すばらしい冬景色
寒い寒い冬の日のことです。
新宿某所にある折原家のお屋敷で、シズちゃんといざやくんはいつものように追いかけっこをしていました。
街では自動販売機や標識などあらゆるものをぶん投げ、あるいは振り回して武器の代わりとしているシズちゃんですが、“お屋敷の中のものは極力投げないように”と雇い主であるいざやくんのお父さんから言われているせいで、今はにっくきいざやくんを走って追いかけることしかできません。イライラは募るばかりです。
そんな時シズちゃんの目に飛び込んできたのは階段の踊り場に横たわる冷蔵庫。不自然な場所に置かれているそれの側面部分に“粗大ごみ”と大きく書かれた紙が貼ってあるのを認めるや否や、シズちゃんは何の躊躇いもなくそれに手を伸ばしました。(ごみなら投げても問題ないだろうと判断したようです)
横倒しになっていた冷蔵庫を大きく振りかぶり、いざやくんの背中めがけて投げつけようとしたその時です。走るのをやめたいざやくんが突然シズちゃんの方へ向き直りました。
「その冷蔵庫シズちゃんにあげるよ」
だから投げる前にちょっと中身見てみて、そう言いました。
眉目秀麗という言葉がふさわしいいざやくんの顔には、綺麗な顔が台無しのいかにも何か企んでいそうな悪い笑みが浮かんでいます。いつものことです。そしていざやくんがシズちゃんに物をくれたり何かをしてくれたりした時はろくなことにならないのもいつものことです。
これは中に危険物が入っているに違いない。そう確信したシズちゃんは、冷蔵庫のドアというドア全てを一気に開けました。
「……はぁ?」
シズちゃんは呆気にとられました。
なんということでしょう。
冷蔵庫の中には、それなりに高価(シズちゃん基準)なため滅多に買うことのないお菓子たちが満員電車のごとくぎっしりと詰められていたのです。
冷凍室にはハーゲン○ッツのアイスクリームや○ーティワンのアイスケーキ、冷蔵室にはシェリエ○ルチェシリーズや○ーソンのプレミアムシリーズ。そのほかクッキーやチョコレートのような本来冷蔵保存する必要がないであろうものまで、さまざまなお菓子がこれでもかとばかりに詰まったその冷蔵庫は、甘い物が好きな人にとってはまるで宝箱です。
ポーカーフェイスを装っているらしいシズちゃんの、サングラス越しに見える目がきらきらと輝いているのがいざやくんからも見えました。
予想以上の反応に気を良くしたいざやくんは、シズちゃんに笑いかけながら言いました。
「どうシズちゃん、嬉しい?男同士でこんなのするのもどうかと思ったけどシズちゃん甘いもの好きだしせっかくだから一応何かあげとこうかと思ってね。毒とかは入れてないから安心していいよ、冷蔵庫ごと持って帰っちゃって。あ、ちなみに俺甘いものそこまで好きじゃないからさぁ、シズちゃんがもらってくんないとそれ全部捨てることになるから」
シズちゃんに口を挟む隙を与えない、相変わらずの淀みない喋りです。“こんな大量の食いもんを捨てるとは何事だ”とか“中身はともかく冷蔵庫はさすがに要らない”だとか“まさかこれは2月のあの製菓会社ボロ儲けイベントを意識したものなのか”だとか、言いたいことは幾つかあったのですが、面倒になったのでシズちゃんは必要最低限のことだけを言うに留めました。
「…もらってく」
「どうぞどうぞ。あ、ついでに俺も持って帰ってもいいよ?」
「自分の脱走に人利用しようとしてんじゃねぇよ」
なんなら一緒にいただいちゃう?と嫌な笑顔で言ってきたいざやくんにもシズちゃんは動じません。伊達に何年もお目付役をしてきたわけではないのです。
中のものが崩れないようさっきより気を遣って冷蔵庫を肩に担ぎあげると、屋敷の出口へ向かってずんずんと歩き出しました。
「ほんと現金だよねぇ君は」
さっきまではあんなに俺を追いかけてきてたのに、とあっさりと去っていく背中に呟いて、いざやくんは自分の部屋に続く階段へと足を向けました。
玄関扉の開閉の音を背に、いざやくんは階段を上りながら考えます。シズちゃん抜きでこの退屈を紛らわすにはどうしたらいいだろう。切実な悩みでいざやくんの頭の中はいっぱいです。そのせいで人の気配に敏感ないざやくんにしては珍しく、後ろから聞こえてくる足音に気付くのが遅れました。
「!?」
折原のお屋敷内ではあまり聞くことのない遠慮なしの足音に振り返ろうとした瞬間、いざやくんの体は宙に浮きました。
「…シズちゃん?」
「おう」
どうやらシズちゃんの左腕に抱えられる体勢となっているようです。どうしてそんなことになっているのかはわかりませんが。
プロの誘拐集団なんかでもこうまで手際よく人一人を拘束することはできないだろうなぁ。シズちゃんの酷使しすぎているせいで少しボロッとしている黒の革靴を見下ろしながら、いざやくんはそんなどうでもいいことを思いました。
「訊く意味があるのかわかんないけど一応訊いとこうか。…どうしたの?」
「外さみぃんだよ」
「だろうね。で?帰るのやめたってわけ?」
「いや、帰るけど」
右肩には冷蔵庫、左腕にはいざやくんを抱えて、シズちゃんは再び玄関へと歩いていきます。今まさに運ばれていこうとしながらも精神的には完全に置いてけぼりをくらっているいざやくんでしたが、シズちゃんはそれを気にも留めません。
「ちょっと、本当にどうしたっていうのシズちゃん」
「今日だけは手前の脱獄に協力してやる。俺のカイロ代わりにでもなってろ」
そう言っていざやくんを床に降ろしたシズちゃんは、「外雪降ってっから」といざやくんの頭にコートのフードを被せてから玄関扉を開け、またもいざやくんを抱えあげました。わざわざ抵抗するのも面倒だしと投げやりな気分になってきたいざやくんはされるがままです。
「こんな天気の日にバーテン服のまんまじゃ寒いに決まってるよねぇ。ていうかうちから連れ出してくれるのはいいんだけどさぁ、もうちょっとマシな扱いできないわけ?」
「うるせぇ、出してやるだけありがたいと思え。暴れたりしたら落とすからな」
「シズちゃんもうそれ完全に誘拐犯の所業だよ」
「カイロは黙ってろ」
シズちゃんが言った通り外は一面雪でした。それも結構本格的に降っています。
そんな中を両手がふさがっているため傘を差さずに歩き続けたせいでしょう。アパートの部屋の前でいざやくんが地面に降ろされた頃には、シズちゃんの金色の頭の上には真っ白な雪が粉砂糖のように積もっていて、口に咥えた煙草の火も消えてしまっていました。
ベストやズボンのポケットを探って部屋の鍵を取り出そうとしている隙に、いざやくんはシズちゃんの頭の上の雪を払ってあげました。
「どうしたノミ蟲」
「脱走の片棒担いでくれたシズちゃんの頭撫でてあげてる」
「あぁ?」
「嘘嘘、そんな怖い顔しないでよ。頭の上に超雪積もってたから払ってあげただけ」
「そうかよ」
新宿某所にある折原家のお屋敷で、シズちゃんといざやくんはいつものように追いかけっこをしていました。
街では自動販売機や標識などあらゆるものをぶん投げ、あるいは振り回して武器の代わりとしているシズちゃんですが、“お屋敷の中のものは極力投げないように”と雇い主であるいざやくんのお父さんから言われているせいで、今はにっくきいざやくんを走って追いかけることしかできません。イライラは募るばかりです。
そんな時シズちゃんの目に飛び込んできたのは階段の踊り場に横たわる冷蔵庫。不自然な場所に置かれているそれの側面部分に“粗大ごみ”と大きく書かれた紙が貼ってあるのを認めるや否や、シズちゃんは何の躊躇いもなくそれに手を伸ばしました。(ごみなら投げても問題ないだろうと判断したようです)
横倒しになっていた冷蔵庫を大きく振りかぶり、いざやくんの背中めがけて投げつけようとしたその時です。走るのをやめたいざやくんが突然シズちゃんの方へ向き直りました。
「その冷蔵庫シズちゃんにあげるよ」
だから投げる前にちょっと中身見てみて、そう言いました。
眉目秀麗という言葉がふさわしいいざやくんの顔には、綺麗な顔が台無しのいかにも何か企んでいそうな悪い笑みが浮かんでいます。いつものことです。そしていざやくんがシズちゃんに物をくれたり何かをしてくれたりした時はろくなことにならないのもいつものことです。
これは中に危険物が入っているに違いない。そう確信したシズちゃんは、冷蔵庫のドアというドア全てを一気に開けました。
「……はぁ?」
シズちゃんは呆気にとられました。
なんということでしょう。
冷蔵庫の中には、それなりに高価(シズちゃん基準)なため滅多に買うことのないお菓子たちが満員電車のごとくぎっしりと詰められていたのです。
冷凍室にはハーゲン○ッツのアイスクリームや○ーティワンのアイスケーキ、冷蔵室にはシェリエ○ルチェシリーズや○ーソンのプレミアムシリーズ。そのほかクッキーやチョコレートのような本来冷蔵保存する必要がないであろうものまで、さまざまなお菓子がこれでもかとばかりに詰まったその冷蔵庫は、甘い物が好きな人にとってはまるで宝箱です。
ポーカーフェイスを装っているらしいシズちゃんの、サングラス越しに見える目がきらきらと輝いているのがいざやくんからも見えました。
予想以上の反応に気を良くしたいざやくんは、シズちゃんに笑いかけながら言いました。
「どうシズちゃん、嬉しい?男同士でこんなのするのもどうかと思ったけどシズちゃん甘いもの好きだしせっかくだから一応何かあげとこうかと思ってね。毒とかは入れてないから安心していいよ、冷蔵庫ごと持って帰っちゃって。あ、ちなみに俺甘いものそこまで好きじゃないからさぁ、シズちゃんがもらってくんないとそれ全部捨てることになるから」
シズちゃんに口を挟む隙を与えない、相変わらずの淀みない喋りです。“こんな大量の食いもんを捨てるとは何事だ”とか“中身はともかく冷蔵庫はさすがに要らない”だとか“まさかこれは2月のあの製菓会社ボロ儲けイベントを意識したものなのか”だとか、言いたいことは幾つかあったのですが、面倒になったのでシズちゃんは必要最低限のことだけを言うに留めました。
「…もらってく」
「どうぞどうぞ。あ、ついでに俺も持って帰ってもいいよ?」
「自分の脱走に人利用しようとしてんじゃねぇよ」
なんなら一緒にいただいちゃう?と嫌な笑顔で言ってきたいざやくんにもシズちゃんは動じません。伊達に何年もお目付役をしてきたわけではないのです。
中のものが崩れないようさっきより気を遣って冷蔵庫を肩に担ぎあげると、屋敷の出口へ向かってずんずんと歩き出しました。
「ほんと現金だよねぇ君は」
さっきまではあんなに俺を追いかけてきてたのに、とあっさりと去っていく背中に呟いて、いざやくんは自分の部屋に続く階段へと足を向けました。
玄関扉の開閉の音を背に、いざやくんは階段を上りながら考えます。シズちゃん抜きでこの退屈を紛らわすにはどうしたらいいだろう。切実な悩みでいざやくんの頭の中はいっぱいです。そのせいで人の気配に敏感ないざやくんにしては珍しく、後ろから聞こえてくる足音に気付くのが遅れました。
「!?」
折原のお屋敷内ではあまり聞くことのない遠慮なしの足音に振り返ろうとした瞬間、いざやくんの体は宙に浮きました。
「…シズちゃん?」
「おう」
どうやらシズちゃんの左腕に抱えられる体勢となっているようです。どうしてそんなことになっているのかはわかりませんが。
プロの誘拐集団なんかでもこうまで手際よく人一人を拘束することはできないだろうなぁ。シズちゃんの酷使しすぎているせいで少しボロッとしている黒の革靴を見下ろしながら、いざやくんはそんなどうでもいいことを思いました。
「訊く意味があるのかわかんないけど一応訊いとこうか。…どうしたの?」
「外さみぃんだよ」
「だろうね。で?帰るのやめたってわけ?」
「いや、帰るけど」
右肩には冷蔵庫、左腕にはいざやくんを抱えて、シズちゃんは再び玄関へと歩いていきます。今まさに運ばれていこうとしながらも精神的には完全に置いてけぼりをくらっているいざやくんでしたが、シズちゃんはそれを気にも留めません。
「ちょっと、本当にどうしたっていうのシズちゃん」
「今日だけは手前の脱獄に協力してやる。俺のカイロ代わりにでもなってろ」
そう言っていざやくんを床に降ろしたシズちゃんは、「外雪降ってっから」といざやくんの頭にコートのフードを被せてから玄関扉を開け、またもいざやくんを抱えあげました。わざわざ抵抗するのも面倒だしと投げやりな気分になってきたいざやくんはされるがままです。
「こんな天気の日にバーテン服のまんまじゃ寒いに決まってるよねぇ。ていうかうちから連れ出してくれるのはいいんだけどさぁ、もうちょっとマシな扱いできないわけ?」
「うるせぇ、出してやるだけありがたいと思え。暴れたりしたら落とすからな」
「シズちゃんもうそれ完全に誘拐犯の所業だよ」
「カイロは黙ってろ」
シズちゃんが言った通り外は一面雪でした。それも結構本格的に降っています。
そんな中を両手がふさがっているため傘を差さずに歩き続けたせいでしょう。アパートの部屋の前でいざやくんが地面に降ろされた頃には、シズちゃんの金色の頭の上には真っ白な雪が粉砂糖のように積もっていて、口に咥えた煙草の火も消えてしまっていました。
ベストやズボンのポケットを探って部屋の鍵を取り出そうとしている隙に、いざやくんはシズちゃんの頭の上の雪を払ってあげました。
「どうしたノミ蟲」
「脱走の片棒担いでくれたシズちゃんの頭撫でてあげてる」
「あぁ?」
「嘘嘘、そんな怖い顔しないでよ。頭の上に超雪積もってたから払ってあげただけ」
「そうかよ」