ワールド・エンド
背後から抱きしめられながら並んで立つと、目の前に赤い空と白で埋めつくされた建物が視界いっぱいに広がる。金融街を見渡せるこの場所は、彼とよく会う場所で。そして、きっと彼がこの街で一番気に入っている場所なんだと思う。
「三國さん、ここ好きだよね?」
確認するように問い掛ければ、少しの間をおいて頭を撫でられる。子供にするように撫でられながら、「・・・そうだな、自分じゃよく分からないから、どうだろうな」囁くような声でゆっくりと返事が返ってきた。
その曖昧な答えが彼らしくなくて、振り返って顔が見たいと思った。けれど、撫で続ける手にやんわりと制止されるように振り向くことができず、「そうなんだ・・・」と返すだけになった。
「・・・ディールには、もう慣れたか?」
黙ったままじっと動けないでいると、三國さんが気遣うように聞いてくる。その声がいつも通りの三國さんの声で内心ホッとした。
「うん、正直やりたくないけど、うまく戦えば相手も自分も少ない損失で済むから・・・」
でも相手の未来を奪っていることに変わりはないんだけど、と苦々しい気持ちで呟けば、「相変わらず、甘いな君は」と三國さんが呆れたような声を出した。
「いいだろ、べつに・・・俺が勝手にそうしたいだけなんだから」
三國さんみたいに強い人には分からないんだ。相手の未来を奪う恐怖も、自分の未来が奪われる恐怖も、ディールでの勝敗は残酷に、お互いの大切なものを奪い合う。恐怖も躊躇いも、どんな感情もその戦いの中では無意味で、ただ失いたくないから負けられないだけ。
どうすることもできない無力感に、唇を噛み締める。
「なら、・・・その相手を破産させなければならない状況になったら、君はどうする?」
一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。ゆっくりと振り返り、背後の男の顔を見上げる。優しく頭を撫でてくれていた手は、いつの間にか降ろされていた。
「・・・なんで、そんなこと聞くんだよ」
渇いた喉から、声を絞りだす。なんの意図があって、そんなことを聞くのか。見上げる男の顔は揶揄うでもなく、かといって怒っているわけでもない。ただ真摯に真っ直ぐに見つめられる。
その目は、問いに対する答えを待っていた。
もしも相手を、破産させなきゃいけなくなったら、俺は・・・
ぐるぐると答えの出ない問いが頭の中を回り続ける。なにか言わなければいけないと思うのに、麻痺してしまったかのように声が出せなかった。
張りつめた雰囲気が息苦しくて、沈黙の時間が短いようにも長いようにも感じられる。やがて三國さんから短いため息が洩れ、それにビクリと体が揺れた。
「悪かった、だからそんな顔をするな・・・」
苦笑とともに引き寄せられ、抱きしめられる。抱擁はけっして強い力ではなく壊れものを扱うように柔らかで、その声も仕草も優しさに溢れていて硬直していた体から少しずつ力が抜けていった。温もりにホッと息をついて、そのまま胸元に顔を預ける。
「・・・あまりにも君が甘いことばかりを言うから、少し虐めてみたくなっただけだ」
だから気にするな、と言う言葉は真実にも、嘘にも聞こえた。ただ聞いてみたかっただけだと三國さんは言うけれど、問い掛けてきたときのその顔は怖いぐらいに真剣で、息が詰まりそうになった。
「俺、その時になってみないと分からないけど、・・・でも、俺のせいで誰かが不幸になったり、消えたり、そんなの嫌なんだ・・・・・・誰かの未来を奪うなんて、絶対に嫌だ・・・」
考えて、考えて、そう答えるのが精一杯だった。実際にそんな状況になったとして、自分がどうするかなんてその時になってみないと分からないけれど。でも、これだけは確信をもって言える。
「でも俺が負けたせいで、俺の大切な人達が傷つくのも嫌なんだ・・・」
自分の言っていることは、矛盾しているだろうか。あれも嫌、これも嫌だなんて、目の前のこの人からしてみたら子供の我が儘に聞こえるかもしれない。
でも、それでも。
「俺は、俺の未来を守りたい・・・この先もずっと、・・・ずっと三國さんと一緒にいたいんだ」
これだけは、たとえなにがあっても絶対に譲れない願いだった。俺はこの人を失いたくないし、この先もずっと一緒にいたい。
俺の未来が続くかぎり、ずっと一緒に。
この気持ちが伝わればいいと、ぐっと強く目の前の温かい体に抱き着いた。俺の自分勝手なその願いに、「・・・そうだな。俺も、そう思うよ」と返ってきた言葉が泣きたくなるほど嬉しくて。
離れたくないし、離してほしくない。ずっとこうやって強く抱きしめていてほしい。
ただ、それだけが唯一の願いだった。