大好きなあなたと
ふむ、と俺の部屋をひとつ見回して、麗しい叔父が顎を撫でつつ頷いたのがはじまりだった。手渡されるままに分厚いそれを受け取って、多大に恐縮しながらも胸の辺りは甘くざわめき、落ち着かない気分を味わう。
「好きな物を選ぶといい。実物を見て選ぶにしても、イメージを掴んでおいて損はないだろう」
ぬくもりを宿した瞳に、ああ甘やかされている、と深く感じて、俺は熱くなった頬にへにゃりと笑みを浮かべたのだった。
ぱらりぱらりとページをめくる手は緩やかに動き、紙面に載せられた写真や文字を目で追う。どうしても目は最初に値段のところで止まりそうになって、ふるふると何度か首を横に振ることになった。好みよりも値段を優先させて選んだところで、おそらくあの叔父には露見してしまうだろう。
ここで重要なのは好みと値段と実用性を上手に組み合わせ、以前の俺には考えられない買い物をすることだ。
だが、しかし。
「ぐぬぬ……」
やはり値段が頭上で踊る。この値段で、持ち運び不可。ならば――と考えてしまう自分がそこにいる。
(ああ、むずかしい。これすげー難しいです、尊也さん)
英語の課題と同じかそれ以上の難題にいい加減脳みそが疲れて、開いたページに頭が沈没するかと思われたときだった。
「あ」
誰よりも大事な人の顔が頭に浮かんだ。それと同時にひらめいた考えに一人大きく頷いていると、タイミングよく玄関の戸が開く音が聞こえてきた。咄嗟に先程まで頭を悩ませていた原因を掴んだまま立ち上がってしまい、一瞬逡巡して、結局そのまま早足で玄関へと向かう。
ぱたぱたと隠さない足音を待ち受けるように、彼は買い物袋を抱えたまま、そこにいた。そうして駆けつけた俺を見て、ふわりと柔らかく微笑みをくれる。
「おかえりなさい、ヤシロさん」
「にゅふふ、ただいまなのですよ、蘇芳様」
メイドの衣装を驚くほどに違和感なく着こなす恋人の向かう先、台所までの道のりを親鳥を追う雛のようについて回る。ひらりひらりと舞う裾が清楚で目に優しい。冷蔵庫にてきぱきと物を収納していくヤシロさんを手伝い(買い物袋の中身を手渡していくだけだが)、ぱたんと閉めると同時に振り向いた彼と、目を合わせて笑いあう。
「ありがとうございます、蘇芳様」
「いえいえ、お安い御用です。代わりというわけではないんですが、ヤシロさん。ちょっと相談に乗ってくれませんか?」
もちろん、と頷く彼に感謝を述べつつ、目の前に、持ってきてしまったその分厚い雑誌――カタログを差し出す。
きょとりとそれに視線を合わせて、一瞬の間を置いてから彼の瞳が自分へと戻ってくる。
その瞬間ざわ、と背筋がざわめいたのは気のせいだろうか。しかしヤシロさんの瞳はやわらかく笑んだままで、問いを口にするのも不自然なほどだ。
「……あの」
「――それ、どうされたんですか? 蘇芳様がこういうのお買い求めになるの、珍しいですね」
「あ、ああ、尊也さんですよ」
いつも通りの口調にほ、と隠れて安堵の息を吐き出しつつ、ぱらぱらと冊子をめくってみる。
「尊也さん、俺の部屋に自分で選んだでかい家具とか雑貨がないのは不便だろうから、欲しい物を買ってあげようと太っ腹なことを仰ったんですよ。で、まぁどんなのが欲しいかイメージだけでもってことでこれを」
言いながら、叔父の優しい笑みを思い出してつられるように頬が緩む。最初は互いに緊張して上手く接することもできなかった叔父と甥だが、間にヤシロさんがいてくれたこともあり、今では良い関係を築けていることが素直に嬉しい。
「一度は断ったんですけど、実はいつまでもバックパック一つ分の荷物なのが寂しいという自分の我儘だから、たまには甘えてみせなさいと言われちゃいましてね。そこまで言われたら甘えるのも甥の務めかなーと、フヒヒ」
込み上げるむず痒さを断ち切るように、ぱたんと適当にめくっていた冊子を閉じる。
それでも母親以外の親族から受ける無条件の甘やかしというのがどうにも照れくさく、あちこちに視線が彷徨った。
「でもそんなにでかい買い物したことないし、いきなり欲しい物と言われても困っちゃって、だから」
「………」
「……ヤシロさん?」
酷く静かな相手を今更ながらに不思議に思って、うろついていた視線を愛しのメイドガイに向ける。それを見計らっていたかのように強い力で腕を引かれ、バランスを崩して倒れ込むように目の前の身体にぶつかってしまう。驚いて思わず離してしまったカタログが紙特有の音を立てて床に落ちる音を、どこか遠くに聞いた。
「ヤ、シ……っ」
(いたい)
腕の中に捕らえられたと悟った瞬間、ひゅ、と自分の喉が音を立てた。隙間をなくすかのように、否、彼の全部の力でもって潰そうとしているとしか思えない力が腕にこめられている。
勝手に零れる呻き声に重なるように、みしりと俺の骨が軋むような悲鳴をあげた。
「ヤシロ、さん……!?」
「やです」
「ちょ……っぐ」
「蘇芳様は、ヤシロのです」
「――っ」
冗談ではなく呼吸すら危うくなってきた。
けれど強い拘束はまるで俺に縋るかのようで、突き放すことなどは考えられない。
だから、焦れながらも力のこもらない左手をのろのろと掲げ、力を込め過ぎて震えまで起こしていそうなヤシロさんの背を撫でた。
「っ、」
「ふ、はっ」
途端、少しばかり力が弱まった。
それでもその少しの力加減が重要で、ようやく俺の身体は酸素を取り込める。身体全体がじんじんしている気がするのは、血流が止まっていたということだろうか。
「っあ、……だい、じょうぶですか。蘇芳様」
「へーきです、よ」
「あの」
「本当に、大丈夫ですから。……どうしたんですか、ヤシロさん」
熱烈な抱擁でしたね、と意識して軽く笑いながら今度はぽんぽんと背中を撫でる。
そうしていると、数秒間迷うようにしていた腕から少しずつ力が抜けて、最終的には心地良い強さで囲われるようになった。
ふ、と息を吐いた音が、肩の辺りで漏れる。
「先程のお話で、頭に血が上ってしまいました。ごめんなさい」
「……何か怒らせてしまうようなことでしたか?」
「ヤシロは焼きもちやきなんです」
少しばかり作られた距離の中、整った顔が近づいてきて、額と額が触れ合わされる。
近過ぎる距離のせいで顔に熱が宿ったが、困ったように微笑む恋人から離れる気にもならず、ただそのままじっと彼を見つめた。
「……簡単に捨てられないような大きな物を贈るというのは、その人の居場所を作るのと同じような意味合いを持つと思うんです」
「居場所、ですか」
「ええ」
馴染みのない言葉に、思考を巡らせた。
考えてみれば、その通りなのかもしれない。
簡単には持ち運べない、けれど捨てられもしない物は、与えられた相手をその場に縛る。
しかし、それを自由に選ばせることで互いに「ここにいるね」「ここにいます」と認め合うことにもなり得る。
――それは紛れもなく、居場所を作るということだ。
「好きな物を選ぶといい。実物を見て選ぶにしても、イメージを掴んでおいて損はないだろう」
ぬくもりを宿した瞳に、ああ甘やかされている、と深く感じて、俺は熱くなった頬にへにゃりと笑みを浮かべたのだった。
ぱらりぱらりとページをめくる手は緩やかに動き、紙面に載せられた写真や文字を目で追う。どうしても目は最初に値段のところで止まりそうになって、ふるふると何度か首を横に振ることになった。好みよりも値段を優先させて選んだところで、おそらくあの叔父には露見してしまうだろう。
ここで重要なのは好みと値段と実用性を上手に組み合わせ、以前の俺には考えられない買い物をすることだ。
だが、しかし。
「ぐぬぬ……」
やはり値段が頭上で踊る。この値段で、持ち運び不可。ならば――と考えてしまう自分がそこにいる。
(ああ、むずかしい。これすげー難しいです、尊也さん)
英語の課題と同じかそれ以上の難題にいい加減脳みそが疲れて、開いたページに頭が沈没するかと思われたときだった。
「あ」
誰よりも大事な人の顔が頭に浮かんだ。それと同時にひらめいた考えに一人大きく頷いていると、タイミングよく玄関の戸が開く音が聞こえてきた。咄嗟に先程まで頭を悩ませていた原因を掴んだまま立ち上がってしまい、一瞬逡巡して、結局そのまま早足で玄関へと向かう。
ぱたぱたと隠さない足音を待ち受けるように、彼は買い物袋を抱えたまま、そこにいた。そうして駆けつけた俺を見て、ふわりと柔らかく微笑みをくれる。
「おかえりなさい、ヤシロさん」
「にゅふふ、ただいまなのですよ、蘇芳様」
メイドの衣装を驚くほどに違和感なく着こなす恋人の向かう先、台所までの道のりを親鳥を追う雛のようについて回る。ひらりひらりと舞う裾が清楚で目に優しい。冷蔵庫にてきぱきと物を収納していくヤシロさんを手伝い(買い物袋の中身を手渡していくだけだが)、ぱたんと閉めると同時に振り向いた彼と、目を合わせて笑いあう。
「ありがとうございます、蘇芳様」
「いえいえ、お安い御用です。代わりというわけではないんですが、ヤシロさん。ちょっと相談に乗ってくれませんか?」
もちろん、と頷く彼に感謝を述べつつ、目の前に、持ってきてしまったその分厚い雑誌――カタログを差し出す。
きょとりとそれに視線を合わせて、一瞬の間を置いてから彼の瞳が自分へと戻ってくる。
その瞬間ざわ、と背筋がざわめいたのは気のせいだろうか。しかしヤシロさんの瞳はやわらかく笑んだままで、問いを口にするのも不自然なほどだ。
「……あの」
「――それ、どうされたんですか? 蘇芳様がこういうのお買い求めになるの、珍しいですね」
「あ、ああ、尊也さんですよ」
いつも通りの口調にほ、と隠れて安堵の息を吐き出しつつ、ぱらぱらと冊子をめくってみる。
「尊也さん、俺の部屋に自分で選んだでかい家具とか雑貨がないのは不便だろうから、欲しい物を買ってあげようと太っ腹なことを仰ったんですよ。で、まぁどんなのが欲しいかイメージだけでもってことでこれを」
言いながら、叔父の優しい笑みを思い出してつられるように頬が緩む。最初は互いに緊張して上手く接することもできなかった叔父と甥だが、間にヤシロさんがいてくれたこともあり、今では良い関係を築けていることが素直に嬉しい。
「一度は断ったんですけど、実はいつまでもバックパック一つ分の荷物なのが寂しいという自分の我儘だから、たまには甘えてみせなさいと言われちゃいましてね。そこまで言われたら甘えるのも甥の務めかなーと、フヒヒ」
込み上げるむず痒さを断ち切るように、ぱたんと適当にめくっていた冊子を閉じる。
それでも母親以外の親族から受ける無条件の甘やかしというのがどうにも照れくさく、あちこちに視線が彷徨った。
「でもそんなにでかい買い物したことないし、いきなり欲しい物と言われても困っちゃって、だから」
「………」
「……ヤシロさん?」
酷く静かな相手を今更ながらに不思議に思って、うろついていた視線を愛しのメイドガイに向ける。それを見計らっていたかのように強い力で腕を引かれ、バランスを崩して倒れ込むように目の前の身体にぶつかってしまう。驚いて思わず離してしまったカタログが紙特有の音を立てて床に落ちる音を、どこか遠くに聞いた。
「ヤ、シ……っ」
(いたい)
腕の中に捕らえられたと悟った瞬間、ひゅ、と自分の喉が音を立てた。隙間をなくすかのように、否、彼の全部の力でもって潰そうとしているとしか思えない力が腕にこめられている。
勝手に零れる呻き声に重なるように、みしりと俺の骨が軋むような悲鳴をあげた。
「ヤシロ、さん……!?」
「やです」
「ちょ……っぐ」
「蘇芳様は、ヤシロのです」
「――っ」
冗談ではなく呼吸すら危うくなってきた。
けれど強い拘束はまるで俺に縋るかのようで、突き放すことなどは考えられない。
だから、焦れながらも力のこもらない左手をのろのろと掲げ、力を込め過ぎて震えまで起こしていそうなヤシロさんの背を撫でた。
「っ、」
「ふ、はっ」
途端、少しばかり力が弱まった。
それでもその少しの力加減が重要で、ようやく俺の身体は酸素を取り込める。身体全体がじんじんしている気がするのは、血流が止まっていたということだろうか。
「っあ、……だい、じょうぶですか。蘇芳様」
「へーきです、よ」
「あの」
「本当に、大丈夫ですから。……どうしたんですか、ヤシロさん」
熱烈な抱擁でしたね、と意識して軽く笑いながら今度はぽんぽんと背中を撫でる。
そうしていると、数秒間迷うようにしていた腕から少しずつ力が抜けて、最終的には心地良い強さで囲われるようになった。
ふ、と息を吐いた音が、肩の辺りで漏れる。
「先程のお話で、頭に血が上ってしまいました。ごめんなさい」
「……何か怒らせてしまうようなことでしたか?」
「ヤシロは焼きもちやきなんです」
少しばかり作られた距離の中、整った顔が近づいてきて、額と額が触れ合わされる。
近過ぎる距離のせいで顔に熱が宿ったが、困ったように微笑む恋人から離れる気にもならず、ただそのままじっと彼を見つめた。
「……簡単に捨てられないような大きな物を贈るというのは、その人の居場所を作るのと同じような意味合いを持つと思うんです」
「居場所、ですか」
「ええ」
馴染みのない言葉に、思考を巡らせた。
考えてみれば、その通りなのかもしれない。
簡単には持ち運べない、けれど捨てられもしない物は、与えられた相手をその場に縛る。
しかし、それを自由に選ばせることで互いに「ここにいるね」「ここにいます」と認め合うことにもなり得る。
――それは紛れもなく、居場所を作るということだ。