レイニーデイ/ライクアデビル
伏目がちな緑色の瞳が、窓の外、雨にけぶる街を陰鬱に見下ろしている。
会議で訪れた日本の首都は、長雨の季節が終わったと聞いたのに初日からどんよりと曇っていて、翌日からはしとしとと細い雨を降らせていた。
季節は初夏。ただでさえヨーロッパと違って湿度の高い土地である。
会議場への往復だけでそのむっとするような湿気に辟易した各国は、合間に設けられた休日も世界有数の繁華街へ繰り出すことはせず、同じく世界有数のホスピタリティを誇るホテルの中でのんびり過ごすことに決めたようだ。
日本のホテルマンはちょっとすごい。チラッと不満に思っただけで文句を言った覚えもないのに、次からは改善されてきている。いっそ気持ちが悪い。隠しカメラとか、盗聴器とか、あるんじゃないのか。そんな会話をしたことすら一度ではない。
それでもその不気味さを補って余りある過ごしやすさだ。部屋の清掃係に英語のわかる従業員を寄越すのも心遣いのひとつだろう。この国は島国で、それも歴史上殆ど誰にも領有されたことのない稀有な島だ。当然、言語も独自のものが根強く残っていて、外国語を解する国民の割合は非常に少ない。そんな中で、声を掛ける従業員が一人残らず英語を喋れるなんて偶然、あるはずがない。日本がこの部屋に携わる従業員を選んでいると見るのが妥当だろう。あの高慢なフランス野郎のところにはフランス語を操れるものが、いけすかない共産主義者のところにはロシア語に通じたものがそれぞれ従事しているに違いない。全く、呆れた根回しのよさだ。
備え付けのジムやプールで体を動かしてもいいし、恐ろしく広い大浴場(何十人から入れそうな浴槽が種々多様に用意されているのも謎。そもそも部屋には立派なバスルームが設置されている)を観光気分で回るのもいい。さらさらと糸みたいに降る雨の音を聞きながら小さな図書館で本を読んだっていいし、シアターで映画を見ることまで出来る。ラウンジのバーはこんな日だからか昼間からやっていて、そこでウィスキーを舐めながら少女のような東洋人が爪弾くピアノを聴いてもいいのだ。
なのに何故それらのいずれも選択せず、客室の窓から街並みを眺めているかというと、部屋のソファにアメリカがいるからだ。
行儀悪く靴のままの足を抱え込んで、立てた膝にJFK空港の売店で買ってきたというペーパーバックを乗せ、さっきから読みふけっている。
ソファは窓を背にするように配置されていて、イギリスから見えるのはぴょんとひと房毛の立った金色の頭とめくられようとしている安っぽい本のページ、ライムグリーンのパーカーのフード。そんなものだ。
ちらりと部屋の時計を振り返ると、部屋の扉がノックされてからかれこれ二時間が経過していた。
いい加減暇を持て余しすぎて、イギリスはそっと溜息を吐く。暇になると鬱々としてくるのは体質みたいなものだ。この分では今日のロンドンも雨だろう。
ジム、プール、風呂、図書室、シアター、ラウンジ。このホテルの施設を一つずつ思い返して、よし、ラウンジへ行こうと窓辺から離れた。
クローゼットから上着を取って、ルームシューズから革靴に履き変える。ベッドサイドに外しておいたカフスボタンと腕時計をつけて、ルームキーを捜したらローテーブルの上にあった。さっきアメリカがフロントで買ってきて、結局手も付けられていないタブロイド紙と一緒に放置されている。新聞は各国の主要なものが毎日部屋へ届けられるのだけど(日本の英字新聞ではなく日付まで本国の首都版。どうやって仕入れているのかは謎。もちろん、時差の関係で必ず朝届くわけではない)、タブロイドはその範疇ではなく、フロントへ行かないと手に入らない。アメリカは自室へ届けられる主要新聞ももちろん目を通すが、経済面と同じくらいこれらのゴシップが大好きなのだ。
しかしフロントから戻ってくるなりそれをテーブルへ放り出して、飛行機の中で読みきれなかったという本の中身にお熱なわけだから、何のために買ってきたのかわからない。一面にフルカラーの写真と目の痛くなる色彩で芸能人のスキャンダルをすっぱ抜いている新聞に、仲間意識のようなものを感じながら、これ以上鬱になる前にさっさとバーへ行こうとルームキーを取りあげた。たまに自分でも嫌気が差すが、このマイナス思考はどうにもならないらしい。
すっと踵を返した所で、ジャケットの袖をくいっと引かれた。
会議で訪れた日本の首都は、長雨の季節が終わったと聞いたのに初日からどんよりと曇っていて、翌日からはしとしとと細い雨を降らせていた。
季節は初夏。ただでさえヨーロッパと違って湿度の高い土地である。
会議場への往復だけでそのむっとするような湿気に辟易した各国は、合間に設けられた休日も世界有数の繁華街へ繰り出すことはせず、同じく世界有数のホスピタリティを誇るホテルの中でのんびり過ごすことに決めたようだ。
日本のホテルマンはちょっとすごい。チラッと不満に思っただけで文句を言った覚えもないのに、次からは改善されてきている。いっそ気持ちが悪い。隠しカメラとか、盗聴器とか、あるんじゃないのか。そんな会話をしたことすら一度ではない。
それでもその不気味さを補って余りある過ごしやすさだ。部屋の清掃係に英語のわかる従業員を寄越すのも心遣いのひとつだろう。この国は島国で、それも歴史上殆ど誰にも領有されたことのない稀有な島だ。当然、言語も独自のものが根強く残っていて、外国語を解する国民の割合は非常に少ない。そんな中で、声を掛ける従業員が一人残らず英語を喋れるなんて偶然、あるはずがない。日本がこの部屋に携わる従業員を選んでいると見るのが妥当だろう。あの高慢なフランス野郎のところにはフランス語を操れるものが、いけすかない共産主義者のところにはロシア語に通じたものがそれぞれ従事しているに違いない。全く、呆れた根回しのよさだ。
備え付けのジムやプールで体を動かしてもいいし、恐ろしく広い大浴場(何十人から入れそうな浴槽が種々多様に用意されているのも謎。そもそも部屋には立派なバスルームが設置されている)を観光気分で回るのもいい。さらさらと糸みたいに降る雨の音を聞きながら小さな図書館で本を読んだっていいし、シアターで映画を見ることまで出来る。ラウンジのバーはこんな日だからか昼間からやっていて、そこでウィスキーを舐めながら少女のような東洋人が爪弾くピアノを聴いてもいいのだ。
なのに何故それらのいずれも選択せず、客室の窓から街並みを眺めているかというと、部屋のソファにアメリカがいるからだ。
行儀悪く靴のままの足を抱え込んで、立てた膝にJFK空港の売店で買ってきたというペーパーバックを乗せ、さっきから読みふけっている。
ソファは窓を背にするように配置されていて、イギリスから見えるのはぴょんとひと房毛の立った金色の頭とめくられようとしている安っぽい本のページ、ライムグリーンのパーカーのフード。そんなものだ。
ちらりと部屋の時計を振り返ると、部屋の扉がノックされてからかれこれ二時間が経過していた。
いい加減暇を持て余しすぎて、イギリスはそっと溜息を吐く。暇になると鬱々としてくるのは体質みたいなものだ。この分では今日のロンドンも雨だろう。
ジム、プール、風呂、図書室、シアター、ラウンジ。このホテルの施設を一つずつ思い返して、よし、ラウンジへ行こうと窓辺から離れた。
クローゼットから上着を取って、ルームシューズから革靴に履き変える。ベッドサイドに外しておいたカフスボタンと腕時計をつけて、ルームキーを捜したらローテーブルの上にあった。さっきアメリカがフロントで買ってきて、結局手も付けられていないタブロイド紙と一緒に放置されている。新聞は各国の主要なものが毎日部屋へ届けられるのだけど(日本の英字新聞ではなく日付まで本国の首都版。どうやって仕入れているのかは謎。もちろん、時差の関係で必ず朝届くわけではない)、タブロイドはその範疇ではなく、フロントへ行かないと手に入らない。アメリカは自室へ届けられる主要新聞ももちろん目を通すが、経済面と同じくらいこれらのゴシップが大好きなのだ。
しかしフロントから戻ってくるなりそれをテーブルへ放り出して、飛行機の中で読みきれなかったという本の中身にお熱なわけだから、何のために買ってきたのかわからない。一面にフルカラーの写真と目の痛くなる色彩で芸能人のスキャンダルをすっぱ抜いている新聞に、仲間意識のようなものを感じながら、これ以上鬱になる前にさっさとバーへ行こうとルームキーを取りあげた。たまに自分でも嫌気が差すが、このマイナス思考はどうにもならないらしい。
すっと踵を返した所で、ジャケットの袖をくいっと引かれた。
作品名:レイニーデイ/ライクアデビル 作家名:JING