天つ川
天つ川
深夜のコンビニ。
すれた感じの若者が入り口近くに設置された喫煙コーナーで煙草をくゆらせている。その紫煙を避けるようにして閃は客もまばらな店内へと入っていった。
「あーあ、運悪ィ……」
入ってすぐの陳列棚の前で足を止めるとつい愚痴が出た。
烏森に墨村兄弟の母と名乗る人物が現れて烏森の城を地中から具現化させ、同時に『烏森』を連れ出す、という離れ業をやってのけて、はや数日。
烏森での怪異はぴったりとやんだが、夜行の烏森支部は万一に備えて当面烏森を見張るということになり、支部の面子は残ったまま交代制で見張りに立つことになった。
今日は非番だったので久方ぶりに熟睡できるかと思ったのだが、巻緒と轟らが楽しそうな話をしているのでつい夜更かししてしまったあげく、誰からともなく腹が減ったと言い出して、誰かがコンビニに買い出しに行くことになって。じゃんけんで閃はその「誰か」になったのであった。
これは誰にも言ったことがないが、目立つ容姿からか閃は一人でいると不審者に目を付けられたり声をかけられたりすることが多い。もちろん夜行の一員として一般人にしてやられるようなヤワな鍛え方はしていないつもりだが、厄介なので深夜のコンビニなどは最も避けて通りたい場所であった。
幸い今日はまだ不審者の類とは出会ってないものの、苦手意識はなかなかなくならず、武光や秀と一緒に烏森に行ったほうがまだマシだったとため息を吐く。
後ろから新しい客の気配を感じて通路を譲りながら買い出しリストを手に買い物を済ませていく。雑誌、カップ麺、ペットボトルの茶にスナック菓子。買い出しリストを作る時、誰とは言わないが「ビニ本」なんて言った輩もいたが、さすがに他の面子によって封殺された。
(俺の歳じゃ買えないっての。つかビニ本っていつの言葉だよ!まったく)
早く大人になりたい。最近切にそう思う。ビニ本の類が見たいとかそういうのではなく、もっと漠然としていてなのに切実な感覚に突き動かされて閃はそう請い願わずにいられないのだった。
笹竹に色とりどりの色紙で飾られたレジで会計を済ませてコンビニから出ると、横合いから声をかけられた。
「閃」
見ると、そこに煙草を吸っていた若者の姿はなく、かわりに見知った姿の人物がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。知らず閃の胸が躍る。
「頭領!」
「買い出しか?」
正守が歩き出すのについていくように閃も足を進める。
「ええ、まあ」
ジャンクフードしか入っていない袋を持っているのがふいに恥ずかしく感じられて、一歩下がって歩く。
「烏森の様子を見てきた。武光と秀、それに翡葉とも会ってきたよ」
「どうでしたか?」
「まったく綺麗に烏森の気配が消えてるというのは先日も言ったけど、今も変わらず、だよ。あそこはただの学校跡地だ」
「そうですか」
少なくない時間を烏森で過ごしたためか、感慨のようなものがこみあげてきて閃は空を仰ぐ。コンビニの明かりからも離れて夜空は月が出ているというのに綺麗な天の川が見てとれた。
こんなことで感傷的になってはいけない。きっと正守の心中はもっと複雑なはずだから。だから正守と目を合わせることなく閃は暗い月を仰いだまま、あいまいな相づちを打った。
「なんだ、元気ないな」
「ちょっと……眠くて」
「時間が時間だからな」
正守がクスリと笑うので閃も笑う。視線に気付いて目をあわせると、正守が口を開いた。
「ようやく、俺のことを見たな」
「あ……すみません」
深い意味はなかったのだが、素直に謝る。と。
「許さない」
「え?」
驚いて足を止めると、正守がつかつかとやってきて閃の腕を取り、抱きすくめた。
「頭領!?」
「しーっ」
人通りのない場所とはいえ天下の往来だ。誰が見ているとも限らないというのに、正守は閃の顎を掴むと己の唇で閃の唇を奪った。
「んっ!」
驚きのあまり変な声が出たが、正守は気にする様子もなく、閃の唇を割って舌を差し入れてくる。
片方の手にコンビニの袋をぶら下げたまま、もう片方の手が所在なく正守の胸元を動くが、何もできずにただ受け入れる。閃の口の中を自在に動く正守の舌の動きに翻弄されて。
「……は、ぁ」
ようやく正守が閃から唇を離すと、顎を掴んでいた手を閃の後頭部に廻して、肩口に押しつけるようにして頭を抱いた。
「つれないな、閃は」
「え?」
先刻から正守の予期せぬ行動の連続で、それに振り回されていた身としてはただ疑問符を投げかけるくらいしかできることがない。
「もっと恋人っぽくしてくれてもいいのに。背中に腕を回すとかさ」
「恋人なんてそんなっ……それに、手に荷物が……」
「判ってるけど。――行ったぞ」
「はい?」
「お前をつけてた奴」
「!?」
言われていることがわからなくて混乱するが、正守はゆっくりと説明した。
「コンビニを出てきた所から、今まで誰かがつけてきてた。能力者じゃなくて素人――一般人だな。俺じゃなくて、お前が目当てみたいだったから、わざとこんなことしてみせたんだけど」
そう言われて周囲の気配を探るが、それらしいものはない。
「もういません……ね」
「みたいだな。早く支部に戻ろう」
「はい」
早く戻ろうと言われて拘束を解かれて、一瞬だけ寂しさがこみ上げてきたのを、閃は表情に出さぬように飲みこむと今度は正守と並んで歩き出す。
「星が綺麗だな。もうすぐ七夕じゃないか」
言われてみればそんな時期でもある。そういえばコンビニにもそんな飾りがされていたような。
「気付きませんでした」
「というか、そんなのどうでもいいって顔だな。俺もだけど」
「チビどもがいたら、何かやったかもしれませんけどね。夜行で」
夜行には今、希望者と己の身を守ることのできる者しかいない。この裏会のごたごたが済むまで、夜行に子供の姿が戻ることはないだろう。
「頭領の子供の頃はどうでした?」
「うちはそういうの何か知らないけど好きでさー、雑貨屋とかから父さんがはりきって色々買ってくるんだよ。弟たちも楽しそうで――」
正守の瞳が遠くを見る。
今は家を出た正守の心中に複雑なものがあるのは理解しているが、それでも閃は良守らのことを話す時の正守が好きだった。
嫉妬も愛情もとまどいも全て剥き出しになった、ほんとうの正守がかいま見えるから。
「あの家族は好きそうですね」
「だろ?」
「行かないんですか、訊ねて」
「……今の裏会のごたごたと母の件が片づくまでは、ちょっと近寄りがたいかな」
正守の声が堅くなったのに気付いて、閃はこの会話を打ち切ることに決めてつとめて明るい声を出した。
「烏森は俺ら夜行烏森支部が見張りますから、頭領は裏会に専念してください」
「良守みたいなこと言うねえ。毒された?」
「けっこう長いこと一緒にいましたからね、そうかもしれません」
そして忍び笑うと、正守もまた喉を鳴らすようにして笑う。
「不思議だな」
「何がです?」
正守は笑うのをやめて、閃に目線を移した。
「今日はずいぶん、踏み込んだ話をしてしまった。もし今ここにいるのがお前じゃなくて良守だったら、きっとどちらかが傷付いてたと、俺は思う」
その瞳の色は限りなく深くて、閃は頭を下げた。
深夜のコンビニ。
すれた感じの若者が入り口近くに設置された喫煙コーナーで煙草をくゆらせている。その紫煙を避けるようにして閃は客もまばらな店内へと入っていった。
「あーあ、運悪ィ……」
入ってすぐの陳列棚の前で足を止めるとつい愚痴が出た。
烏森に墨村兄弟の母と名乗る人物が現れて烏森の城を地中から具現化させ、同時に『烏森』を連れ出す、という離れ業をやってのけて、はや数日。
烏森での怪異はぴったりとやんだが、夜行の烏森支部は万一に備えて当面烏森を見張るということになり、支部の面子は残ったまま交代制で見張りに立つことになった。
今日は非番だったので久方ぶりに熟睡できるかと思ったのだが、巻緒と轟らが楽しそうな話をしているのでつい夜更かししてしまったあげく、誰からともなく腹が減ったと言い出して、誰かがコンビニに買い出しに行くことになって。じゃんけんで閃はその「誰か」になったのであった。
これは誰にも言ったことがないが、目立つ容姿からか閃は一人でいると不審者に目を付けられたり声をかけられたりすることが多い。もちろん夜行の一員として一般人にしてやられるようなヤワな鍛え方はしていないつもりだが、厄介なので深夜のコンビニなどは最も避けて通りたい場所であった。
幸い今日はまだ不審者の類とは出会ってないものの、苦手意識はなかなかなくならず、武光や秀と一緒に烏森に行ったほうがまだマシだったとため息を吐く。
後ろから新しい客の気配を感じて通路を譲りながら買い出しリストを手に買い物を済ませていく。雑誌、カップ麺、ペットボトルの茶にスナック菓子。買い出しリストを作る時、誰とは言わないが「ビニ本」なんて言った輩もいたが、さすがに他の面子によって封殺された。
(俺の歳じゃ買えないっての。つかビニ本っていつの言葉だよ!まったく)
早く大人になりたい。最近切にそう思う。ビニ本の類が見たいとかそういうのではなく、もっと漠然としていてなのに切実な感覚に突き動かされて閃はそう請い願わずにいられないのだった。
笹竹に色とりどりの色紙で飾られたレジで会計を済ませてコンビニから出ると、横合いから声をかけられた。
「閃」
見ると、そこに煙草を吸っていた若者の姿はなく、かわりに見知った姿の人物がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。知らず閃の胸が躍る。
「頭領!」
「買い出しか?」
正守が歩き出すのについていくように閃も足を進める。
「ええ、まあ」
ジャンクフードしか入っていない袋を持っているのがふいに恥ずかしく感じられて、一歩下がって歩く。
「烏森の様子を見てきた。武光と秀、それに翡葉とも会ってきたよ」
「どうでしたか?」
「まったく綺麗に烏森の気配が消えてるというのは先日も言ったけど、今も変わらず、だよ。あそこはただの学校跡地だ」
「そうですか」
少なくない時間を烏森で過ごしたためか、感慨のようなものがこみあげてきて閃は空を仰ぐ。コンビニの明かりからも離れて夜空は月が出ているというのに綺麗な天の川が見てとれた。
こんなことで感傷的になってはいけない。きっと正守の心中はもっと複雑なはずだから。だから正守と目を合わせることなく閃は暗い月を仰いだまま、あいまいな相づちを打った。
「なんだ、元気ないな」
「ちょっと……眠くて」
「時間が時間だからな」
正守がクスリと笑うので閃も笑う。視線に気付いて目をあわせると、正守が口を開いた。
「ようやく、俺のことを見たな」
「あ……すみません」
深い意味はなかったのだが、素直に謝る。と。
「許さない」
「え?」
驚いて足を止めると、正守がつかつかとやってきて閃の腕を取り、抱きすくめた。
「頭領!?」
「しーっ」
人通りのない場所とはいえ天下の往来だ。誰が見ているとも限らないというのに、正守は閃の顎を掴むと己の唇で閃の唇を奪った。
「んっ!」
驚きのあまり変な声が出たが、正守は気にする様子もなく、閃の唇を割って舌を差し入れてくる。
片方の手にコンビニの袋をぶら下げたまま、もう片方の手が所在なく正守の胸元を動くが、何もできずにただ受け入れる。閃の口の中を自在に動く正守の舌の動きに翻弄されて。
「……は、ぁ」
ようやく正守が閃から唇を離すと、顎を掴んでいた手を閃の後頭部に廻して、肩口に押しつけるようにして頭を抱いた。
「つれないな、閃は」
「え?」
先刻から正守の予期せぬ行動の連続で、それに振り回されていた身としてはただ疑問符を投げかけるくらいしかできることがない。
「もっと恋人っぽくしてくれてもいいのに。背中に腕を回すとかさ」
「恋人なんてそんなっ……それに、手に荷物が……」
「判ってるけど。――行ったぞ」
「はい?」
「お前をつけてた奴」
「!?」
言われていることがわからなくて混乱するが、正守はゆっくりと説明した。
「コンビニを出てきた所から、今まで誰かがつけてきてた。能力者じゃなくて素人――一般人だな。俺じゃなくて、お前が目当てみたいだったから、わざとこんなことしてみせたんだけど」
そう言われて周囲の気配を探るが、それらしいものはない。
「もういません……ね」
「みたいだな。早く支部に戻ろう」
「はい」
早く戻ろうと言われて拘束を解かれて、一瞬だけ寂しさがこみ上げてきたのを、閃は表情に出さぬように飲みこむと今度は正守と並んで歩き出す。
「星が綺麗だな。もうすぐ七夕じゃないか」
言われてみればそんな時期でもある。そういえばコンビニにもそんな飾りがされていたような。
「気付きませんでした」
「というか、そんなのどうでもいいって顔だな。俺もだけど」
「チビどもがいたら、何かやったかもしれませんけどね。夜行で」
夜行には今、希望者と己の身を守ることのできる者しかいない。この裏会のごたごたが済むまで、夜行に子供の姿が戻ることはないだろう。
「頭領の子供の頃はどうでした?」
「うちはそういうの何か知らないけど好きでさー、雑貨屋とかから父さんがはりきって色々買ってくるんだよ。弟たちも楽しそうで――」
正守の瞳が遠くを見る。
今は家を出た正守の心中に複雑なものがあるのは理解しているが、それでも閃は良守らのことを話す時の正守が好きだった。
嫉妬も愛情もとまどいも全て剥き出しになった、ほんとうの正守がかいま見えるから。
「あの家族は好きそうですね」
「だろ?」
「行かないんですか、訊ねて」
「……今の裏会のごたごたと母の件が片づくまでは、ちょっと近寄りがたいかな」
正守の声が堅くなったのに気付いて、閃はこの会話を打ち切ることに決めてつとめて明るい声を出した。
「烏森は俺ら夜行烏森支部が見張りますから、頭領は裏会に専念してください」
「良守みたいなこと言うねえ。毒された?」
「けっこう長いこと一緒にいましたからね、そうかもしれません」
そして忍び笑うと、正守もまた喉を鳴らすようにして笑う。
「不思議だな」
「何がです?」
正守は笑うのをやめて、閃に目線を移した。
「今日はずいぶん、踏み込んだ話をしてしまった。もし今ここにいるのがお前じゃなくて良守だったら、きっとどちらかが傷付いてたと、俺は思う」
その瞳の色は限りなく深くて、閃は頭を下げた。