誘蛾灯
抗えないもの。
それは危険だと分かっているのに。
引き寄せられて、どうしようもなくて。
その炎に身を焼かれるまで。
その恍惚とした感覚に酔いしれて。
それでも後悔なんかしない。
>>>誘蛾灯
自分が墜ちたのだ、と感じたのは、その細い指先に触れた時。
何がそんなに気に入らないのかは自分でも良く分からなかった。それまでも、理不尽な事はたくさんあった。それを、どうにかやり過ごして来た筈だと言うのに、ここに来てから得体の知れない苛立ちばかりが募る。
相変わらず終始不機嫌そうな顔で与えられた部屋に篭る友人を置いて、空いていた車で砂の上を走る。恐ろしく冷たい空気が頬を切るように摺り抜けて行く。それが却って冷静さをかき集めてくれるように思えた。
どの位走って来たのかは分からない。適当なところで車を止めると、巻き上げられた砂が一瞬視界を覆って風に流されて行く。微かに目を細めてそれをやり過ごすと、車に積まれたナビゲーションシステムのモニタで現在位置を確認する。
「…なんだ、結構近い…」
情報に気を緩めて、シートを倒す。緩く溜息を付いて、澄み渡った夜空を見上げる。ほんの数日前まで、あの中にいたのかと思うと不思議な感じがした。
風が砂を撫でて立てる微かな音以外、何も聞こえない。
いくら理論上は可能と言われていても、無茶苦茶だった。それは実際に体験した人間にしか分からない。自分達だったから、命が繋がったのだ。
落ちた、と確信した時には、みっともなくうろたえてしまった。計器の類は沈黙していて、それが他の誰かに伝わったわけではないと言うのに、丸1日寝込んだ後に対面したこの地を預かる責任者の男は笑みを浮かべてようこそ地球へ、と言った。それが、見透かされたような気がして悔しかった。
いくらエリートと呼ばれようが、自分がまだ子供で、経験が足りていないこと位良く分かっている。それでも、子供は子供なりに、一応のプライドだって持っている。
宇宙が恋しい、と言うわけではなく、そこにしかいた事がなかったから、地球と言う人知を超えた場所に立っている事に対する恐怖が芽生えている。それを認めたくなくて、誰にも知られたくなくて、それでも誰かに解って欲しくて、ただ苛立つ。
恐らく、共に降りた同僚も似たような事に苛付いているのだろうと思った。自分よりもプライドが高い分、それは強そうに見える。思い出すと苦笑が零れた。
不意に強い風が吹き抜けて、羽織っていたコートの先が大きく捲くれ上がる。視界を塞いだそれを、緩慢な動作で払いのけると、その先に人影らしきモノが見える。
「…は…?」
目を疑った。この地域の標準時間では深夜と呼ばれる時間帯で、気候の特徴上、気温は昼間からは想像もつかないほどの低さだった。その中で、砂の上にたったひとりで。
月明かりに映える白い人影は、揺らめきながら移動しているように見えた。そう遠い距離ではない。
無意識に、護身用に持ち歩いている銃を確かめる。当然の事のように、ディアッカは幽霊の類を信じてはいない。ひとがたに見える、と言うことは生きた人間なのだと認識している。
意味もなく苛付いていた思考は、一瞬で現実に引き戻された。ここは地球。自分達が敵対する、ナチュラルの暮らすところ。最悪、見失った目標の艦に乗る人間かも知れない。
オープンタイプのジープは、幸いドアを開けなくても降りる事が出来た。砂の上に足を下ろして、緩急をつけて広がる砂丘の影を伝ってそれに近付いて行く。
関係のない民間人ならばそれでいい。けれど万が一、連合軍の兵士だったら。
戦争をしているのだ、と思った。そう考えることが、自然な事なのだと、納得させるように緩く溜息を吐いて、呼吸を整える。
砂を踏み締める音が近付く。頼りない足音は、何処か不揃いで明確に意思を持って歩いている、とは言い難い。それでも、足音がするということは、やはり人間なのだと確信して。
足音がすぐ隣りまで来た時に、ディアッカは通り過ぎようとする誰かの背中に銃を突き付けた。
どうしてここにいるんだろう、とぼんやりと考える。
熱が下がったばかりで、しばらくは大人しくしているようにと言い渡されたけれど、あの人達の中にいるのは辛かった。誰もいないところ、ひとりになれるところ、と艦の中をさ迷った挙句に、外に出てしまった。
ふらふらと歩いていたら、知らない誰かがそんな格好では風邪を引く、と言って上着を貸してくれた。その人はキラがコーディネイターである事を知らないのだろうと思った。何気ない好意だったのだろうけれど、酷く空虚にキラの心を摺り抜けて行った。断る事もせずにいると、その人は上着を無理矢理羽織らせて何処かに去って行った。
ここではダメだ、と思った。折角外に出る事が出来たのだから、どうぜなら遠くに行ってしまおうと思った。
作り物ではない、本物の砂を踏み締める事は新鮮で、楽しかった。
楽しい、と思う感情を何処かに置き忘れて来たように、辛い記憶ばかりで占められていたキラの心は、ただそこにいてはいけない、と思うばかりで、それに急かされるように砂の上を歩いて行く。何処に向かっているのかも解らなくて、何がしたいのかも分からなくて。
遮るもののない大地。終ることのない景色。月明かりのお陰で、乾いた大地は何処までも遠くまで見えた。頭上には夜空が広がっていて、足許には大地が広がっている。
地球、と言う場所。
ここにいてはいけない、とだけ思った。けれど、宇宙に戻る事も出来ない。
もう嫌だ。
乾いた唇から零れた呟きは、誰にも届く事はなく。
不意に、背中に突き付けられたもの。冷たくて硬い、布越しに伝わるそれは何時の間にか覚えてしまったもの。
知らず、笑みが浮かんだ。
そこでキラは、漸く自分の望みを知る事が出来た。
目の前に立ち尽くしているのは、どう見ても自分と殆ど年の変わらない少年。拍子抜けした事も事実で。
「…おまえ、こんなとこで何してんだ?」
たっぷり沈黙してから、漸く搾り出した問いかけは随分間抜けだった。そっくり、自分にも言える言葉だったから。それでも、この状況ではそう訊くしかない。
その言葉に反応して、ゆっくりと少年は振り向いた。日の光の下で見ればもっと明るい色素なのだろう濃茶色の髪を僅かに揺らして、黒ずんで見える紫色の瞳を虚ろに見開いて。
その瞬間、背筋を言い知れぬ悪寒が走る。
振り返った少年は、虚ろな瞳をしながら、確かに笑みを浮かべていた。
恐い、と言うのが正確な感想だろうと思った。同時に、目を離せないほどの強烈な力がある。
整った容姿は見慣れている。同僚を筆頭に、比較的美人に囲まれて育って来たディアッカは、その中でも群抜く目の前の少年に言葉を失う。こんな生き物がいるのか、と幾分冷静さを取り戻した頭は失礼な感想を述べた。
「…どうしたの。」
黙したままだった少年は不意に言葉を発した。しかも、その内容は全く繋がっていない。
対応出来ずに答えに詰まっていると、少年は楽しそうに目を細める。
「…それで、殺してくれるんじゃなかったの…?」
それは危険だと分かっているのに。
引き寄せられて、どうしようもなくて。
その炎に身を焼かれるまで。
その恍惚とした感覚に酔いしれて。
それでも後悔なんかしない。
>>>誘蛾灯
自分が墜ちたのだ、と感じたのは、その細い指先に触れた時。
何がそんなに気に入らないのかは自分でも良く分からなかった。それまでも、理不尽な事はたくさんあった。それを、どうにかやり過ごして来た筈だと言うのに、ここに来てから得体の知れない苛立ちばかりが募る。
相変わらず終始不機嫌そうな顔で与えられた部屋に篭る友人を置いて、空いていた車で砂の上を走る。恐ろしく冷たい空気が頬を切るように摺り抜けて行く。それが却って冷静さをかき集めてくれるように思えた。
どの位走って来たのかは分からない。適当なところで車を止めると、巻き上げられた砂が一瞬視界を覆って風に流されて行く。微かに目を細めてそれをやり過ごすと、車に積まれたナビゲーションシステムのモニタで現在位置を確認する。
「…なんだ、結構近い…」
情報に気を緩めて、シートを倒す。緩く溜息を付いて、澄み渡った夜空を見上げる。ほんの数日前まで、あの中にいたのかと思うと不思議な感じがした。
風が砂を撫でて立てる微かな音以外、何も聞こえない。
いくら理論上は可能と言われていても、無茶苦茶だった。それは実際に体験した人間にしか分からない。自分達だったから、命が繋がったのだ。
落ちた、と確信した時には、みっともなくうろたえてしまった。計器の類は沈黙していて、それが他の誰かに伝わったわけではないと言うのに、丸1日寝込んだ後に対面したこの地を預かる責任者の男は笑みを浮かべてようこそ地球へ、と言った。それが、見透かされたような気がして悔しかった。
いくらエリートと呼ばれようが、自分がまだ子供で、経験が足りていないこと位良く分かっている。それでも、子供は子供なりに、一応のプライドだって持っている。
宇宙が恋しい、と言うわけではなく、そこにしかいた事がなかったから、地球と言う人知を超えた場所に立っている事に対する恐怖が芽生えている。それを認めたくなくて、誰にも知られたくなくて、それでも誰かに解って欲しくて、ただ苛立つ。
恐らく、共に降りた同僚も似たような事に苛付いているのだろうと思った。自分よりもプライドが高い分、それは強そうに見える。思い出すと苦笑が零れた。
不意に強い風が吹き抜けて、羽織っていたコートの先が大きく捲くれ上がる。視界を塞いだそれを、緩慢な動作で払いのけると、その先に人影らしきモノが見える。
「…は…?」
目を疑った。この地域の標準時間では深夜と呼ばれる時間帯で、気候の特徴上、気温は昼間からは想像もつかないほどの低さだった。その中で、砂の上にたったひとりで。
月明かりに映える白い人影は、揺らめきながら移動しているように見えた。そう遠い距離ではない。
無意識に、護身用に持ち歩いている銃を確かめる。当然の事のように、ディアッカは幽霊の類を信じてはいない。ひとがたに見える、と言うことは生きた人間なのだと認識している。
意味もなく苛付いていた思考は、一瞬で現実に引き戻された。ここは地球。自分達が敵対する、ナチュラルの暮らすところ。最悪、見失った目標の艦に乗る人間かも知れない。
オープンタイプのジープは、幸いドアを開けなくても降りる事が出来た。砂の上に足を下ろして、緩急をつけて広がる砂丘の影を伝ってそれに近付いて行く。
関係のない民間人ならばそれでいい。けれど万が一、連合軍の兵士だったら。
戦争をしているのだ、と思った。そう考えることが、自然な事なのだと、納得させるように緩く溜息を吐いて、呼吸を整える。
砂を踏み締める音が近付く。頼りない足音は、何処か不揃いで明確に意思を持って歩いている、とは言い難い。それでも、足音がするということは、やはり人間なのだと確信して。
足音がすぐ隣りまで来た時に、ディアッカは通り過ぎようとする誰かの背中に銃を突き付けた。
どうしてここにいるんだろう、とぼんやりと考える。
熱が下がったばかりで、しばらくは大人しくしているようにと言い渡されたけれど、あの人達の中にいるのは辛かった。誰もいないところ、ひとりになれるところ、と艦の中をさ迷った挙句に、外に出てしまった。
ふらふらと歩いていたら、知らない誰かがそんな格好では風邪を引く、と言って上着を貸してくれた。その人はキラがコーディネイターである事を知らないのだろうと思った。何気ない好意だったのだろうけれど、酷く空虚にキラの心を摺り抜けて行った。断る事もせずにいると、その人は上着を無理矢理羽織らせて何処かに去って行った。
ここではダメだ、と思った。折角外に出る事が出来たのだから、どうぜなら遠くに行ってしまおうと思った。
作り物ではない、本物の砂を踏み締める事は新鮮で、楽しかった。
楽しい、と思う感情を何処かに置き忘れて来たように、辛い記憶ばかりで占められていたキラの心は、ただそこにいてはいけない、と思うばかりで、それに急かされるように砂の上を歩いて行く。何処に向かっているのかも解らなくて、何がしたいのかも分からなくて。
遮るもののない大地。終ることのない景色。月明かりのお陰で、乾いた大地は何処までも遠くまで見えた。頭上には夜空が広がっていて、足許には大地が広がっている。
地球、と言う場所。
ここにいてはいけない、とだけ思った。けれど、宇宙に戻る事も出来ない。
もう嫌だ。
乾いた唇から零れた呟きは、誰にも届く事はなく。
不意に、背中に突き付けられたもの。冷たくて硬い、布越しに伝わるそれは何時の間にか覚えてしまったもの。
知らず、笑みが浮かんだ。
そこでキラは、漸く自分の望みを知る事が出来た。
目の前に立ち尽くしているのは、どう見ても自分と殆ど年の変わらない少年。拍子抜けした事も事実で。
「…おまえ、こんなとこで何してんだ?」
たっぷり沈黙してから、漸く搾り出した問いかけは随分間抜けだった。そっくり、自分にも言える言葉だったから。それでも、この状況ではそう訊くしかない。
その言葉に反応して、ゆっくりと少年は振り向いた。日の光の下で見ればもっと明るい色素なのだろう濃茶色の髪を僅かに揺らして、黒ずんで見える紫色の瞳を虚ろに見開いて。
その瞬間、背筋を言い知れぬ悪寒が走る。
振り返った少年は、虚ろな瞳をしながら、確かに笑みを浮かべていた。
恐い、と言うのが正確な感想だろうと思った。同時に、目を離せないほどの強烈な力がある。
整った容姿は見慣れている。同僚を筆頭に、比較的美人に囲まれて育って来たディアッカは、その中でも群抜く目の前の少年に言葉を失う。こんな生き物がいるのか、と幾分冷静さを取り戻した頭は失礼な感想を述べた。
「…どうしたの。」
黙したままだった少年は不意に言葉を発した。しかも、その内容は全く繋がっていない。
対応出来ずに答えに詰まっていると、少年は楽しそうに目を細める。
「…それで、殺してくれるんじゃなかったの…?」