
だから、そこはひとつの逃げ場所だと思った。
何も言わずに抱き締めてくれる人がいる場所で。
止まることのない涙が頬を伝うまま。
ただ、ごめんなさい、と繰り返す。