罪のあと
目の前の背を押して、TVの中へ落とす。
それで全て片がつく。
花村は、深呼吸をひとつ深く吐いて拳を握りしめた。もう十二月だというのに、掌はうっすらと汗ばんでいる。
生田目を立たせた相棒が、花村の目を見て、口の動きだけで話し掛ける。
『俺がやろうか』
カラカラになった喉に、ひゅっと空気を吸い込んだ。息が詰まって、ぎゅっと目を瞑る。
こんな時まで、相棒は俺に逃げ道を用意してくれる。優しさに揺るぎそうになる心を必死に留めて、花村は頭を振って答えた。
――俺が、やる。
***
ひやり、と、氷点下の温度が、頬に触れて融けた。
上空を見上げると、白い雪がちらちらと舞っていた。霧に包まれた町に降る雪は、色味の違う白が重なって、幻想的だ。
ただ、普通の人にとっては、やはり、得体の知れないものは畏怖の対象でしか無く、まだ日も高い(はずだ。)時刻だというのに、辺りに出歩く人影は見当たらない。
はずだ、というのも、今この町では、日の高さで時刻を計ることが出来ないからだ。
陽光が町に届かなくなってから、どれくらい経っただろうか。
それすらも曖昧で、まるでこの霧には、全ての感覚を茫洋とさせる効果があるようだ。
花村は、そんな町の中を一人、歩いていく。
「っくしゅん!」
くしゃみついでに鼻水も出そうになる。ずず、とすすった鼻は、そのせいで子供のように赤くなっている。
そんなことを知る由も無い花村は、悴んでむず痒い鼻頭を、指先でぽりぽりと掻いた。
どうやらファー付きのジャケットでは、寒さを凌ぐのには足りなかったようだ。
「そりゃ雪降ってりゃな」
呟いて、上着の袷を掻き寄せて身を縮ませた。
雪のせいで、いつにも増して視界の悪い道を、記憶を辿るようにして暫く歩くと、ようやく目的の場所が見えてきた。
水の音がする方へ顔を向けると、より一層寒さが込み上げてくるようだ。
土手の淵まで来て階段を見ると、うっすら積もった雪の上に、真新しい足跡がついているのが見えた。
(――先に着いてたか。)
花村は、気付けば重くなりそうな足取りを、努めて変わらない歩調で進めた。
呼んだのは自分だというのに。花村は自重気味に自分を笑った。
階段を下りて砂利の道を数歩行くと、黒い細身の人影が見えた。
一歩一歩近づくに連れ、姿が次第にはっきりとしていく。
例え顔が見えなくても、誰だかなんてわかっているのだが。
「よぉ、…早いな。」
「陽介の家よりうちの方が近いから。」
「そか、そうだよな。」
よそよそしい会話に居心地の悪さを覚える。相棒だなんて言ってたのが遠い昔のようだ。
次の言葉をどう繋げばいいのかわからず、花村は項垂れた首をさすりながら、相手を下から見上げた。
しかし、相変わらず考えていることの判らない表情をしていて、今の間が余計に次の言葉を重くさせた。
「えっと、久しぶり、だな。」
「あぁ。」
「悪かったな。いきなりこんなとこ呼び出したりして。」
「別に。荷物まとめるくらいしか、することなかったし。」
「あ、そう…だよな。もうすぐ帰るんだったな。」
淡々と答えていたかつての相棒は、花村の返答に少し驚いた顔をした。
つられて花村が「え?」とと言うと、「そのことだと思った。」と答えられ、ますます判らなくなった花村の頭上に?が浮かんだ。
「いや、個人的にお別れでもしてくれるのかと。」
「なんで俺が。」
「つれないな、仮にも相棒じゃないのか?俺は。」
「あー、いや、うん、それは…そうだけど。」
「それとも、悩み事も相談出来ない俺は相棒失格?」
「あ…」
正直、こいつには俺の頭の中なんて全てお見通しで、これから俺の言う言葉も行動も全部、筒抜けなんじゃないかと思う。
見透かされたかのような言葉にも、今更驚いたりしない。こんなこと、学年TOPの秀才様には、見抜けて当然のことなのだ。
花村は、この重苦しい空気を打ち破るため、今までタブーとして話さなかった事について、あえてストレートに切り出した。
「あれから、さ、皆ともあんまり話さなくなって、結局バラバラになっちゃったよな。実際お前と話すのも久しぶりだし。」
「仕方ないさ、あの事は、イチ高校生には荷が重すぎる。」
「荷が、ね…本当はさ、あんなことしたのも菜々子ちゃんの仇討ちだとか抜かして、結局自分の憂さ晴らしたかっただけなんじゃねぇのって…、俺、あん時あいつの顔見たら、先輩の事ばっか浮かんじゃって、すげぇ…」
『ほんとうにいいの?』
――何言ってんだよお前ら、殺したいほど憎い相手が、目の前にいるんだぞ!?
『犯人と同じことして…いいのかな』
――黙って見逃せば、また同じ事の繰り返しだろうが!
(このままでいたら、第二の先輩が生まれるかもしれない。)
(先輩だって、自分殺した奴がのうのうと生き延びて、そんなんじゃ浮かばれねーだろ。)
(先輩の為にも、こいつはここで死んだ方がいいんだ。)
今になって思い返すと、あの時の自分は異様だったと思う。
仲間にも背負わなくていい罪を背負わせてしまった。自己嫌悪だとか。そんな言葉を軽々しく口にするには、事実は重すぎた。
それぞれ重荷に耐えかねてやがて口を開く事を避けるようになり、俺たちの間にある秘密は、結果こうして守られている。
「責任は、お前だけのものじゃないよ。」
こいつはいつだって、俺を助ける言葉を言う。あの時もそうだった。
「やったのは、俺だ。」
「俺も同じだよ。」
「でもっ、俺が…落とした。」
「俺も傍で支えた。逃げないように。ちゃんと落ちるように。落ちていく生田目の声が、遠くなるのも聞いていたよ。」
雪で冷えた頬が、いつもに増して白く浮かぶ。
あの時の事を、言葉の乱れも無く冷静に口にする相手に、花村はぞっとした。
「陽介、済んだことだ。
「お前っ、あの事を…「済んだこと」で終わらせるのか!」
「それじゃあ、例えばお前が過去に戻ってあれを無かった事にできるのか?リセットボタンでも押して?」
綺麗な灰色の瞳は、事実だけを映し、いつもそれを俺に突き付ける。正にぐうの音も出ないとはこの事だ。
「でも…俺があん時あんなこと言わなけりゃ…」
「お前が言わなかったら俺が言ってたよ。」
きっぱりと言い切られた言葉には、珍しく感情が篭っていた。花村ははっとして、目の前の顔を見る。
「何?陽介は俺が聖人君子だとでも思ってた?残念ながら、俺はそんな善人じゃないよ。」
そう言って、少し苦しそうに笑った。
――そうか。そうだ、こいつには俺と同じ痛みがある。大事な人をなくした痛みが。
なんで今まで気付かなかったのだろう。こいつだけは唯一、境遇を共有できる仲間だった。
それならこいつも俺と同じように、罪悪感に苛まれて、何度も思い出して後悔したりしたのだろうか。
仲間に謝罪する事も出来やしない。
俺一人が暴走して、引きずられてしまった仲間たち。いっそ俺のせいとでも思ってくれた方がマシだ。
そんな風に一人で背負った気になってたら、判る訳がない。相棒の気持ちなんて。
「俺も同罪だ。」
呟く相棒の顔は、微かに笑っているのに、泣きそうに見えた。
もっと早く、こうすれば良かった。もっと早くに会って話していれば――。
それで全て片がつく。
花村は、深呼吸をひとつ深く吐いて拳を握りしめた。もう十二月だというのに、掌はうっすらと汗ばんでいる。
生田目を立たせた相棒が、花村の目を見て、口の動きだけで話し掛ける。
『俺がやろうか』
カラカラになった喉に、ひゅっと空気を吸い込んだ。息が詰まって、ぎゅっと目を瞑る。
こんな時まで、相棒は俺に逃げ道を用意してくれる。優しさに揺るぎそうになる心を必死に留めて、花村は頭を振って答えた。
――俺が、やる。
***
ひやり、と、氷点下の温度が、頬に触れて融けた。
上空を見上げると、白い雪がちらちらと舞っていた。霧に包まれた町に降る雪は、色味の違う白が重なって、幻想的だ。
ただ、普通の人にとっては、やはり、得体の知れないものは畏怖の対象でしか無く、まだ日も高い(はずだ。)時刻だというのに、辺りに出歩く人影は見当たらない。
はずだ、というのも、今この町では、日の高さで時刻を計ることが出来ないからだ。
陽光が町に届かなくなってから、どれくらい経っただろうか。
それすらも曖昧で、まるでこの霧には、全ての感覚を茫洋とさせる効果があるようだ。
花村は、そんな町の中を一人、歩いていく。
「っくしゅん!」
くしゃみついでに鼻水も出そうになる。ずず、とすすった鼻は、そのせいで子供のように赤くなっている。
そんなことを知る由も無い花村は、悴んでむず痒い鼻頭を、指先でぽりぽりと掻いた。
どうやらファー付きのジャケットでは、寒さを凌ぐのには足りなかったようだ。
「そりゃ雪降ってりゃな」
呟いて、上着の袷を掻き寄せて身を縮ませた。
雪のせいで、いつにも増して視界の悪い道を、記憶を辿るようにして暫く歩くと、ようやく目的の場所が見えてきた。
水の音がする方へ顔を向けると、より一層寒さが込み上げてくるようだ。
土手の淵まで来て階段を見ると、うっすら積もった雪の上に、真新しい足跡がついているのが見えた。
(――先に着いてたか。)
花村は、気付けば重くなりそうな足取りを、努めて変わらない歩調で進めた。
呼んだのは自分だというのに。花村は自重気味に自分を笑った。
階段を下りて砂利の道を数歩行くと、黒い細身の人影が見えた。
一歩一歩近づくに連れ、姿が次第にはっきりとしていく。
例え顔が見えなくても、誰だかなんてわかっているのだが。
「よぉ、…早いな。」
「陽介の家よりうちの方が近いから。」
「そか、そうだよな。」
よそよそしい会話に居心地の悪さを覚える。相棒だなんて言ってたのが遠い昔のようだ。
次の言葉をどう繋げばいいのかわからず、花村は項垂れた首をさすりながら、相手を下から見上げた。
しかし、相変わらず考えていることの判らない表情をしていて、今の間が余計に次の言葉を重くさせた。
「えっと、久しぶり、だな。」
「あぁ。」
「悪かったな。いきなりこんなとこ呼び出したりして。」
「別に。荷物まとめるくらいしか、することなかったし。」
「あ、そう…だよな。もうすぐ帰るんだったな。」
淡々と答えていたかつての相棒は、花村の返答に少し驚いた顔をした。
つられて花村が「え?」とと言うと、「そのことだと思った。」と答えられ、ますます判らなくなった花村の頭上に?が浮かんだ。
「いや、個人的にお別れでもしてくれるのかと。」
「なんで俺が。」
「つれないな、仮にも相棒じゃないのか?俺は。」
「あー、いや、うん、それは…そうだけど。」
「それとも、悩み事も相談出来ない俺は相棒失格?」
「あ…」
正直、こいつには俺の頭の中なんて全てお見通しで、これから俺の言う言葉も行動も全部、筒抜けなんじゃないかと思う。
見透かされたかのような言葉にも、今更驚いたりしない。こんなこと、学年TOPの秀才様には、見抜けて当然のことなのだ。
花村は、この重苦しい空気を打ち破るため、今までタブーとして話さなかった事について、あえてストレートに切り出した。
「あれから、さ、皆ともあんまり話さなくなって、結局バラバラになっちゃったよな。実際お前と話すのも久しぶりだし。」
「仕方ないさ、あの事は、イチ高校生には荷が重すぎる。」
「荷が、ね…本当はさ、あんなことしたのも菜々子ちゃんの仇討ちだとか抜かして、結局自分の憂さ晴らしたかっただけなんじゃねぇのって…、俺、あん時あいつの顔見たら、先輩の事ばっか浮かんじゃって、すげぇ…」
『ほんとうにいいの?』
――何言ってんだよお前ら、殺したいほど憎い相手が、目の前にいるんだぞ!?
『犯人と同じことして…いいのかな』
――黙って見逃せば、また同じ事の繰り返しだろうが!
(このままでいたら、第二の先輩が生まれるかもしれない。)
(先輩だって、自分殺した奴がのうのうと生き延びて、そんなんじゃ浮かばれねーだろ。)
(先輩の為にも、こいつはここで死んだ方がいいんだ。)
今になって思い返すと、あの時の自分は異様だったと思う。
仲間にも背負わなくていい罪を背負わせてしまった。自己嫌悪だとか。そんな言葉を軽々しく口にするには、事実は重すぎた。
それぞれ重荷に耐えかねてやがて口を開く事を避けるようになり、俺たちの間にある秘密は、結果こうして守られている。
「責任は、お前だけのものじゃないよ。」
こいつはいつだって、俺を助ける言葉を言う。あの時もそうだった。
「やったのは、俺だ。」
「俺も同じだよ。」
「でもっ、俺が…落とした。」
「俺も傍で支えた。逃げないように。ちゃんと落ちるように。落ちていく生田目の声が、遠くなるのも聞いていたよ。」
雪で冷えた頬が、いつもに増して白く浮かぶ。
あの時の事を、言葉の乱れも無く冷静に口にする相手に、花村はぞっとした。
「陽介、済んだことだ。
「お前っ、あの事を…「済んだこと」で終わらせるのか!」
「それじゃあ、例えばお前が過去に戻ってあれを無かった事にできるのか?リセットボタンでも押して?」
綺麗な灰色の瞳は、事実だけを映し、いつもそれを俺に突き付ける。正にぐうの音も出ないとはこの事だ。
「でも…俺があん時あんなこと言わなけりゃ…」
「お前が言わなかったら俺が言ってたよ。」
きっぱりと言い切られた言葉には、珍しく感情が篭っていた。花村ははっとして、目の前の顔を見る。
「何?陽介は俺が聖人君子だとでも思ってた?残念ながら、俺はそんな善人じゃないよ。」
そう言って、少し苦しそうに笑った。
――そうか。そうだ、こいつには俺と同じ痛みがある。大事な人をなくした痛みが。
なんで今まで気付かなかったのだろう。こいつだけは唯一、境遇を共有できる仲間だった。
それならこいつも俺と同じように、罪悪感に苛まれて、何度も思い出して後悔したりしたのだろうか。
仲間に謝罪する事も出来やしない。
俺一人が暴走して、引きずられてしまった仲間たち。いっそ俺のせいとでも思ってくれた方がマシだ。
そんな風に一人で背負った気になってたら、判る訳がない。相棒の気持ちなんて。
「俺も同罪だ。」
呟く相棒の顔は、微かに笑っているのに、泣きそうに見えた。
もっと早く、こうすれば良かった。もっと早くに会って話していれば――。