大きな姫と小さな王子(仮)
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「父上……もういい加減にしてください…無理があるにも程があるでしょう!!」
地を這うような低い美声が怒りも露に響き渡った。
優雅な装飾に満ちた王宮の広間には凡そ似つかわしくないそれに、王は眉を顰めて顎を手で擦りつつ渋々と口を開く。
「そうは言うがね…今更撤回もできんだろう?ロイ姫。」
「その敬称を付けないで下さい!」
「でも姫は姫だし…」などとぶつくさ言い続ける王を尻目に母である王妃に向かい直し。
「母上、私ももう29です。そろそろ加齢臭だって漂い始めるのですよ!寝起きは髭もちくちく生えてるし…この歳でロングドレスで見えもしない脛毛の処理をする私の気持ちが解りますか?!」
一気に捲くし立てたは良いが、相変わらずのほほんとした王妃の姿に怒りより溜息が先行した。
「確かに寄って見たら結構辛いものもあるわね…でも大丈夫よ?公務の際は遠巻きにしか見えない位置に座らせているのだし、充分美しいわ?」
「そういう問題ではありません!」
がおーっと噛み付かんばかりの娘(息子)から愛する妻を守る様に王は身体を割り込ませる。
ふむ、と顎に手を宛てると、王はそれはもう素晴らしい笑顔でこうのたまった。
「そろそろお婿さん貰おうかね。」
その一言に、ロイ姫は真っ白になって硬直した。
「実はお前の許婚が今年でやっと15歳になるのだよ。」
「大佐、どうかなさいましたか?お加減が優れないようですが…。」
仕事が遅々として進まないのは何時もの事だが、珍しく今日は顔色の良くない上司に、これまた珍しく仏心を出した副官が声を掛けた。
普段であれば襟元さえ崩さぬまま取り澄ました顔をしているこの男が青の軍服を着崩し、だらしなく執務椅子の背に身体を預けていて、鬼の霍乱を疑う。
滅多に見れぬ副官の心配気な表情に、国軍大佐ロイ・マスタングは小さく息を吐くと額に手を宛てて理由を口にした。
「…私に婿が来るらしい…。」
「………まさかそんな…それでは姫が男であるとバレてしまうではありませんか。」
「既に王は何らかの手を打っているらしいんだ…それが全く読めなくて参ってしまってね…。」
なるほど、と相槌を打ち、くるりと椅子を回して窓の外に目をやった上司を一人にさせてやるべく、空気の読める副官、ホークアイ中尉はそっと執務室を後にした。
単に今日の執務は諦めただけであったが…。
30年前、アメストリス王国は非常に荒んでいた。
現王であるキング・ブラッドレイに王位が渡るまでの前王が余りにも国政に興味が無かった為である。
酒と女に溺れ、毎日の様に繰り広げられた淫靡な宴。
国民は貧困で喘ぎ、漬け込む様に蔓延したタチの悪い麻薬。
国を守る為にある軍でさえ、まともに機能していなかった。
この国は終わりだと誰もが悲観に暮れ、近隣の国に逃げ出す者も後を絶たない。
そんな中、諸悪の根源でもあった王を幽閉し、王位に付いたのが前王の従兄弟であったキングだ。
王が変わったとして、国政が即座に好転する訳もなく、暗雲垂れ込める時は何年も続いた。
漸くと軍が軍として機能し始め、民を守るべく正義の名の下に動き始めた頃、キングの人生唯一の妻である王妃が懐妊したのだった。
腐り切った国の中枢は少数であったが尚健在で、正しく国を作り直そうとするキングを煙たがる一派に命を狙われる可能性が高い赤子を、それが男の子であろうとも姫として公表し育てようと言い始めたのは、普段おっとりと振舞う王妃。提案に驚きはしたものの、ではそうしようと気楽に頷いたキングは、その後の事を考え親友である隣国の王に相談を持ち掛けた。
その相談と言うのが今後、姫(王子?)の生活を益々揺さぶる事になるのだが…。
かくして、王と王妃の愛情を一身に受け生まれた赤ん坊は可愛らしい男子の証明が付いていたのだが姫として公表される事と相成った訳である。
ロイと名付けられた姫君はそれはそれは美しい濡れ羽色の髪と瞳を持ち、ゆっくりとではあったが着実に建て直される国の往く流れと共に健やかに育った。
若干の歪みは否めないけれど…。
作品名:大きな姫と小さな王子(仮) 作家名:pana