【サンプル】Giorni calmi
『えー、ただみーくんと一緒にネットに上がってた池袋の動画見てただけだもん! タイトルが池袋の戦場ってやつで、これ臨也くんが出てるねーって言ったらみーくん見たいって。それで』
「じはんきひゅんって! おもしろかったのー!」
ねーっ、と声を揃えて笑う帝人は可愛らしい。だが内容そのものが非常に頂けない。今なら子どもに対するネットの悪影響がどうのこうの、と声高に叫ぶPTAにも賛同できる気がする。
帝人とサイケの楽しげな笑い声が響く中、どうしようもない疲れを感じて臨也はため息を吐く。それを見計らったように波江がふっと笑い飛ばした。
「さすがの情報屋も知らなかったみたいね?」
「……知ってたらネットに上がってる動画全て削除してたさ」
「負け犬の遠吠えは醜いわね」
嘲笑さえ向ける波江に一言二言言ってやりたいが、今この場には帝人がいる。迂闊なことを聞かせるわけにもいくまい、教育上非常に悪い。さしてその辺を気にしない臨也でも流石に双子の前例というものがあるため慎重にはなる。あんなのにしてたまるか。
あえて無言を貫いた臨也の耳に、「あと、あとね!」と再び可愛い子どもの声。
「いざやさん! あれもみたい!」
あれー!と叫ぶ帝人が指さすものは、どうやら録画放送に切り替わったらしい番組。深夜だろう、照らすライトの下を高速で駆け抜ける黒バイク――そこで波江の表情もびくりと僅かにひきつった。
夜だというのに流れる車の間を縦横無尽に縫い回り、疾走する黒いバイク。やがて白で構成される警察の団体が登場し、カメラワークが追い付かないほどのカーチェイスが繰り広げられる。黒バイクが影を操るが警察の団体の一人だろう、一台の白バイはなんとその影の上を乗って黒バイクに迫った。本当に人間かあれ。
あれが噂の交機かとまんざら知らないわけでもないことを思い浮かべ、焦ってるなぁなどと思いながら黒バイクのライダーを観察していれば、どうにかこうにか彼女は逃げ切ったようだった。そこで番組はCMに切り替わる。途端向けられるのは帝人の歓声。
「すごいなぁ! いざやさん、あれもみたいです!」
「……君が言ってるのは警察の方? それとも黒バイク?」
「くろいほうです!」
目をきらきら輝かせて見上げる子どもを撫でてやりながら波江へと視線を向ければ、案の定、黒バイクと因縁浅からぬ彼女は苦虫を噛み潰した顔をして、忌々しげに画面を睨んでいた。
しかし腕の中の子どもは空気を読まずに見たいなぁ、見たいなぁと繰り返す。池袋の都市伝説、黒バイク。またの名を首なしライダー。様々な憶測を持って呼ばれる彼女の実態を知る臨也は、まあ会ったらあっちも喜ぶんだろうなと予想する。意外とあれで子ども好きだったりするのだ。
喧嘩人形よりだったら黒バイク。あっさりと臨也の中で指針は傾く。何より取引相手でもあるのだし、彼女に合わせるのはそう難しくは無い。ないのだが。
「帝人。そろそろ昼寝の時間でしょう」
「え……みかどねむくないです!」
「だめ。ちゃんと決まった時間に睡眠は取るものよ。さあ寝なさい」
「…………はぁい」
有無を言わせない様子の波江に帝人が項垂れた。普段ならばあまりない光景に臨也は僅かに目を眇めるが、その理由がなんとなくわかって笑みを噛み殺す。
波江と黒バイクには因縁がある。いや、正確に言うと黒バイクの――池袋の都市伝説と言われている、首なしライダー。その正体である妖精デュラハンの首と因縁があるのだ。今現在、池袋にいるデュラハンの首と体は離れている。故に波江が知るのは「首」のほうだけなのだが、とある一件で体の方もめでたく彼女の憎悪の対象となったのだった。
故にこの宣告も頷ける。少なからず彼女が気に入っているらしい帝人。彼を近づけたくないのだろう。
(今度こそ、って言うべきかな。女の嫉妬は怖いねぇ)
好かれたのは良かったのか悪かったのか。どうだろうねと腕の中の子どもを見返しても不思議そうに見つめ返すだけ。そんな臨也に焦れたのか、波江がもう一度声をかければ帝人がくい、と服の裾を引く。
渋々と言った様子で帝人が下ろしてとせがむ。そっとソファに小さな体を下ろしてやれば、子どもは礼儀正しく二人に向かって挨拶する。
「おやすみなさい、いざやさん、なみえさん」
「お休みなさい」
「お休み、帝人くん。昼寝から起きたらちょっとだけ遊んであげるから」
「! はい!」
わーい、と喜びながら寝室へと駆けていく子どもに転ばないようにねと声をかければ助手がじろりとこちらを睨む。
「なに波江さん」
「分かってると思うけど、仕事はどうするのよ。残業はごめんよ」
「大丈夫さ。大口の方は残っているのは報告書くらいだし、他の奴も網は張ったからね」
「そう。ならいいわ」
あっさりと引いた波江に肩を竦めて臨也は仕事に戻る。いつものようにデスクに向かい、キーボードを叩けば望んでいた情報が集まりつつあった。進度に満足し、それをさらに選りわけてプリントアウトする。同時に口頭で波江に指示を出せば、彼女は即座に実行した。
ちらりとパソコンの時刻表示に目を走らせれば、午後二時を指していた。時間が経つのは早いものだと思いながら、帝人が寝ているだろう部屋へと視線を走らせる。まだ彼は出てこない。
それまでが勝負だな、と臨也はさらに仕事を進めるべくキーボードを叩く。なんにせよ、時間は有効に使うべきだ。以前のようにこの事務所のなにもかもが臨也の思うように進むとは限らないのだから。
軽い息を吐いて再び仕事を再開する上司を横目に、波江もまた僅かな微笑を洩らす。随分勤勉になったこと。呟きは声にはならず、当然臨也には届かない。だが彼もそれを自覚している以上声に出して告げる気もない。
人間観察を至上の趣味として人を弄ぶ折原臨也。その性質は今も変わっていない。だが最近は人情を覚えたのか、と密かに噂されている。この男の捻くれ具合がそうそう簡単に変わるわけもないだろうにと一蹴しながら波江は想う。
臨也は単に振り回されているだけだ。少し前ならば歯牙にもかけなかった幼子に。
全人類に傾けられていた好奇心からなる博愛ではなく、慈しみのような愛をそうと自覚しないまま注ぐ男が己の感情を認識したのはつい最近。そうして現在の事態が出来上がる。
指示された内容をこなしながら波江はくすりと今度は笑った。臨也も気づいただろう、だが特に見咎める気もないらしい。パソコンを操作しながら、ふと思いついたとばかりに視線を向ける。
「あ、波江さん追加」
「なによ」
「それ終わってからでいいから、あの子のおやつ何か用意してくれる? 多分あと三十分くらいで起きだすと思うから」
「プリンなら冷蔵庫に入ってるわよ」
「一式でよろしく」
にこりと微笑む男は眉目秀麗の言葉が似合うほど美しい。だが波江の琴線は臨也の笑顔などでは動かない。それでも溜息一つで了承するあたりは波江も波江なのだろう。
臨也はどうでもいいが、帝人は違う。いかに波江が歪んでいようとも良心はあり、素直な子どもに懐かれて悪い気はしない。――そうして、彼女は指示を受け入れた。
毒されているのは臨也も波江も同じらしい。だが、悪くはないかもしれない。そんなことに互いに知らず笑みを刷く。
作品名:【サンプル】Giorni calmi 作家名:ひな