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[アクさく] 空の下、星の下

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だって持ってくるわけないじゃない、今朝はあんなに晴れていたんだから、というのが佐隈りん子の言い分だ。

 出がけに眺めていたニュースを解説する天気予報士はいい笑顔だったし、マンションを出る佐隈を迎えた朝空は入道雲さえ湧きたつほど見事にちがいなかった。西にわずかばかりの雲がかかっていたのを除いては。だが、彼女はそれは知る由もないことだ。雨傘にいたっては、まさか持っているわけがない。もとより、佐隈は細かい事柄に、彼女が「どうでもいいや、そんな細かいこと」と思ったあらゆる事柄について、ろくに意に介しない性分なのだ。例えば、これといった疑問もなく悪魔と食卓を共にするくらいおおらかで、悪く言えばでたらめにできている。

 ちぎれ雲が群れをなして首都圏に訪れた気圧の谷が、まさに夏日の気温に躓いたといったところか。昼前までの清々しい初夏の空気は一変、佐隈が大学での午前の授業を終えて最寄り駅に入ると、あいにくの空はしおしお泣いていた。とは言え、キャンパスから駅まではアーケードを辿れば雨具がなくとも凌いでいられる。あとはいつものように、駅から自宅までの数分を走り抜ければいいだけ。必要ならマンションに着いてすぐシャワーを浴びれば問題ない、はずだったのに。
 今日は事情が違う。残念なことに、今から芥辺探偵事務所のアルバイトとして夜までみっちり予定が入っている。篠突く雨のなか、駅から傘のひとつも差さずに遮二無二事務所へやってきた濡れねずみを目にして、あの悪魔たちは何と笑い飛ばしてくるだろう。考えるだに気が滅入る。傘を持って来ればよかったな、と口をついて出る後悔さえ、今更ではどんな役にも立ちそうになかった。

 携帯電話に浮かぶ液晶の数字を見るなり、佐隈はほっと息を漏らす。雨の影響で電車のダイヤが乱れていた。大学から渋谷までまっすぐ来た努力は、どうやら報われたらしい。まだ出勤時間より二十分ほど前。事務所の最寄りである渋谷駅は人で溢れてしばらくは波の引く気配もなかった。それぞれ困り顔で手持ち無沙汰に広いコンコースから外を覗き見ている人々は、自分と同じように雨に足止めを食らっているのだろうか。佐隈もつられて外を見やった。なんとも例えがたい、茫洋とした薄鈍色の空がどこまでも広がっている。かれこれ一時間ほどこの調子だ。すぐは雨足も去らないだろう。
 よし、じゃあ、仕方ない、走るか。
 佐隈は鞄からハンドタオルを抜きとり、代わりに携帯電話を鞄の底へと押しこんだ。世のなかの女子で極上にタフな部類に属する佐隈は、悩むことにもそう時間を割かないタイプだ。雨宿りするのもひとつの案かもしれない。けれど、もしも約束の時間に遅れることがあったらどうなるだろう。生意気な小悪魔たちよりも、たったひとりの雇用主からの小言が佐隈にとってそれこそ恐ろしかった。でも、そういえばあの人から手ひどい叱咤を受けたことってまだ一度もないな。駅前に敷かれた赤茶のタイルは雨露のために普段よりずっと色が濃い。自分も間もなくしてああなるのだろう。観念して一息吐いたつもりが、その覚悟はすぐに無駄になる。ためらう群衆から駆け出そうとする佐隈を、
「さくまさん」
止める声があったから。

 ひょっこり、黒い傘が踊り出た。それは「彗星のごとく」なんて言い回しで例えるべきだろう。それほどにいきなりで、突然だった。普段関わってきた事務所では比べる対象がなかっただけで、駅へと押し寄せる人波に混じったその体躯はきわだって長身に見える。つい背丈を目で計ってしまう。180センチは楽にありそうだ。そもそも身長云々の前に、佐隈はこの男の下の名前すら記憶にない。名字は初対面の折に、事務的に告げられた覚えがある。佐隈の雇用主は芥辺といった。相手を値踏みするわけでもなく、ただ飽きるほどこちらを見て、彼を象徴するかのように底の知れない目だけが物を言う。
 その目は、やっぱり今日も佐隈を見ている。
「悪いけど、ちょっと手伝って」
 そう一言済ませたきり、二人とも何も言わなかった。雨模様の街から駅へ歩いてきた芥辺は、人集りをものともせず傘についた水滴を振りはらう。指で傘をするすると巻いてゆくごくわずかな間、さながらどこにでもいる細身の優男と評しておかしくなかった。悪魔を飼い慣し、悪魔を身に宿す。人間界と魔界ひっくるめて恐らくどこの誰より手に負えないであろう人間のはずが、今日は見ていてどうも調子が狂う。佐隈はどこか夢心地で、ふいに隣にいる連れ合いの仕草を眺めていた。



 なにも佐隈だって楽しくて肉屋の豚足を買い占めているわけではない。自分が契約した悪魔へのイケニエのためだ。
 駅を出ようとした佐隈を見つけるやいなや、彼女の肩を押しつつ芥辺は駅のコンコースからいちはやく立ち去ってしまった。駅から直結した百貨店の地下へと降り、さらに彼は部下を導いてやる。会話らしい会話と言えば、「こっち」このていど。ろくな説明もせずに人を連れまわす芥辺に呆れたものの、部下の統率に関してすこぶる優秀な上司相手では、いくら佐隈でも逆らいがたい。必要最低限しか語らないうちの所長のことだ。まあ、部下を悪いようにはしないと思う。

 地下は佐隈が読んでいた通り、食品売り場だった。デパ地下の名で親しいそこへは、何度かアルバイト前に足を運んだことがある。明るい店舗に洋、中、和問わず惣菜がずらりと整列するデリがひしめいている。ベーカリーのイートインコーナーでは食事もそこそこに、友人とのお喋りに余念のない主婦が活き活きとしていた。抹茶やくず餅、カステラ、諸国銘菓の試食が目移りするほど並んだかと思うと、隣でパステルカラーのロールケーキが上品に佇む。さらにその隣にはジェラート売り場が目に入った。先ほどまでは何が何だかといったていで芥辺に引き回されていた佐隈も、興味が食べ物へと逸れてしまってどうしようもない。よく考えれば佐隈はまだ昼食を摂っていないのだった。
 よどみなく進んでいた芥辺の足が、奥の肉屋の前でふと止まる。目移りがおさまらない佐隈もややあって立ち止まった。
「アザゼルにやる手ごろなイケニエを見繕いたくてな。だから、豚足」
「あ、なるほど。そうならそうと早く教えてくださいよ」
どれにしましょう?と、ガラス棚越しに肉屋の店員がついと佐隈に尋ねてくれる。隣にいる芥辺はさした反応も示さず、無表情のまま。さくまさん後はお願いね、という無言の圧迫が聞こえてくるようで、つい小さく溜息を吐いてしまう。確かに豚足をイケニエとするアザゼルは、一応今のところ自分が契約している悪魔に違いない。佐隈はどっさり並ぶ肉の山から豚足を探した。
「すみません、豚足ってありますか」
「豚足ね?いまは3……4本、ありますよ」
後ろで一部始終を見守っていた芥辺が、振り返った佐隈にようやく重い口を開く。
「じゃあ全部包んでもらって」
「あ、全部!お願いします」