君が涙を流せる場所
「振られました」
ドアを開け出迎えた俺を見るなり、帝人君はそう言った。とりあえず挨拶するとか、会えて嬉しいですお邪魔してもいいですか、くらいの気遣い見せるとか、もう少し何かないのかと思いながらも、いつものことなのでそのまま彼を部屋の中へと導く。
そう、これはいつものこと。帝人君と出会ってからの十年程の間、定期的に、しかも既に両手の指の数をゆうに越えるほど繰り返されたいつもの光景なのだ。
慣れたようにリビングのソファーまで行き深々と座る帝人くんを横目に、俺はキッチンへ行きコーヒーをいれる。二人分用意したカップの片方には、角砂糖を二つ添えた。
洗面所からタオルを一枚取ってきて、入れたてのコーヒーと一緒にお盆に乗せリビングに戻る。帝人君は何をするわけでもなく、無表情のまま背もたれに寄り掛かり座っている。
砂糖が添えられた方のカップを帝人君の前に置けば、ありがとうございますと小さくお礼を言われた。しかし一拍おいてから、彼はこう続けた。
「出来たら紅茶の方がよかったです」
突然のおしかけの分際でわがまま言うな、と口に出そうになったのを抑え、彼の隣に座った。
「入れ直すのは面倒だから我慢してよ。味覚的には渋い好みしてるくせに、まだコーヒー苦手なの?」
「苦いものよりも甘いものの方がいいと思いませんか」
「この美味しさを理解できないなんて、勿体ないなぁ。コーヒー苦手とか子供っぽいよ。相変わらず童顔に磨きがかかってる様だし」
とっくに高校どころか大学も卒業し、サラリーマンとして働いている帝人君は、昔より大人びているとはいえよく見積もっても大学生くらい。とてもじゃないが今年で四捨五入すると三十路に突入する人間には見えない。
「余計なお世話です。というか味覚に童顔は関係ないでしょ。臨也さんこそ、相変わらず若々しくてお綺麗な容姿ですけど、やっぱり化け物なんですか?不老ですか?」
「俺は永遠の二十一歳だよ」
「……本当相変わらずですね」
くすりと笑みを溢し、帝人君はカップを手に取りコーヒーを飲む。今日初めて笑ったな。そう思いつつ、自分の分のカップを手に取り喉を潤した。
「で、今度は誰だっけ?」
カップの中を空にし、一息ついた所で帝人君に尋ねる。彼は眉間にシワを寄せ、不機嫌そうに答えてくれた。
「新宿にある居酒屋の店員さんです。前に話しましたよね?」
「そうだっけ」
「大体あの店初めて行ったの、臨也さんとですよ?」
「で、その時に一目惚れ……だっけ?君も懲りないね」
「……そうですね」
「さらに懲りずに告白したわけか」
「『無理だ』って……ハッキリ断られました」
「そう」
ズズッ、と隣から鼻をすする音が聞こえた。ちらりと視線を隣に映すと、帝人君は肩を震わせ泣いていた。ギュッと唇を噛み締め、閉じた瞼からは瞬きするたび雫が零れ落ちる。その姿に、俺の胸はズキリと痛みを訴える。その痛みを無視して、用意していた真っ白なタオルを帝人君に渡す。すると、彼も特に俺の行動を疑問に思う様子もなく、受け取ったタオルに顔を埋め、泣き続けた。
さて、どうしてこうなったのか。隣から聞こえてくるくぐもった声をBGMに、俺はこのきっかけになった出来事を思い出していた。
あれは確か、彼が池袋に来て、それなりに俺と交流を深めた頃だった。
「好きな人が出来たんです」
唐突に俺の家を訪れた帝人君は、ソファーに座って紅茶を飲んで、それからあーとかうーとか数分間唸り続けた後、決心したようにそう言った。対する俺は、パチッと一度瞬きをしてから微笑み、優しく問い返してあげた。
「えっと……それで?」
「その……同級生、なんですけど」
「何か問題でも?てか、何で俺にそんなこと」
「え、相手の人が!その……おとこの、ひとで」
予想だにしなかった言葉に、俺は素直に驚き目を見開いた。
「えっと……帝人君てゲイだったの?」
「普通に女の子が好きです!た、多分……。園原さんのことが好きだって、思ってたんですけど。その人の笑顔とか、体育で活躍してる所見てたら……なんか……好き、になっちゃったみたいで」
ぼそぼそと話す帝人君の顔は真っ赤に染まっている。実は俺をからかう為の演技、というわけでもなさそうだ。
「もう一回聞くけど……何で俺に言ったわけ?恋愛相談なら他にも候補者がいるでしょ。自分で言うのもなんだけど、俺に相談って……おかしくない?」
「臨也さんて、人間が好きなんですよね?だったらこういう……同性愛、とかも理解があるんじゃないかと。正臣にはこんなこと相談できないし、園原さんも……。他に思いつかなくって」
「いや、俺は人間が好きだけど、別にゲイじゃないから」
「そうなんですか?」
確かに俺は人が好きだ。愛している。だがそれは恋愛的なモノではなく、もっと根本的な、個人ではなく『人』そのものを好んでいるのだ。今までの経験を振り返ってみても、相手をしてきたのはみんな女性だし、男性相手に欲情したこともない。
そう丁寧に説明してやると、帝人君は明らかに落胆した。「やっぱり変ですよね、僕」
小さく呟き、肩を落とす彼は許されぬ恋に身を焦がす、ただの高校生で……正直面白くなかった。ダラーズという組織を作り出し、今もなお創始者としての役割を果たそうとしている。自分の持っている駒の中でも、レアな立ち位置の彼が、普通の……とは違うが恋愛に翻弄されている姿は、あまりにも普通すぎた。
「まぁ、別にいいんじゃない?」
普通になり下がった帝人君はあまり面白くない。だが、このまま否定して返すのはもっと面白くなかったから、相談に乗ってあげることにした。
「恋愛は自由。君が誰を好きになっても俺には関係ないし、どうするかは全部君が決めることだ。君の感情だろ?」
「……臨也さんがまともなこと言っててびっくりしました」
「君は俺を怒らせに来たのかな……?」
「違います」
焦ったように手を振り、すみませんと謝ってきた彼は、それからふわりと表情を緩め、ありがとうございますと笑った。
それからというもの、帝人君は恋の相談を俺にする様になった。今日はこんなことを話せましたとか、今度一緒に遊びに行くんですとか、その相談内容は恋する乙女そのものだ。あまりにも純粋な内容に、俺は物足りなさを感じながらも、優しいお兄さん役に徹して返事を返してあげた。
思いの他、彼が恋する姿を観察するのは楽しかった。
そうして半年程経った頃。帝人君はいつかのように連絡もなしに俺の家を訪ねてきて、こう言った。
「振られちゃいました」
目尻を下げ、困ったように帝人君は静かに続けた。
「二人きりになった時に、思わず好きだって言っちゃって。冗談だろ、て言われたんですけど、本気で好きなんだって言ったら……男を好きになる趣味はない、って」
当然ですよね、と彼は笑顔を見せる。ソファーに置かれた手が震えていたので、彼が必死に耐えている事なんてわかりきっていた。だから俺は尋ねた。
「何で泣かないの」
「泣くって……男なのにみっともないでしょ?」
「そう?悲しければ泣く、それは人として当然のことだ」
「…………」
「溜め込むより、全部流してしまえばいいんだよ。きっとスッキリする」
「そう、でしょうか」