すばらしい冬景色
部屋に入っていくシズちゃんの後にいざやくんも続きます。少し前を歩く、自分とは正反対にまぶしい色をした後ろ頭。さっきそれに触れた時の湿った感触を反芻しながら、いざやくんは思いました。普通に傘を差し冷蔵庫だけ抱えて濡れずに家に帰るのと、温かいカイロはあるけれど傘が差せず雪まみれになって家に帰るのと、本当に寒くないのはどっちだろうと。
(まぁこの天気なら、どっちにしても寒い思いをするのには変わりないかもしれないけどね)
◇ ◇ ◇
そんなこんなでめでたくお屋敷からの脱出に成功したいざやくんは、暖房代をケチるシズちゃんのせいで若干寒い思いをしながらも、なかなかに穏やかな気分で次の日の朝を迎えることができたのでした。(大量のお菓子のおかげかシズちゃんの機嫌が終始それなりに良好だったことや、近隣住民のためを思っていざやくんが比較的いい子にしていたことなんかがプラスに作用したものと思われます)
無表情ながらもどことなく幸せそうな面持ちでいざやくんお手製のフレンチトーストをもふもふと頬張るシズちゃんに、いざやくんは『餌付けもなかなか有効』と心のメモに記しておきました。
「俺そろそろ帰ろうかな。久しぶりに庶民の家での暮らしも堪能したし」
朝食後の一服も終えたところでいざやくんが切り出しました。お皿を洗っているシズちゃんは「おう帰れ帰れ」と快く送り出してくれます。
「じゃあまたうちでね。お邪魔しました~」
言いながらドアを開けると、室内とは桁違いの冷たい外気に晒され思わず肩をすくめ…る予定でしたが、実際は外気の冷たさとシズちゃんの部屋の空気のひんやりした感にそれほど差はなく、その事実にこそいざやくんはショックを受けたのでした。
なんて寒い部屋で過ごしていたんだ俺は!と。(室内で仲良く凍死なんてことにならなくてよかったですね)
そんないざやくんの胸中を知ってか知らずか、お皿を洗う手を止めたシズちゃんが顔を上げました。
「いざやくん」
「なに?シズちゃん」
「冷蔵庫の中身ありがとな。本体は今度天気よくなったら返すからよ」
「シズちゃんが俺にお礼言うなんて珍しいねぇ。どうしたの?ただでさえ雪のせいで散々なことになってる交通網をこれ以上麻痺させたいの?駄目だよシズちゃん、俺達みたいな雪に慣れない首都圏民にとってそれはちょっとしたテロだ」
「…手っ前ほんと余計なことしか言わねぇな、これで一週間分は食費浮いたと思ったから素直に感謝したまでだろうが!」
「はは、あんな安物のお菓子くらい別に気にしなくていいのに。第一俺自身のためにやったことだし」
「はぁ?なんで俺に甘いもんよこすことが手前のためになんだよ」
「シズちゃんいっつもタバコ吸ってるせいかなんかキスする時苦いんだよねぇ。お菓子いっぱい食べてちょっとは甘くしといてよ。あ、でも甘すぎるのも嫌だからちゃんと適度にしょっぱい物も食べてよね」
「あぁ!?手前なにふざけたこと言って…!」
二人の穏やかな朝もここまでで終わりのようです。
キレた瞬間の凶悪な顔つきの中に若干の照れが混ざっているという絶妙な顔をしたシズちゃんをしっかり目に焼き付けてから、いざやくんは即座にドアを閉めました。まだ何か言っている途中でしたが気にしません。
見た感じ相当ご立腹のようでしたが皿洗いの途中なので追ってはこないでしょう。外で言い争いができるような話題でもないし、とタカをくくっていざやくんは歩き出します。
案の定追ってくる足音はなく、さっき閉めたばかりのドアの向こうからは、必要最低限の数しか揃えていないお皿を投げるわけにもいかないシズちゃんの「滑ってこけろ!」という受験生にしか通用しないような罵声だけが飛んでくるのでした。