ワールド・エンド
今日も、金融街の空は赤く曇っている。この街がうまく機能している限り、この空の赤が変わることはない。眼下に広がる白で埋めつくされた街を見ながらそんな取り留めのないことを思った。
バタバタとコートの端が時折視界に揺れる。時間の概念がないせいか、気候も気温の変化もないのにこうやって風が吹くのが不思議だった。だがその風もどこかぬるくて、あまり気持ちのいいものでもなかったが。
しばらくそうしていると、「公麿っ!」とどこか苛立ったような声に呼ばれて、振り返れば宙に浮いた状態で不機嫌そうな顔をする真朱と目が合う。
「相変わらず、ぼうっとしてるんだから、しっかりしてよね!もうすぐディールが始まるんだけど」
目を釣り上げて怒りの声をあげる彼女に、ごめんと苦笑を返せば「まあ、いいけど」と許してくれた。その次には期待に満ちた目がこちらに向けられる。
「ねえ、今日のディールにはアタシが出てもいいんでしょ?この間のは、カカズズだけで相手が終わっちゃったから、アタシ全然出られなかったし」
不満だと顔にだして「だから今日はアタシがやるから!」と意気込む姿に笑みがこぼれる。「そうだな、それじゃ真朱に任せるよ」頼むとその顔いっぱいに笑顔があふれ、くるくると宙を回りながら喜びをあらわにした。
ほんとに彼女は出会った頃から少しも、変わっていない。
感情豊かなその姿を見ていると、くい、と横から引っ張られる感覚がした。目を向けると、黒いコートの端を掴む小さな手が見える。さらに視線をやると眠たげな瞳の少女と、視線が合った。
「どうしたQ、お腹空いたのか?」
首を傾げながら黒い紙幣を取り出し、目の前に翳せば、「・・・お腹は、空いていないのです」と言いながら、ぱくりと紙幣を口に銜える。そのまま咀嚼しながら食べはじめたQを見ていると、その目がちらりと上を向いた。なんの感情も浮かんでいないのに、じっと見つめてくる顔は何かを言いたいようだ。
「・・・なにを、考えていたのですか」
やがて紙幣を食べ終えたその唇から、ぽつりと小さな呟きがもれる。その声は風にさらわれて聞き逃してしまうくらいほんとに微かな声だったが、確かにこちらへと向けられた問いだった。真朱に呼ばれる前、ここでただ街を眺め続ける自分の傍にずっと付き添っていた少女。時折その視線を感じてはいたが、もしかしたらずっと気にしていたのかもしれない。そんなQに苦笑しながら小さな頭に手を置いて、優しく撫でてやる。不思議そうに見上げてくる顔が可笑しかった。
「たいしたことじゃないよ、・・・・・・ただ、昔のことを思い出していただけだ」
ふわりとした手触りのいい髪を撫でながら、その視線を横に向ける。視界の先には、赤と白。ずっと変わることのない景色。
いつだったか自分は、ここで彼にこの場所が好きかと尋ねた時があった。結局その時は彼からはっきりとした答えはもらえなかったけれど。
今なら、分かる。
好きとか嫌いとか、そんな感情では言いあらわせない。ここは―
突然、思考を遮るように温かな感触が右手から伝わってくる。見るといつの間にか小さな手が撫でていた手を取ってギュッと握っていた。じっと見上げてくる目は相変わらず、感情が読めない。なのに、泣きそうな顔をしている。
「・・・たいしたことじゃないから、だからそんなに心配しなくていいよ・・・」
大丈夫だと安心させるように微笑めば、小さな唇が開いてなにかを言いかける。けれどそれが言葉になる前に、背後で新たな気配がスッと舞い降りて、奇抜な衣装に身を包んだ案内人の姿が現れた。
「お待たせ致しました、余賀様。時間です、さあ参りましょう」
仰々しくお辞儀をしながら促す真坂木の言葉に、ああと短く返事を返して握られた手をやんわりと解く。「行ってくる、・・・オーロール、Qを頼むよ」少女の傍らに佇む女性に声をかけると、ゆっくりと頷くのが見えた。
黒く輝くカードを取り出して振り翳す。視界が変わる直前に映る、その景色。
ここから、金融街のすべてが見渡せる。
そう、この場所に来ると、いつも思うのだ。
1分でも1秒でも、早く。
この世界が終わればいいのに。