腕時計
「いま・・・」
何時だと思った瞬間、腕の時計の存在を思い出した。
それと同時に、山中の肩を時計の金具で傷つけてしまったのを
思い出す。
まだ山中は目覚めていない。
ここは彼のマンションで、まさか男同士でホテルという訳にも
いかず、いわゆる“こういう事”をする時は大抵、山中の
マンションだった。
彼は独身で恋人もおらず(私自身が“そう”であるのだろうが)、
両親は離れて住んでいて滅多に、ここには訪れない。
彼自身、勤務でながく自宅を留守にする事が多い。
山中は、私よりも二つほど年上で、私が表向き、一般的に
年齢に見合った家庭──妻と子という──を持っているのに
比べ、たまの休日にベッドで抱き合うのが公でも上司である私、
というのが彼にとって、本当は良い事であるはずがないと
理解していない訳では、なかったが。
山中は背中を向けて眠っていた。私がつけた肩の傷は目の前に
剥き出しになった肩とは違う方についているはずだ。
何せ久しぶりでお互いにがっついた。衣服の畳みかた等、厳しく
教練されて来たはずが、嘘のように床中に散らばっている。
山中はそんな中でもきちんと腕時計を外したようだが、
私は忘れてしまった。気付いた時には山中の右の肩に擦り傷を
作ってしまった。すまない、と慌てて口にしたが語尾を山中の唇に
さらわれた。外すはずの時計は手首ごと握られて、あとはもう
滅茶苦茶だった。
今こうして穏やかにベッドでまどろんでいると、腕の時計に
気が付いた、あの瞬間から性欲だけきれいに抜き出して、
タイム・スリップしたようだ。
背中を向けていた山中が、こちらにもぞもぞ向き直った。
狭いベッドに平均以上に体格の良い男二人で寝ているので
山中が動くたびに裸の身体のあちらこちらが触れ合った。
「いま・・・」
と山中がまだ眠そうな顔でヘッドボードの自分の腕時計を探る。
「まだ5時を過ぎたばかりだ。ラジオ体操にでも行くのかね?」
彼の目の前に時計の文字盤が見えるように腕をかざしてやる。
「まだそんなですか」
声が少し明瞭になる。
時計を探していた山中の手が自分の真上にかざされた
私の手首をとらえた。捕らえて、両手で腕の時計を外し始める。
「今更じゃないか?」
山中の動作は普段の彼らしくなく緩慢で、時計を外す手も覚束なく
くすぐったい。
「まだお休みになりますよね?」
やっと外し終えた時計は山中の腕時計とぴったりと寄り添うように
ヘッドボードに並べられた。
「ラジオ体操は小学校の夏休みの期間だけです、ここら辺では。
その代わりに、すぐ下の公園では早朝に太極拳をやっている
ようですが」
時間を気にするのは職業柄、だけだと言うのでは、けしてない。
課業中には絶対にお互い、微塵もこんな雰囲気は纏わない。
ながい就航が終わり、私が“家庭”へ戻るまえの、ほんの一時。
こちらに向き直った拍子にずれてしまった上掛けを、山中の背中を
覆うように掛け直してやってから、肩の擦り傷に触れた。
「痛いか」
「いえ」
「まぁ、これっぽっちだしな」
「当人が、そう仰るんですか」
山中が冗談交じりに非難の声をあげる。
「私が腕時計も外せないくらい、がっついてたのは君だ」
これは半分、嘘だ。
「そうです、艦長。いつも、がっついてるのは私の方です」
「反論しろよ、おまえもだろう、って」
「出来ません」
「・・・・・寝るんじゃなかったのか」
「休みますか、と聞いたんです」
もぞもぞと、山中の手が動いた。
「どちらも同じだ。“休む”んだろう」
「お嫌ですか。・・・あなたは、艦長、お休みになっていて
結構ですから・・・・・」
最後までする訳じゃありません、と前置いて、山中の手が動く。
私が物言わぬダッチ・ワイフでも無い限り、山中、セックスは一人で
するものじゃない。だがやはり私は淡白な性質なのか、ゆうべの
スポーツのような抱合で充分、足りており、だけれど熱心な山中の
動きに合わせ、年甲斐もなく(それを言っては彼の方が年は上なの
だが)中途半端に煽られた。
思えば妻とは、まだ子供の生まれていなかった新婚当時だけしか
こんな風に朝、まだ起きるのには早い時間に布団の中で・・・だとか
した事はなかった。結婚は日常になってしまう。主婦は目覚めれば
家事が待っている。そして彼女は惰眠を貪るような人じゃなかった。
それに私だって、こんな情熱的(?)に朝から頑張る人間ではない。
私はイカなかった。山中は勝手にイッた。手をティッシュで拭きながら
「すみません」と恥ずかしそうに謝るのが愛しいと思った。
これが、山中が私の妻で──いや、私が妻、という仮定もアリか。
だとしたら、目が覚めても早朝だとしたらもうひと寝入りするだろうが、
──カーテンの隙間から曙光が差し込んでいる──今日は天気に
なりそうだ、と早起きして洗濯しだすだろうか。
妻の笑顔が山中の顔に重なる。
彼女は普段ならもうそろそろ起き出す頃だ。
私は帰宅するのを今日の夜だと伝えてあるから、天気が良ければ
私の布団を、彼女は庭へ抱えて出して、きっとふかふかに干して
おいてくれる。
いつも、家に帰ると息子は大はしゃぎで私にまとわりつき、
彼が期待するように高く抱き上げると、少しずつ重くなっている。
母はほっとした表情を見せ(まだ海自勤務に抵抗があるらしい)、
妻は何気ない風を装い「おかえりなさい」と微笑む───
「布団、干さないか」
私の身体に腕を回したまま、もう一眠りするつもりの山中に、努めて
明るく提案してみる。
「あなたが帰られたあと、明日にでも天気が良ければ干す事にします」
何を突然、言い出すんだと言わんばかりに回される腕に少し力が篭る。
「明日にはこんな早朝から日差しが強いとは限らないが」
「では明後日にでも」
「私が、君の布団をふかふかにしたいのだが」
公では上司でも、プライベートでは年下の私に、最終的に
いつも“折れる”のは山中の方だ。
「・・・いいでしょう、干しましょう。でもまだ早いです」
不承不承、賛同したものの、まだ早朝だと思うからか山中の腕は
緩まない。時計の針は6時を少し過ぎた所だった。
「うん、8時くらいから干そう。朝食が出来るまで君は寝ているといい」
するりと山中の腕から抜け出した。彼の身体を越えてベッドから
降りようとすると手首をギュッと掴まれた。
「艦長、もう起きられるんですか?」
「6時だ、山中。早過ぎはしないと思うが」
「朝食・・・食材なんて、ありませんが」
「下のコンビニで何か見繕ってくるさ」
「あの、・・・艦長。もう少し一緒に・・・──」
私は構わずに起き上がり、手早く床に脱ぎ散らされた衣服の中から
自分の物を身につける。もともと眠たいわけでもなかった山中は、
それでも未練がましくベッドから起き上がり、小さく溜息をついた。
その様子が普段の山中らしくなく、そんな顔をするなよ、と頭を撫でて
やりたい衝動に駆られた。
「・・・普段、艦内にばかりいて、足りない分の日光を補うくらい、いい
天気だと思わないか?」
「コンビニには、私も一緒に行きます」
昨日と同じ衣服を身につけた私とは違い、山中は新しい衣服を出して
着替えた。部屋の隅には私の大きな鞄が置いてあり、その中には
何時だと思った瞬間、腕の時計の存在を思い出した。
それと同時に、山中の肩を時計の金具で傷つけてしまったのを
思い出す。
まだ山中は目覚めていない。
ここは彼のマンションで、まさか男同士でホテルという訳にも
いかず、いわゆる“こういう事”をする時は大抵、山中の
マンションだった。
彼は独身で恋人もおらず(私自身が“そう”であるのだろうが)、
両親は離れて住んでいて滅多に、ここには訪れない。
彼自身、勤務でながく自宅を留守にする事が多い。
山中は、私よりも二つほど年上で、私が表向き、一般的に
年齢に見合った家庭──妻と子という──を持っているのに
比べ、たまの休日にベッドで抱き合うのが公でも上司である私、
というのが彼にとって、本当は良い事であるはずがないと
理解していない訳では、なかったが。
山中は背中を向けて眠っていた。私がつけた肩の傷は目の前に
剥き出しになった肩とは違う方についているはずだ。
何せ久しぶりでお互いにがっついた。衣服の畳みかた等、厳しく
教練されて来たはずが、嘘のように床中に散らばっている。
山中はそんな中でもきちんと腕時計を外したようだが、
私は忘れてしまった。気付いた時には山中の右の肩に擦り傷を
作ってしまった。すまない、と慌てて口にしたが語尾を山中の唇に
さらわれた。外すはずの時計は手首ごと握られて、あとはもう
滅茶苦茶だった。
今こうして穏やかにベッドでまどろんでいると、腕の時計に
気が付いた、あの瞬間から性欲だけきれいに抜き出して、
タイム・スリップしたようだ。
背中を向けていた山中が、こちらにもぞもぞ向き直った。
狭いベッドに平均以上に体格の良い男二人で寝ているので
山中が動くたびに裸の身体のあちらこちらが触れ合った。
「いま・・・」
と山中がまだ眠そうな顔でヘッドボードの自分の腕時計を探る。
「まだ5時を過ぎたばかりだ。ラジオ体操にでも行くのかね?」
彼の目の前に時計の文字盤が見えるように腕をかざしてやる。
「まだそんなですか」
声が少し明瞭になる。
時計を探していた山中の手が自分の真上にかざされた
私の手首をとらえた。捕らえて、両手で腕の時計を外し始める。
「今更じゃないか?」
山中の動作は普段の彼らしくなく緩慢で、時計を外す手も覚束なく
くすぐったい。
「まだお休みになりますよね?」
やっと外し終えた時計は山中の腕時計とぴったりと寄り添うように
ヘッドボードに並べられた。
「ラジオ体操は小学校の夏休みの期間だけです、ここら辺では。
その代わりに、すぐ下の公園では早朝に太極拳をやっている
ようですが」
時間を気にするのは職業柄、だけだと言うのでは、けしてない。
課業中には絶対にお互い、微塵もこんな雰囲気は纏わない。
ながい就航が終わり、私が“家庭”へ戻るまえの、ほんの一時。
こちらに向き直った拍子にずれてしまった上掛けを、山中の背中を
覆うように掛け直してやってから、肩の擦り傷に触れた。
「痛いか」
「いえ」
「まぁ、これっぽっちだしな」
「当人が、そう仰るんですか」
山中が冗談交じりに非難の声をあげる。
「私が腕時計も外せないくらい、がっついてたのは君だ」
これは半分、嘘だ。
「そうです、艦長。いつも、がっついてるのは私の方です」
「反論しろよ、おまえもだろう、って」
「出来ません」
「・・・・・寝るんじゃなかったのか」
「休みますか、と聞いたんです」
もぞもぞと、山中の手が動いた。
「どちらも同じだ。“休む”んだろう」
「お嫌ですか。・・・あなたは、艦長、お休みになっていて
結構ですから・・・・・」
最後までする訳じゃありません、と前置いて、山中の手が動く。
私が物言わぬダッチ・ワイフでも無い限り、山中、セックスは一人で
するものじゃない。だがやはり私は淡白な性質なのか、ゆうべの
スポーツのような抱合で充分、足りており、だけれど熱心な山中の
動きに合わせ、年甲斐もなく(それを言っては彼の方が年は上なの
だが)中途半端に煽られた。
思えば妻とは、まだ子供の生まれていなかった新婚当時だけしか
こんな風に朝、まだ起きるのには早い時間に布団の中で・・・だとか
した事はなかった。結婚は日常になってしまう。主婦は目覚めれば
家事が待っている。そして彼女は惰眠を貪るような人じゃなかった。
それに私だって、こんな情熱的(?)に朝から頑張る人間ではない。
私はイカなかった。山中は勝手にイッた。手をティッシュで拭きながら
「すみません」と恥ずかしそうに謝るのが愛しいと思った。
これが、山中が私の妻で──いや、私が妻、という仮定もアリか。
だとしたら、目が覚めても早朝だとしたらもうひと寝入りするだろうが、
──カーテンの隙間から曙光が差し込んでいる──今日は天気に
なりそうだ、と早起きして洗濯しだすだろうか。
妻の笑顔が山中の顔に重なる。
彼女は普段ならもうそろそろ起き出す頃だ。
私は帰宅するのを今日の夜だと伝えてあるから、天気が良ければ
私の布団を、彼女は庭へ抱えて出して、きっとふかふかに干して
おいてくれる。
いつも、家に帰ると息子は大はしゃぎで私にまとわりつき、
彼が期待するように高く抱き上げると、少しずつ重くなっている。
母はほっとした表情を見せ(まだ海自勤務に抵抗があるらしい)、
妻は何気ない風を装い「おかえりなさい」と微笑む───
「布団、干さないか」
私の身体に腕を回したまま、もう一眠りするつもりの山中に、努めて
明るく提案してみる。
「あなたが帰られたあと、明日にでも天気が良ければ干す事にします」
何を突然、言い出すんだと言わんばかりに回される腕に少し力が篭る。
「明日にはこんな早朝から日差しが強いとは限らないが」
「では明後日にでも」
「私が、君の布団をふかふかにしたいのだが」
公では上司でも、プライベートでは年下の私に、最終的に
いつも“折れる”のは山中の方だ。
「・・・いいでしょう、干しましょう。でもまだ早いです」
不承不承、賛同したものの、まだ早朝だと思うからか山中の腕は
緩まない。時計の針は6時を少し過ぎた所だった。
「うん、8時くらいから干そう。朝食が出来るまで君は寝ているといい」
するりと山中の腕から抜け出した。彼の身体を越えてベッドから
降りようとすると手首をギュッと掴まれた。
「艦長、もう起きられるんですか?」
「6時だ、山中。早過ぎはしないと思うが」
「朝食・・・食材なんて、ありませんが」
「下のコンビニで何か見繕ってくるさ」
「あの、・・・艦長。もう少し一緒に・・・──」
私は構わずに起き上がり、手早く床に脱ぎ散らされた衣服の中から
自分の物を身につける。もともと眠たいわけでもなかった山中は、
それでも未練がましくベッドから起き上がり、小さく溜息をついた。
その様子が普段の山中らしくなく、そんな顔をするなよ、と頭を撫でて
やりたい衝動に駆られた。
「・・・普段、艦内にばかりいて、足りない分の日光を補うくらい、いい
天気だと思わないか?」
「コンビニには、私も一緒に行きます」
昨日と同じ衣服を身につけた私とは違い、山中は新しい衣服を出して
着替えた。部屋の隅には私の大きな鞄が置いてあり、その中には