clip
「せっかくの休みだろう……」
その呆れた声は何度目だろう、ドアの壁に寄り掛かった三國は小さな溜息をついた。
休日、三國の家で公麿は部屋を片付けていた。
それは数日前に、突然三國が公麿の部屋を作ろうと提案してきたのだ。彼は共に住みたいと言ってきていることから、その計画に向けての一歩だろうが、同棲いや、同居だけは断り続けてきた。
共に生活をすることが嫌なわけではない、三國の世話になるのが嫌なのだ。公麿にとってそれは大きな理由の一つであり、もう一つ強いてあげるならば、大学に自宅の方が近いというのもある。これは学生にとっては大きな理由だ。
そして、帰るのではなく、通うということにときめきを感じるのもある。こうして、三國の家と通うことが、公麿にとっては楽しいことなのだ。
公麿にとって初めてのおつきあいであり、恋人との関係は未知数でどうつきあって良いのかがわからない。それは三國も同じらしく戸惑いを感じているのがわかる。公麿としては、もう少し恋愛期間を置きたいのだ。同棲することよりも、通う方に意味がある気がする。
年の離れた恋人への戸惑いは三國も同じらしく、時間に余裕が出来る度にデートにへと誘われる。完璧にリサーチされた場所は、一般的には喜ばれる場所ではあるが、残念ながら公麿はその一般的な概念には含まれない。返って落ち着かないことも多く、公麿としてはこうして二人だけで部屋にいる方を好んでいた。
「あっ、あんたは休んでいていいから……」
部屋を用意すると言って聞かない三國を断り続けていたが、業者にリフォームを頼むとまで言い始めた三國を制するための苦肉の策がこの部屋の整理だった。
いくつか余っている部屋の一つを自分で使えるようにしたいと、公麿は三國に提案したのだ。勿論、それも業者をと言われたが、自分ですることら意義があるのだと公麿は主張し押し通した。
その結果いくつかある中から、一番小さな洋室、物置のようになっているこの部屋に決めた。
勿論、反対されたがそれも押し通した。もっと部屋らしくなど、客間があるのだと言われたが、基本的に和で統一された室内で、小さな洋間はこの部屋のみだった。なによりも……
「どうせ、寝室は一緒なんだし狭くても問題ないだろ」
ベッドを部屋に入れないのだからと言った時、あの三國が頬を赤らめ整った顔立ちを崩してまで浮かべた至福の表情を公麿は忘れることが出来ない。あの顔を思い出しただけでも、こちらの顔がにやけて緩むのだ。あの男に惚けた顔をさせたのだと思うと、嬉しくて仕方がない。
にやけた顔を隠すために作業に没頭すれば、背後からの視線が痛い。気になるのか、それとも心配なのか、手伝うことはないが、黙って三國は公麿の姿を見つめている。
『働いているお前が好きなんだ』
そう言われて、コンビニによく現れたことを思い出した。最近は、止めてくれと言った手前滅多に現れないが、それでも気が向けばバイト終わりを待っていてくれている。
そんなに自分は男として足りないのだろうか、返って不安を感じるのだ。確かに、まだ公麿は子供だ。だが、自立はしているし、男としてのプライドもある。比べてしまえば自分などまだまだだろうが、それでもそこまで頼りなくはないと自負している。
三國は完璧な男に、大人に見えた。だが、付き合い始めるとそうでもないことに気付く。どこか不器用なところがあって、自分との付き合いに悩んでいるような、距離を測りかねているようなところを感じるのだ。その戸惑いと焦りのようなものを感じる度に、より愛しさが公麿の中に溢れてくる。
今も背後から見守っている視線にそれを感じながら、爪先が何かを弾いた。
「カセット……?」
無造作に置かれていたのか、それともどこから落ちたのだろうか、爪先が弾いたものの正体はカセットテープだった。
「これ……」
どこから落ちてきたのか、何処にあった物なのか、それを問い掛けただけだったのに、三國の反応は公麿にとっては意外なものだった。
「それは……、関係ないものだ」
ひょいと背後から取り上げられたそれを公麿は見上げていた。
テープ、男の蓄えられた顎髭、そして少し戸惑っているような焦った三國の表情、見上げた瞬間飛び込んだ光景だった。
「気になるんだけど……」
好奇心というよりも、三國の困った表情が見たかったのかも知れない。何かを隠しているようなそんな気すら感じる。ならば、暴いてみたいと思ったのだ。
「えっ、いや、これは……」
らしくなく言い淀む三國の態度に、いよいよ公麿は不信感を募らせていく、何が録音されているのか、三國とって聞かせたくない何かなのかと思えばその内容を知りたくなるのは当然の結果だった。
「なんか、俺に聞かれちゃまずいもんなの?」
じっと大きな瞳が三國を見つめている。鋭いとは言い難いが、真摯な眼差しの前にいつも三國は己を保つことが出来ずにいる。まっすぐに、無垢に前だけを見つめる眼差しの前に繕うことなど無意味だった。
「まずくはないが……、いい物でもないぞ」
「だから、それなに?」
「デモテープだ」
「デモテープ?」
渋々と言った面持ちで語り始めた三國の過去は、公麿の想像を超えていた。バンド活動をしていたなど、今の三國の姿からは想像が付かず、見せてくれとせがんだがそれだけは頑なに拒否されてしまった。そして、このテープはその頃のものらしい。聞かせて欲しいと何度もせがんで、漸く折れた三國の手によってデッキにカセットは入れられた。
ソファーに公麿は沈むように座ると、その隣に三國もまた腰を降ろしスイッチを入れた。
ギターの音が聞こえる。技巧などは公麿に判るはずもなかったが、馴染みやすい音はすぐに耳へと浸透し、そして聞き慣れた声色の歌が始まった。今よりも少し若いのか張りはあるが、艶は少し少ないがそれでもあの声が歌を奏でている。
劣化しているのか音質の悪い音源の歌詞が聴き取りづらいが、そのメロディは優しく柔らかい。そこにどこか悲しげにせつなくて、どこか儚い声が言葉を伴わずに音を奏でている。
「これ? あんたの声だろ?」
「ああ……、昔バンドをやっていて……」
初めて聞くそれに食い入るように耳を澄ます公麿の隣で、三國はそんな公麿の姿を見つめていた。
「あんた、凄いな。なんでもできるんだな……」
憧憬の眼差しが三國に向けられるが、普段ならば受け入れるであろう三國は、少し照れているのか顎髭を弄りながら小さく呟いた。
「俺が歌っていたわけじゃない」
「えっ? これあんたの声だろ?」
「ああ、仮歌なんだこれは……」
「仮歌ってなに?」
バンドのボーカルが曲を覚えやすくするために、仮に歌を入れた物だと三國は説明してくれた。
「ボーカルがいたんだ」
「そうだ。とても巧くてなぁ……」
「ふぅーん、でも俺、三國さんの声好きだし、あんたも歌えばいいのに……」
ソファーの上で膝を引き込み抱えて丸くなる公麿は、そのまま膝頭に顔を埋めた。声が好きだと告白することは、公麿には気恥ずかしく赤く染まった顔を隠した。
だが、聞こえてきたのは三國の笑い声だった。
「なんだよっ 笑うこと……」
その呆れた声は何度目だろう、ドアの壁に寄り掛かった三國は小さな溜息をついた。
休日、三國の家で公麿は部屋を片付けていた。
それは数日前に、突然三國が公麿の部屋を作ろうと提案してきたのだ。彼は共に住みたいと言ってきていることから、その計画に向けての一歩だろうが、同棲いや、同居だけは断り続けてきた。
共に生活をすることが嫌なわけではない、三國の世話になるのが嫌なのだ。公麿にとってそれは大きな理由の一つであり、もう一つ強いてあげるならば、大学に自宅の方が近いというのもある。これは学生にとっては大きな理由だ。
そして、帰るのではなく、通うということにときめきを感じるのもある。こうして、三國の家と通うことが、公麿にとっては楽しいことなのだ。
公麿にとって初めてのおつきあいであり、恋人との関係は未知数でどうつきあって良いのかがわからない。それは三國も同じらしく戸惑いを感じているのがわかる。公麿としては、もう少し恋愛期間を置きたいのだ。同棲することよりも、通う方に意味がある気がする。
年の離れた恋人への戸惑いは三國も同じらしく、時間に余裕が出来る度にデートにへと誘われる。完璧にリサーチされた場所は、一般的には喜ばれる場所ではあるが、残念ながら公麿はその一般的な概念には含まれない。返って落ち着かないことも多く、公麿としてはこうして二人だけで部屋にいる方を好んでいた。
「あっ、あんたは休んでいていいから……」
部屋を用意すると言って聞かない三國を断り続けていたが、業者にリフォームを頼むとまで言い始めた三國を制するための苦肉の策がこの部屋の整理だった。
いくつか余っている部屋の一つを自分で使えるようにしたいと、公麿は三國に提案したのだ。勿論、それも業者をと言われたが、自分ですることら意義があるのだと公麿は主張し押し通した。
その結果いくつかある中から、一番小さな洋室、物置のようになっているこの部屋に決めた。
勿論、反対されたがそれも押し通した。もっと部屋らしくなど、客間があるのだと言われたが、基本的に和で統一された室内で、小さな洋間はこの部屋のみだった。なによりも……
「どうせ、寝室は一緒なんだし狭くても問題ないだろ」
ベッドを部屋に入れないのだからと言った時、あの三國が頬を赤らめ整った顔立ちを崩してまで浮かべた至福の表情を公麿は忘れることが出来ない。あの顔を思い出しただけでも、こちらの顔がにやけて緩むのだ。あの男に惚けた顔をさせたのだと思うと、嬉しくて仕方がない。
にやけた顔を隠すために作業に没頭すれば、背後からの視線が痛い。気になるのか、それとも心配なのか、手伝うことはないが、黙って三國は公麿の姿を見つめている。
『働いているお前が好きなんだ』
そう言われて、コンビニによく現れたことを思い出した。最近は、止めてくれと言った手前滅多に現れないが、それでも気が向けばバイト終わりを待っていてくれている。
そんなに自分は男として足りないのだろうか、返って不安を感じるのだ。確かに、まだ公麿は子供だ。だが、自立はしているし、男としてのプライドもある。比べてしまえば自分などまだまだだろうが、それでもそこまで頼りなくはないと自負している。
三國は完璧な男に、大人に見えた。だが、付き合い始めるとそうでもないことに気付く。どこか不器用なところがあって、自分との付き合いに悩んでいるような、距離を測りかねているようなところを感じるのだ。その戸惑いと焦りのようなものを感じる度に、より愛しさが公麿の中に溢れてくる。
今も背後から見守っている視線にそれを感じながら、爪先が何かを弾いた。
「カセット……?」
無造作に置かれていたのか、それともどこから落ちたのだろうか、爪先が弾いたものの正体はカセットテープだった。
「これ……」
どこから落ちてきたのか、何処にあった物なのか、それを問い掛けただけだったのに、三國の反応は公麿にとっては意外なものだった。
「それは……、関係ないものだ」
ひょいと背後から取り上げられたそれを公麿は見上げていた。
テープ、男の蓄えられた顎髭、そして少し戸惑っているような焦った三國の表情、見上げた瞬間飛び込んだ光景だった。
「気になるんだけど……」
好奇心というよりも、三國の困った表情が見たかったのかも知れない。何かを隠しているようなそんな気すら感じる。ならば、暴いてみたいと思ったのだ。
「えっ、いや、これは……」
らしくなく言い淀む三國の態度に、いよいよ公麿は不信感を募らせていく、何が録音されているのか、三國とって聞かせたくない何かなのかと思えばその内容を知りたくなるのは当然の結果だった。
「なんか、俺に聞かれちゃまずいもんなの?」
じっと大きな瞳が三國を見つめている。鋭いとは言い難いが、真摯な眼差しの前にいつも三國は己を保つことが出来ずにいる。まっすぐに、無垢に前だけを見つめる眼差しの前に繕うことなど無意味だった。
「まずくはないが……、いい物でもないぞ」
「だから、それなに?」
「デモテープだ」
「デモテープ?」
渋々と言った面持ちで語り始めた三國の過去は、公麿の想像を超えていた。バンド活動をしていたなど、今の三國の姿からは想像が付かず、見せてくれとせがんだがそれだけは頑なに拒否されてしまった。そして、このテープはその頃のものらしい。聞かせて欲しいと何度もせがんで、漸く折れた三國の手によってデッキにカセットは入れられた。
ソファーに公麿は沈むように座ると、その隣に三國もまた腰を降ろしスイッチを入れた。
ギターの音が聞こえる。技巧などは公麿に判るはずもなかったが、馴染みやすい音はすぐに耳へと浸透し、そして聞き慣れた声色の歌が始まった。今よりも少し若いのか張りはあるが、艶は少し少ないがそれでもあの声が歌を奏でている。
劣化しているのか音質の悪い音源の歌詞が聴き取りづらいが、そのメロディは優しく柔らかい。そこにどこか悲しげにせつなくて、どこか儚い声が言葉を伴わずに音を奏でている。
「これ? あんたの声だろ?」
「ああ……、昔バンドをやっていて……」
初めて聞くそれに食い入るように耳を澄ます公麿の隣で、三國はそんな公麿の姿を見つめていた。
「あんた、凄いな。なんでもできるんだな……」
憧憬の眼差しが三國に向けられるが、普段ならば受け入れるであろう三國は、少し照れているのか顎髭を弄りながら小さく呟いた。
「俺が歌っていたわけじゃない」
「えっ? これあんたの声だろ?」
「ああ、仮歌なんだこれは……」
「仮歌ってなに?」
バンドのボーカルが曲を覚えやすくするために、仮に歌を入れた物だと三國は説明してくれた。
「ボーカルがいたんだ」
「そうだ。とても巧くてなぁ……」
「ふぅーん、でも俺、三國さんの声好きだし、あんたも歌えばいいのに……」
ソファーの上で膝を引き込み抱えて丸くなる公麿は、そのまま膝頭に顔を埋めた。声が好きだと告白することは、公麿には気恥ずかしく赤く染まった顔を隠した。
だが、聞こえてきたのは三國の笑い声だった。
「なんだよっ 笑うこと……」