最強の敵?
パタンと宿屋の扉を後手に閉めて外に出ると、ランディは大きく息を吐いた。夜気に誘われるように広場の奥にある安全柵まで歩を進めて柵に肘をつくと、同時に、深いため息が零れ落ちた。
昼間は遠くに見えていた山々も今は闇に沈み、代わりに街中よりも明るく見えるたくさんの星が頭上に輝いている。高地にあるせいか、クロスベル街中よりも冷えた空気が煮詰まりそうな頭を冷やしてくれるが、冷静になったところで絡んでしまった思考の糸はなかなか解けそうになかった。
「どうしたもんかなぁ。」
思わず口をついたのは、そんな言葉だ。
ランディの心は今、一人の人物に埋め尽くされようとしていた。恋患いなどという照れくさい言葉が似合う年齢はとうに過ぎたと思っていたが、今の状態はまさしくそれだ。そんな自分に呆れながらも、『彼』のことを思うと口元が緩むのを抑えられないのだから仕方がない。
そう、ランディの心を占めているのは女性ではない。
ロイド・バニングス。少年めいた幼い容姿とは裏腹に、鋭い推理分析力と確かな実行力を併せ持つ彼らのリーダーだった。
まさか自分が、男に心奪われる日が来るとは思った事もなかった。今だって、お嬢様気質は抜けないがすれてない感じが好印象のエリィも、年の差はアレだが美少女と言って遜色のないティオという、二人のレベルの高い女性と行動を共にしているのに。受付のフランも昨日病院で会ったセシルも、他の看護婦さんたちも、皆とびきりの美人さん揃いだというのに。
それなのに、ランディの心にチクリとした痛みを与えるのは『彼』、ロイドなのだ。
同性という慣れない相手ということもあって、積極的なアプローチがしにくいのは確かだ。だがそれでも消極的なわけではない。それなのに、伝わらないというか、なんというか。
手ごたえが、ない。その一言に尽きる。
もう一度大きなため息をついてくしゃりと前髪をまぜて突っ伏す。その脳裏に、つい先ほど村長宅前でのやりとりが浮かんできた。
西日を受けて輝く意志の強い瞳がほんの一瞬動揺したように揺れ、すぐに伏せられた。あれは、ランディが笑いかけた直後ではなかっただろうか。
その後、微妙に赤く見えた顔は、西日のせいなどではない……と思いたい。時折見せる照れたような笑顔や、不自然に反らされる視線は脈アリと思っていい……はずだ。
(なんて、グダグダ悩むなんざ俺らしくねーか。)
吹っ切れたような心の声に、口角が上がる。ランディは顔を上げてぐっと拳を突き上げた。
「よっしゃぁ、気合入れて落とすぜ!」
「何を?」
「っ!?」
突如聞こえてきた声に息を飲む。
振り向くより早く、ひょこりと真横から顔を覗き込んできたのは、今の今まで自らの思考を支配していた人物。ランディに並んで柵に手をつくと、ロイドはアーモンド色の瞳を瞬かせた。
「何を、気合入れて落とすんだ?」
「え、あ、いや、こっちの話……?」
重ねて問われた質問に、らしくなくうろたえる。不自然な疑問系になった回答がさらにランディを慌てさせていることには気付かず、ロイドはふぅん、と小さく頷いた。
「暗くて見えないけど、この下にも鉱員の家があるんだぞ?」
「いや、ここから何かを落とそうって言うんじゃ……つーか、部屋で休んでるんじゃなかったのか。」
「うん、そのつもりだったんだけどさ……なんか、ね。」
「なんだ?緊張してんのか?」
気の抜ける会話を挟むうちに平静さを取り戻したランディが鼻先で笑う。だがロイドは小さく首を振った。
「違うって。昨日からの強行軍で疲れてるだろうから、女性だけのほうが寛げるかなって。」
一瞬だけ、背後の宿屋に視線を送ってふわりと笑う。同僚を気遣う柔らかな表情を怪しまれない程度に堪能し、視線を前に戻して相槌を打つ。
「確かに。一度大丈夫だって言っちまったら、意地でも大丈夫なフリをしようとするからなぁ。ウチのお嬢さん方は。」
前日のアルモリカ村への道中を思い出して自然と笑みが浮かぶ。それはロイドも同じようで、クスクスと小さく笑い声をもらした。
(ちくしょう、かわいいじゃねーか。……じゃなくて!)
隣で笑う男の笑顔に抱いた感想があまりに自分らしくなくて、ランディは軽く落ち込みながら心中で突っ込みを入れる。そんな葛藤を知ってか知らずか、ロイドはふいに笑いを止めた。
「まぁ、それだけじゃないけどね。」
ざくりと地を踏みしめる音につられるように視線を移せば、ロイドは身体ごとランディに向き直っている。
「ロイ―」
「ランディと話がしたかった。」
「っ……」
穏やかな表情に真摯な光が宿った瞳と正面でぶつかって、思わず息を飲む。逸る心を抑えて、意識して片頬を上げてみせる。
「なんだなんだ?改まって。」
大きく息を吸って冷たい空気で肺を満たし、それを声として吐き出す。不自然なまでに自然さを装うランディの問いに、すっとロイドが視線を逸らした。
「ずっと、気になっていたんだ。……その、なんていうか……」
逡巡するように呟く声にどきりと鼓動が跳ね上がった。彼の動きにあわせて、少しクセのある髪がふわふわと揺れ、僅かに俯いた顔をランディから隠してしまう。思い悩んでいるような様子は消えてしまいそうなほど儚く感じられ、ランディの心に言いようのない不安にも焦りにも似た感情が生まれる。
思わずロイドへと伸ばした腕が、次の瞬間、ぴたりと止まった。
「マインツからクロスベルまでは基本一本道だろ?」
「……へ?」
まぬけな声をあげるランディに気付かず、ロイドは暗闇の中、導力灯の明かりで浮かび上がるバス停を振り返った。その横顔は捜査官のものだ。
「奴等は町の人を襲った魔獣を回収して、必ず街道を通る。それなら街道に一人配置したほうが、確実に逃走を防げるんじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
(いや、どうかな、じゃなくて。)
ロイドに届かなかった手を自分の顔へ向けて頬をかき、いまだ届きそうにない想いを胸にしまって、ランディは心の中で呟く。だがそれも一瞬のこと。すぐに思考を仕事へと切り替えた。
「相手は狼型の魔獣を連れている。下手に出入口を塞ぐと、街に入る前に気付かれる可能性がある。」
振り返ったロイドの瞳が、導力灯の明かりを受けてキラキラと輝く。その光に心奪われながらも言葉を続けていく。
「それに、相手はルバーチェだ。人一人立っていたって気にも留めずに突っ込んでくるだろうよ。正直、おすすめできねぇな。」
そこまで一気に言って、ふと違和感を覚えた。
ロイドは、任務をこなすことに関して誰よりも熱心だが、だからといって仲間を危険に晒すようなことは今までにしたことがない。そんな彼が、戦力を分断するような作戦を立てるだろうか。
「おいロイド。」
「やっぱりそうか。」
ふ、と目元を和らげてそう呟くと、ロイドは柵に背を預けるように寄りかかった。そのまま空へと顔を向ける。
「そうだよな、逃走経路を絶つっていうのは無理があるよなぁ。」