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春夏秋冬

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ゆーめーはいーまも、めーぐーりーて。
わーすれーがーたき、ふーるさーとー。
耳の奥に、歌が響いた。重い瞼を上げて声のする方に顔を向けると、窓の向こうを眺める姿がそこにあった。
薄くなったそばかす。
髪は変わっていなかったが、夢で見たように顔は少し焼け、精悍なものになっている。その横顔には、土くれがついていた。
窓の向こう、庭の桜。
こーころざーしをはーたしーて。いーつーのひーにか かーえらん。やーまは、あーおきふーるさーと。
みーずは、きーよき、ふーるさーと。
調子っぱずれの歌。
しかしそれはがらんとした部屋の中を満たす。なみだが、目尻を伝って床に流れた。
花井、と窓の向こうに目を遣ったまま彼は言った。
「金はなかったけれど、たのしかったよ。色んなところで働いたし、何でもした。今度はもっと遠くへゆくんだ」
うん、と床に丸まったままおれは頷く。そして不意に、いつの間にか毛布がかけられていたことに気付いた。
「日本語が通じねえんだよなあ、外国って。それでもおれは色んな人間と話そうとしたし、身振りでね、少しは伝わるから、最初の内はずっとジェスチャーだった」
考えがつかない。けれどその横に転がったリュックは土やペンキやらで汚れていて、ボロボロになっていた。
「野球も、したよ。ちいさな子たちにまじって、キャッチボールもしたし、打席にも立った」
うん、と頷く。おれはわかっていた。田島は野球を捨ててなどいない。その道を選ばなかっただけだ。涙の粒が、床に流れ落ちる。田島が、わらっていた。
「それでも、ふるさとは、花井だ」
はないだった、と言って窓の向こうの桜を見ている。ちらちらと、窓の向こう。花びらが降っていた。
「時折会いたくなって、死にそうになるよ。わすれようとしたことも、あったけれど。思い出しては、会いたくなった。はない、あずさ。弱虫だ、なきむしだ。それでもほんとうは強く、だれよりもおれを心配してくれた。おれには心地よくって、だめだった」
田島がこちらを向き、近づいてくる。おれは両手で顔を覆い、その視線から逃げた。
「ふるさとは、花井だ。いつの日にか帰るところだ。山は青く、水は清い」
胸が、つまった。
田島がそっとおれの髪に触れ、夢と同じように、「髪、伸びたなあ」と言ってわらった。
耳に心地良い笑い声だった。
春のにおいが、甘い。
「土くれつけて、」
「うん、」
「どこへ、ゆくんだ」
「うん、花井の、いないところ、だ」
夢を、見たことがある。
そこには田島がいた。
雪景色の中、厳しい冬の中。それでも彼が角笛を吹けば、辺りは一面、春の装いになった。雪は消え、広がる野原。花が咲き、蝶や鳥が飛ぶ。春を呼ぶ、こども。
「それでも、かえってくるのは、ここだ」
しずかに、やさしく、髪を撫でる。おれは視界を閉ざしたままその声を聞く。
「おれがかえってくるのは、花井のいるところだ」
はない!と、声が聞こえてくるときがある。
走っているとき、バッターボックスに入った瞬間、眠るその前。
田島の声が耳に響く。
田島はおれの肩に額を寄せ、「否定、しないでくれ」と小さく呟いた。
肩が震える。
指の先が、しびれた。春のにおいだ。
「たじま、」
「ここが、かえってくる場所だ」
両手を下ろすと、窓の向こう、桜が見えた。田島がおれに寄り掛かる。その体温が心地よかった。
「はないあずさが、おれの、ふるさとだ」
黄色の絨毯。
今度は手を取り、共にゆきたいと、瞼を閉じておれは思った。
黄色の、絨毯。そこへゆきたい。


作品名:春夏秋冬 作家名:夏子