星空ロマネスク
ふと、目を覚ました。緑川は枕元の目覚まし時計を確認すれば、時刻はすっかり夜中を示していた。そのまま寝直そうかとも考えたが、頭はすっかり冴えてしまっていてすぐに寝つけそうにはなかった。しばらくベッドの上で考えて、外の空気を吸いに行こうと部屋を出た。
宿舎の廊下はこの時間に相応しくすべての音をひそめていた。緑川は音をたてないように月灯りだけを頼りに足を進めた。
宿舎を出れば冬も近づいた風が緑川の身を包んだ。照明の落とされたグラウンドは、宿舎内と同じようにひどく静かだった。しかし雲ひとつない夜空には月と星が輝き、グラウンドを仄かに照らしていた。
軽くグラウンドの周りを走れば体も適度に疲れるだろう。そう決めて足を踏み出そうとした時、校庭の隅に人影を見つけた。
夜の闇を受けつけず、月灯りを全身に浴びて白皙の肌がより一層際立っている。そのあまりの白さに、緑川は一瞬この世のものではないなにかかと思い身の毛がよだった。すると突然人影がこちらを振り向いた。月灯りを受けて鈍く煌いた赤毛が揺れた。
「緑川じゃないか。どうかしたのか?」
「……ヒロトこそ、こんな時間にどうしたんだよ?」
荒くなった鼓動と裏返りそうになる声に気づかれないよう願いながら、緑川はヒロトのそばに寄った。
「よく眠れなくてさ。今日は星もよく見えるから、眺めてたんだ」
「オレも一緒だ。なんか目が覚めちゃってさ」
そうなんだ。ヒロトはそれだけ言って、夜空を見上げた。緑川も倣って見上げれば、言われてみれば確かに今夜はいつもよりすこし星がよく見えるような、気がした。
「ヒロトって、本当に星が好きだよね」
「そうだね。なんだろう、綱海くん的に言うと『星空の広さに比べれば、ちっぽけな話さ!』ってところかな。なにかあっても、星を眺めているととても落ち着くんだ」
そう言うヒロトの横顔はとても静謐で、なぜだか緑川はそれ以上彼に近づいてはいけないように感じられた。だから、それ以上踏み込まないようにすこし話題を変えることにした。
「あれが、北極星?」
緑川は上空高くに輝くひとつの星を指差した。ヒロトは隣で丁寧にその指が示す先をなぞって見上げた。
「あれはカペラだね。ぎょしゃ座の中で一番明るい星だよ」
「あ、そうなんだ……。じゃあ、あれはみずがめ座?」
「それはくじら座だよ」
「……そんな星座もあるんだ」
天体に関しては門外漢の緑川には初耳で、そのあまりの知識の無さに恥じ入った。
(理科の授業、もっと真面目に受けよう……!)
そんな緑川の決意をヒロトが気づくことは勿論なかった。
「あれがデネブとペガ、アルタイル。この三つが夏の大三角形を表しているんだ。ちなみに、ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星のことだよ」
ヒロトは数多に輝く星のなかから宝物を見つけ出すようにひとつひとつ指し示した。けれども緑川にはすべてが同じ星に見えてそれがどれなのかを選別できず、いつしか夜空に泳ぐヒロトの細く白い指先ばかり眺めていた。
「あのカシオペア座の右隣にあるのがケフェウスで、左側にあるのがペルセウス。ペルセウス座流星群はふたご座流星群、しぶんぎ座流星群と並んで年間三大流星群のひとつでね――」
まるで大切な秘密を打ち明けるように、ヒロトは優しく丁寧に説明してくれた。変声期を迎えきれていないヒロトの声は高からず低からず、緑川にはそれがひどく心地よく胸に響いた。一音も漏らさまいと、全身で受けとめて体のずっと深いところに浸透させていく。
宿舎の廊下はこの時間に相応しくすべての音をひそめていた。緑川は音をたてないように月灯りだけを頼りに足を進めた。
宿舎を出れば冬も近づいた風が緑川の身を包んだ。照明の落とされたグラウンドは、宿舎内と同じようにひどく静かだった。しかし雲ひとつない夜空には月と星が輝き、グラウンドを仄かに照らしていた。
軽くグラウンドの周りを走れば体も適度に疲れるだろう。そう決めて足を踏み出そうとした時、校庭の隅に人影を見つけた。
夜の闇を受けつけず、月灯りを全身に浴びて白皙の肌がより一層際立っている。そのあまりの白さに、緑川は一瞬この世のものではないなにかかと思い身の毛がよだった。すると突然人影がこちらを振り向いた。月灯りを受けて鈍く煌いた赤毛が揺れた。
「緑川じゃないか。どうかしたのか?」
「……ヒロトこそ、こんな時間にどうしたんだよ?」
荒くなった鼓動と裏返りそうになる声に気づかれないよう願いながら、緑川はヒロトのそばに寄った。
「よく眠れなくてさ。今日は星もよく見えるから、眺めてたんだ」
「オレも一緒だ。なんか目が覚めちゃってさ」
そうなんだ。ヒロトはそれだけ言って、夜空を見上げた。緑川も倣って見上げれば、言われてみれば確かに今夜はいつもよりすこし星がよく見えるような、気がした。
「ヒロトって、本当に星が好きだよね」
「そうだね。なんだろう、綱海くん的に言うと『星空の広さに比べれば、ちっぽけな話さ!』ってところかな。なにかあっても、星を眺めているととても落ち着くんだ」
そう言うヒロトの横顔はとても静謐で、なぜだか緑川はそれ以上彼に近づいてはいけないように感じられた。だから、それ以上踏み込まないようにすこし話題を変えることにした。
「あれが、北極星?」
緑川は上空高くに輝くひとつの星を指差した。ヒロトは隣で丁寧にその指が示す先をなぞって見上げた。
「あれはカペラだね。ぎょしゃ座の中で一番明るい星だよ」
「あ、そうなんだ……。じゃあ、あれはみずがめ座?」
「それはくじら座だよ」
「……そんな星座もあるんだ」
天体に関しては門外漢の緑川には初耳で、そのあまりの知識の無さに恥じ入った。
(理科の授業、もっと真面目に受けよう……!)
そんな緑川の決意をヒロトが気づくことは勿論なかった。
「あれがデネブとペガ、アルタイル。この三つが夏の大三角形を表しているんだ。ちなみに、ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星のことだよ」
ヒロトは数多に輝く星のなかから宝物を見つけ出すようにひとつひとつ指し示した。けれども緑川にはすべてが同じ星に見えてそれがどれなのかを選別できず、いつしか夜空に泳ぐヒロトの細く白い指先ばかり眺めていた。
「あのカシオペア座の右隣にあるのがケフェウスで、左側にあるのがペルセウス。ペルセウス座流星群はふたご座流星群、しぶんぎ座流星群と並んで年間三大流星群のひとつでね――」
まるで大切な秘密を打ち明けるように、ヒロトは優しく丁寧に説明してくれた。変声期を迎えきれていないヒロトの声は高からず低からず、緑川にはそれがひどく心地よく胸に響いた。一音も漏らさまいと、全身で受けとめて体のずっと深いところに浸透させていく。