映画を見る
「よう千石」
道ばたで気軽に声をかけてきたのは、跡部くんだった。
特別仲がいいわけでもないけど、気さくに声をかけられたら俺だって返事をするしかない。例え俺がデート中だったとしても。軽く話をしたから、そろそろ気を利かせてくれるかな、なんて思った。思いながら最後に、跡部くんを彼女に紹介した。そこで彼女の目の色が変わった。ボンボン揃いの氷帝学園テニス部部長の肩書き、そしてこの顔だよ。
でも君は俺のことが好きなんだよね。今はデートでここにいるんだよね。女の子の視線が跡部くんの顔から離れないんだけど。跡部くんは好みの顔かもしれないけど、君は顔も性格もひっくるめて俺のこと好きなんだよね?
「跡部くん今俺デート中なんだ」
「へーぇ」
「だから、これから二人で映画見に行ってくる」
「おういってこい」
口では送り出してくれてるけど、微動だにしないよこの人。お坊ちゃまはどうしたら俺の思い通りに動いてくれるの。
女の子はやっと跡部くんの顔から目を放して、俺の腕に手をからめてきた。そうそう、じゃあいこうよ。でも、女の子はその場から動こうとしない。えっ行こうよ。女の子と跡部くん両方を交互に見ると、跡部くんが不敵に笑った。かっこいいけど、なんか腑に落ちない。あとちょっとむかつく。
わざとむっとした顔をしてやれば、悪い千石と素直に謝られた。まあ謝られて悪い気はしないけど。俺が言葉に気をとられているうちに、跡部くんは女の子に向かって手を伸ばしてきた。くしゃりと女の子の頭を撫でて、大きいきれいな手が離れていくのを、俺はスローモーションで見た気がした。そのときの彼女の表情ったらない。少し俯いた顔が、耳が真っ赤になって可愛かった。あんな顔、俺は今まで見たことなかった。なんだこれ。これが跡部クオリティ?
「じゃあな」
今度こそ送り出してくれるみたいな態度の跡部くん。でもひどいよ。女の子はまだ赤い顔して、さよなら、と小さい声で言ったけど、これからデートって雰囲気じゃない。俺がもうそんな気分じゃない。じゃあ、ってその場を離れてからは映画館に向かわずにJRの駅の改札まで二人で歩いた。改札まで行って足を止めると女の子は、不思議そうなかおをして俺を見た。跡部くんが好きになっちゃったんだろ?俺が切り出さないとだめなのか。
「跡部くんのこと好きになっちゃった?」
一瞬、呆気にとられたような顔をしてから下を向いて、それから女の子は小さく首を縦に振った。うんそうだよね。俺もモテる方だけど、きみの好みはああいうのだったんだね。今度はああいうタイプとめぐり合えるといいね。
「今日はこれで終わりにしよ?」
「…うん」
できるだけ優しく言って、女の子の肩を押した。女の子はごめん、と言って改札に向かって歩いていった。最後に振り向いて笑った顔が可愛かったから、それでもういい。ああ俺、超女の子に優しい男じゃね?報われてるかどうかはいまいちわかんねぇけど。
このまま帰るのもシャクだし微妙な気分だったから、一人でもなんか映画を見て帰ろうと思ってさっきのところまで戻ってくるとまだ、跡部くんが立っていた。
「……」
「千石」
視線に気づいた跡部くんが少し嬉しそうに駆け寄ってきた。一人か?みたいな目線が俺を通過してった気がした。気のせいかもしんないけど。
「暇なら映画見にいこうぜ」
「いいよ」
俺の返事に、まぶしい笑顔が返ってきた。どんな顔でも笑ってるほうが俺は好きだな。じゃあ行こうぜ、と跡部くんは俺の手をとって歩き出した。それからは二人でパンフレットを買ったり、映画館の高いジュースとポップコーンを買ったりして、普通の友達みたいな話をした。普通の友達みたいに話しながら歩いてきたけど、どんなところでも跡部くんは当たり前みたいに代金を全部支払った。俺の分も全部。これってすごくね??
席に着いてから声をかけると「あんだよ、ジュース代返せなんて言わねえよ」とかぶつぶつ言って、跡部くんはパンフレットから目を離さなかった。でも俺は聞きたいことがあった。おごってもらったからって、俺は遠慮する気になんかなれない。
「さっきのあれって、やっぱ計算ずく?」
「…何」
「女の子の」
ああ、さっきの。軽い返事だけど核心には触れてこない。やっぱ計算ずくだったんだろ?
答えない跡部くんの返事を俺は肯定ととって、鼻から静かに空気を吐き出した。なんでそんなことするんだろ。悪戯心?映画の主題歌を聞きながら、カーテンが引かれたままのスクリーンを俺はじっと見つめた。跡部くんはパンフレットから目を離さない。目を閉じると、若いカップルと親子連れの声が耳に響いてくるようだった。
「千石」
「うん?」
声をかけられて目を開けると、跡部くんはもうパンフレットなんか見ていなかった。なんだか深刻そうな顔をして、スクリーンをにらんでいた。跡部くんの口が動く。お、れ、と、
「俺と付き合え」
「え、映画でしょ?」
「ばーか」
よく見たら、跡部くんの唇はきれいなオレンジ色だった。えっ、えっと対応がとれないでいるうちにブーッと映画の始まりを知らせるブザーが鳴って、辺りは暗転した。どういう意味の付き合う?友達?映画?まだほかにどっかに付き合えってこと?好きだからつきあうってこと?わかんねえよ。
映画は好きな女優が出てこなくなってから後半、ぼんやりと流れを追った。追ったけどよくは理解できなかった。結局なにが言いたかったのこの映画。最近話題だからっていうのと好きな女優が出てるって理由だけで選んだ映画は、俺にはよくわからなかった。そんなときは隣の跡部くんの顔をぼんやりと見た。きれいな顔。スクリーンの色によって、白い肌に緑や赤の光がさしてきれいだった。
映画が終わって、スタッフロールが流れ始めると退場する人もちらほら出て、場内がざわつき始めた。親子連れが何人スクリーンを横切っても、跡部くんは最後まで席を立たなかったから俺も静かに座っていた。明るくなってから、跡部くんのポップコーンが残ってるのに気がついて「食わないの」って聞いたら、「もういい」って声がぶっきらぼうに返ってきた。もったいないから俺が食べてあげる。
廊下でポップコーンを頬張ると、優しそうな目で跡部くんが俺を見た。そういやさっきのこといつ聞こう。もしゃもしゃ食べながら、ぼんやり考える。食べ終わると、待っていたかのように跡部くんが俺の手をとって歩き出した。油と塩でべたべたになっている手を、白い大きな手がひっぱる。前を行く跡部くんの手はひやりとして、少し汗ばんでいた。映画館を出て、横断歩道を渡る。噴水の横を通り過ぎて階段を上ると、石像が俺たちを見下ろすように立ってた。
「ねえ跡部くん」
「たこやきの屋台が出てるな」
「跡部くん」
「カラオケでも行くか」
「跡部くん」
何度も話しかけると、観念したように跡部くんがきれいな顔をこちらに向けた。俺を見る跡部くんの顔は何だか困っているような顔で、何を思ってるのか判断はつかない。
「俺はお前が好きだ」
「ありがとう」
跡部くんが俺を好きだと言った。道ゆく人たちが俺たちをチラチラ見てはまた歩いていく。跡部くんはきれいな顔だ。俺も女ウケする顔だし、人目をひくのかもしれない。
「じゃあさっきのつきあうは」