ソードマンの独白-7.5 神のみぞ知る
「――その素材の話については、メディックに伝えておくから」
あの人に逃げられたのがそんなにショックだったんだろうか。床に硬貨をばらまきつつ慌てて支払いをしようとするアルケミストを見ないようにしながら、おれはそう言って、おやじさんに手をあげた。おうよと手をふるオヤジさんを確認し、店を出ようとしたところ、腕をつかまれた。
「待て。……どこへ行くんだ?」
「用が終わったから帰る」
他に何かあんの? 彼がばらまいた硬貨を拾う手伝いをしようなんてこともせず、おれはさっさと店を出た。
しばらく通りを歩いて気づいた。――どうして追いかけてくるんだよ。追っかけるんなら向うでいいじゃん。横に並んだ細身の身体に、おれはひたすらにイライラしてた。
「何?」
彼がどうにか話かけようとしてるのはわかってた。何で。おれのこと好きじゃないくせに、どうしてそういう機嫌をとるみたいなことするんだよ。
「帰るんだろうが。どうせ宿は同じだろう」
でも、いっしょに帰る理由はないよね。アンタは鋼の棘魚亭にほとんど手つかずの料理と酒を残してたんだし。
午後の通りをひたすらに無言で歩く。彼は何も言わなかったけど、ただおれと歩調を合わせて隣を歩いてた。看板が見えてきたところで、ほんのちょっと彼の歩調が乱れるのがわかった。彼が何か言う前にと、おれは口を開いた。
「アンタ、前におれに搾取される覚悟がないならあの人には近づくなって言ったよね」
「……?」
彼は足を止めた。そのまま数歩先に進んでから、おれはふりかえった。戸惑うような表情(かお)をしてた。
「――アンタはどうなの?」
「どう、とは」
「アンタは搾取されてもいいの?」
アンタはあの人に対してとても手厳しいことを言ったけど、アンタ自身がとてもそう行動してるとは見えない。おれに対するよりずっと心許した表情で、ずっと親しげに楽しそうに話をしてるよね。
十分に注意している、と。そう返ってくるのを、心の隅で期待してた。だけど、彼の答えは違った。不思議そうにまばたきしたあと、ああと彼は言った。
「おれは別に。奴がおれから搾取しようとするであろうものは予想がついているし、提供したからと言ってどうということもない」
難しい答えだった。結局彼はどんなふうにあの人のことを扱ってるのか、どう思っているのか。
「それって」
うん? と。彼は首をかしげる。
「それって、あの人になら何をされてもいいって言ってない?」
「――ああ、そういう言い方もできるな」
友人ていうのは、本来そんなものなのかもしれない。おれはギルドの皆しか知らないからよくわからないけど。……だって、メディックはあそこから連れ出してくれていろんなものを与えてくれた恩人(こわいひと)だし、ダークハンターも同様だ。パラディンは多分、おれのことは多分後輩か弟分だと思ってると思う。そしてアルケミストは――正直わからない。だからギルドの皆を友人というのかどうかは良くわからない。ただ少なくとも、おれは彼らがおれから何かを盗もうとしてるとかいちいち考えないし、ちょっとした言葉遊びやカードの勝ち負けみたいのはあっても、基本的におれに悪いことをするとは思ってない。だから、あの人が彼にとっての旧友っていうのなら――当然のことを言ってるのかもしれなかった。でも。おれはただひたすらに、自分が口にした言葉と、それを肯定する彼の表情に打ちのめされていた。ああ、彼にとってあの人はとても大事な相手なんだ。彼自身の観察眼で、あの人はどちらかというと信用できる相手ではないと思っているらしいのに。いや、そのことすら、あの人に余計な誰かを近づけさせないための嘘みたいに思える。
何も言えずに、おれはきびすを返した。
「おい、待て。全く時間がないわけじゃあないんだろう?」
その背中を彼の声が追ってきた。
「ヒマならあの人につきあってもらえばいいじゃん。どうせ一晩過ごすつもりだったんだろ」
「なんだそれは」
それが精いっぱいだった。彼の声を無視してフロースの宿にかけこみ、メディックへの伝言も持っていかず、ただ便所に閉じこもって泣いた。大部屋住みなんだから、他に行く場所なんかない。寂しがらせてゴメンとか、せめて自分も会いたかったとか、そう言ってくれてたら、きっと何かが違ったんじゃないかと思う。でも残念ながら、彼はそう言ってくれなかった。思ってもないんだろう。他人が思い通りの行動をしないなんて当たり前のはずなのに、こんなにもどうしようもないくらいに辛いのは初めてだった。
*
彼が伸ばしてくる手ははねのける。でも、彼の行動からは目がはなせない。最悪だった。彼が心底メディックのことを嫌ってるのは知ってるのに、そのメディックにさえ妬く有様だった。もしも彼とメディックが一緒に働いてる時間って言うのがなかったとしても、きっとおれと彼が一緒にいるってことはないに違いないのに。
それでいて、たちのわるい安堵と喜びもあった。彼がおれの表情を見ながら手を伸ばしてくる。はねつけた後もまた、声をかけてくる。彼は調べものと探索を両方こなさなくてはいけなくて、とてもとても忙しいはずなのに。
いっそ顔を合わせることがなければ楽なのに。彼が追いかけて――そう勝手に思うくらいいいじゃん、来てくれる。苛立った顔じゃなくて、困った顔をするのを見る度に、おれはそんな矛盾した気持ちを抱えていた。もしも誰かに話してたら、全員が全員、おかしいと言っただろう。
まわりのことを気にする余裕なんかほとんどなかった。ただ、ひどく態度に出てないといいなとは思ってた。一応、アルケミスト以外には普通にしてたつもりなんだけど。でも、パラディンがいつもより余計に剣の相手をしてくれたり、一皿おごってくれたりしたから、やっぱり様子はおかしかったかもしれない。
そんな日々が続き、今日はアルケミストも含めて一日中探索って日だった。目当ては氷花で場所は第三階層・六花氷樹海。公宮からの任務だ。第四層へ行くための手掛かりとひきかえに引き受けた。らしい。
で。それはともかく。これって公宮から直接受けたって話で、鋼の棘魚亭のオヤジも知らない任務ってことだとか。これから先、公宮に探索の階層を知らせるんなら、期待のギルド登場! でいいんじゃないかと思うんだけど、どうやら違うっぽい。なんなんだろ。もしかして今回だけの取引ってやつなのか。
……相変わらずオヤジには、オマエらもうちょっと気張れよ先越されんぞ扱いされて反応に困ってるとか何とか。
エスバットが道を開いたといっても、新しい階層に散歩用の小道ができるわけじゃない。磁軸でたどりついた場所には、まっしろで滑らかな地面が広がっていた。各々の装備と辿るべき経路を確認し、まっさらな新雪に足跡をつける作業に入る。どこかで、ばさりと木が揺れる音がした。
木から雪が落ちる音がするたびにあたりを伺う必要はないけど、油断していい場所じゃないのは百も承知だ。翼人に囲まれることこそないけど、この階層の魔物は十分すぎるほどに強い。
作品名:ソードマンの独白-7.5 神のみぞ知る 作家名:東明