春夏秋冬
夢をみていた。
瞼を上げると、そこはおかしな世界だった。
高層ビルのように背の高い草花が目の前に広がっている。転がっている石でも、車くらいの大きさがあった。そして見上げるそこには、エメラルド色の空。伸びる蔓、茎、大きな葉、くっきりと浮かぶ葉脈、咲く花だ。
おれはその中を、埋もれて歩く。
まるで蟻の視点だ。歩幅も小さく、景色はなかなか変わらない。緑ばかりだ。
その葉のにおいと、微かに春のにおいもする。甘い、そして少しの酸味を持ったにおいだ。田島が旅立ったのも春だった。息がつまる季節だ。早く終わってしまえばいい。そう思い、手の平を握り締める。自ずと歩く速度は上がり、いつの間にか走り出していた。
世界は変わらない。ただ、緑の世界だ。見上げても、エメラルド色の空。逃げ出したい、と不意に思った。
はっは、と息が切れる。
どこを見ても同じ世界。
逃げたい、逃げ出してしまいたい。
はない!
田島の声だ。
走ると、いつだって田島の声が耳の中に響く。
花井、はない!と高らかに。
田島はいつもわらっていた。まとわりついてきてはわらっていた。けれどおれは知っている。田島悠一郎の目を知っている。それはおそろしいものだ、飲み込まれそうになるものだ。
硬く短い髪、鼻の頭のそばかす、平均より低い身長に、しなる筋肉。
おれは田島が野球を手放したとき、少しだけほっとした。
ああ、もう見なくてもすむのだとほっとしたのだ。
田島はザベトに似ている。
ドイツの放送劇だったように思う。その中にザベート、大きな大きな鳥の話がある。
それは全一なる永遠世界と人間世界を行き来することが出来、人間が知り得ない全知の言葉を持っていた。
しかし彼は、小さな女の子と出会う。そして女の子の名前であるエリザベートから取った「ザベート」と名づけられ、彼は次第に人間言語を覚えてゆくのだ。愚かな、ザベト。彼は人間の言語を覚えてゆくにつれ、全知の言葉を忘れていった。零れ落としていった。最後彼は、永遠世界に行くこともできなくなり、全知の言葉を失う。
おれは彼の姿を、大きなカラスだと思っていた。
人間よりも大きく、黒い羽に、ビー玉のような目をしていると想像していた。
田島と重ねていたのだ。
全知の言葉を持ち、永遠世界に行ける彼と。けれど田島は、決してザベトにはならない。持っているものを失ったりはしない。何かと引き換えに、それらを失ったりするはずがなかった。
田島は、ヒーローだった。
誰もがあこがれる四番だった。
決して何も、失ったりはしない。
おれはただ、走った。はっは、と息だけが切れて苦しい。どれだけ速く走ってもこのおかしな世界が変わりはしないというのに、おれはただ、走った。
目を眇めて走ると、浮かぶのは、田島だった。田島悠一郎でしかない。