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君がくれたもの

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夕食を終えて部屋に戻ると、全身を包んでいた張りつめた空気がほぐれ、ジャージ姿のままベッドに倒れ込んだ。
着替えるのも電気を点けるのもなにもかもがひどく億劫で、窓から差しこむ月灯りだけに仄かに照らされた天井を静かに見上げた。
考えているのはただひとつ。今日の試合の敗因だった。
勝てない試合ではなかったと、ヒロトは考えていた。円堂をはじめ、主要メンバーを四人も欠いた痛手は小さくなかったが、残されたメンバーも立派な日本代表選手たちだ。
いかに相手が鉄壁の守りを誇ろうとも、こちらにもいままでの苦難や荒波を打ち砕いてきただけの攻撃力は十分にあった。

(でも、負けてしまった……)

鉄壁の守りや、それを打ち砕く力があってもなくても、試合をしてみなければ結果がわからないのがサッカーである。ヒロトはそれを十分に理解していた。

(けれども、次にまたジ・エンパイアと試合をするようなことになったとしても、負けるわけにはいかない)

決して二度と同じ轍を踏まない。ヒロトはこれからの試合を踏まえて、今日の試合の問題点を頭のなかで挙げて、組み立てていく。
薄暗く静かな部屋のなか、突如電子音が響いた。ヒロトの携帯電話が着信を受けていた。
ヒロトはしばらく電話に出ようか出まいか考えて、結局ベッド脇に置いていた鞄の中の携帯電話に手を伸ばした。発信者の名前を確認し、また一泊考えて、通話ボタンを押した。

「もしもし?」
『もしもし。……いま、ちょっといいかな?』
日本とライオコット島との距離のせいなのかそうではないのか、緑川の声はすこし小さく聞こえた。
「大丈夫だよ。どうかしたのかい?」
『いや、今日の試合をテレビで見てさ。なんか、電話せずにはいられなかったって言うか……』
「負け試合になっちゃって悪かったね」
ヒロトは悪くないよ。そう言って緑川は黙りこんでしまい、薄闇の部屋が再び静寂に包まれた。

「……なにか、話したいことがあったんじゃないのか?」
『話したいことって言うか、その……お前がどうしてるのかなって気になって』

予想だにしなかった台詞に、ヒロトは両の目をパチクリとさせた。

「どうしてるって……別にどうもしてないよ。いまはちょっと今日の敗因をまとめて、次の試合にどう活かそうか考えてたところ」
携帯電話の向こうから、緑川の本当に小さなため息が漏れた。
『そうじゃなくてさ、今日負けちゃったから、落ち込んでたりしてるんじゃないかなって……』
 
自分が落ち込む。ヒロトは自分のその姿を想像して、思わず笑ってしまった。すると、電話口の緑川はすこし怒っているような、気を悪くしたような口調になった。

『やっぱり……』
「なにがやっぱりなのさ?」
緑川がわざわざ電話までして自分になにを伝えようとしているのか、ヒロトには皆目見当がつかなかった。

『……ヒロトってさ、あんまり自分のこと表に出さないだろ』
「……」
『いまだって、負けたのに悔しいとか、悲しいとか、そういうの何とも思ってないみたいでさ。……俺はもっと、ヒロトは自分の感情に正直になってもいいと思うんだ』
 
緑川の言葉を、ヒロトは黙って静かに受けとめた。そしてふと、昔誰かに「感情の起伏に乏しい子」と評されたことを思い出した。

「緑川もよく知ってるだろ。俺はそういう性格だって」
『わかってるよ。……わかってるから、だからもっと自分に素直になってもいいんじゃないかって言ってるんだ』

素直になる。自分の感情をさらけ出す。嬉しいことがあれば笑い、面白くないことがあれば怒り、思い通りになれなければ悔しくなり、悲しいことがあれば泣く。それはきっととても自然なことなのだろう。 
けれども、それのなにに意味があるのかヒロトには理解できなかった。笑っても、怒っても、悔しくても、泣いても、現状にどれだけの変化が起こり得るというのだろう。

「俺には、そういうのは難しすぎるよ」

電話越しで見えないはずなのに、なぜだかヒロトは緑川がひどく悲しそうな顔をしているような気がした。その予想が的中したのか、電話口の向こうから緑川が鼻をすする音が漏れた。

『……そんなことないよ』

緑川の声はひどく掠れていた。(ああ)(泣かせてしまったかもしれない)でも、この距離では髪を撫でてやることもままならない。ヒロトには理解することも実践することも難しい緑川の提言だったが、彼がなによりも自分のことを考え、思って伝えてくれている気持ちは痛いほどにわかった。だからこそ、余計にもどかしい。

『俺、たまにヒロトがものすごく遠くに感じるんだ。いま離れてるからってわけじゃなくて、隣にいて、一緒に話したり笑ったりしてても、隣のヒロトがヒロトじゃないような気がする時があるんだ。……まるで、ヒロトが本当の自分を隠して、別のヒロトを演じてるみたいに思えてさ』

作品名:君がくれたもの 作家名:マチ子