解夏
「そう言えば、初めて臨也さんの名前を聞いた時、とても覚えがあったんですよ。それで父親だって言われて、なんだかそうだったような気がしたので、多分そうなんでしょうね」
帝人君、俺が本当に父親だったら、そんな風に言われたら悲しくて泣いてしまうよ。と思う。彼が俺の名前と父親を結びつけたのは多分彼の父親の名前が俺の名前と似ていたからだ。
「そう…」
「……お父さんって呼ぶのは……やっぱり駄目ですか」
帝人君はそっと息を吐く様に囁いて、甘える様な目で俺を見た。
今では父親と頷いたことを後悔している。これでは手の出しようがない。キスもできない。それ以上も。
子どもが不安がって伸ばした手を思わずとってしまったけれど、俺は彼の父親になりたいわけじゃない。けれど、あの時俺は何と言うべきだったのだろう。俺は彼の何だったのだろう。
「駄目。昔から俺の事、君は臨也さんって呼んでたんだから。ね」
嘘を重ねた。以前の彼は俺の事を「折原さん」と呼んだ。
俺を信頼する様な、警戒する様な、少しだけ、友人の様な柔らかい感情で彼は俺に接した。
彼にとって俺は、池袋で彼を取り巻く、彼が飛び込む混沌の中の一つでしかない。
俺にとって彼が盤上の駒でしかなかったように。
お互いに集合体の一つ。
惹かれあったのだと、運命だったのだと、俺は思っている。
池袋に行くと高確率で彼と会った。
俺を見て、彼はとても複雑な顔をする。
後ろめたさと好奇心と、それから僅かな忌避。そして労り。
瞳を輝かせるわけでもなく、俺の体から鉄の匂いのする場所を探す様な、そんな目をする。水面で震える、それは月の光の様だった。
その透明な湖面を俺は酷く憎んだ。それなのに、何故か足は彼の住む地へ向かう。
運命なんて嘘だ。偶然なわけがない。
俺が調べて、画策して、彼に会い行った。
自傷するようにその瞳を覗いた。
「折原さん」と彼は呼ぶ。
俺は擦り切れて、疲れ果てた。
お終いにしたい。
終わりにしよう。
妖精の瓶を開けるように唆したのは俺だった。
カラーギャングの抗争で疲弊しきった彼の薄い体を抱き寄せて、頼りない掌に冷たいものを握らせた。
そして彼は集束していく。終わりへ。
妖精の呪いを浴びて、落ちる様に意識を失った彼の最後の言葉は「ダラーズ」だった。
君はどうしてそんなにあれに執着するの。
どうして彼と彼女のいる日常を取り戻そうとするの。
彼等でないと駄目なのか。
どうして。
…………どうして。
「臨也さん」
帝人君の声に俺は我に返った。
遠慮がちに伸ばされた手が体温を探って、前髪をかき分けて額に触れる。
「大丈夫ですか?顔色があまり良くないですよ」
「…………何でもないよ」
「でも」
「何でもないんだ。……ねえ、もっと触って」
「……」
帝人君は何か言いたそうにしながら冷たい手で俺の頬を撫でた。
その手に指を絡めて、俺は彼のベッドに乗り上がる。
「俺の事呼んで、帝人君」
「……臨也さん」
「もう一回」
「臨也さん。……やっぱり少し休んだ方が良いですよ」
「やだ」
俺を心配して身を起した彼を抱きしめて肩口に頬を寄せる。
これで良い。
このまま終わってしまえば良い。
「臨也さん」
帝人君はもう俺をあの目で見ない。
困惑と安堵と好意と少しの嫌疑。そして労りと甘え。
似通った、違う色の瞳を覗く。
抱き締めると体に一瞬力が入って、抜ける。もたれかかるように抱き締め返される。
欲しかったものはここにある。
あの揺らぐ湖面は失われた。それがとても悲しいのに、俺は満足していた。彼はもうすぐ終わるのに、俺はそれがとても苦しいのに、安堵している。
彼が終われば俺も終わるのだろうか。
俺は終われるのだろうか。
終えることができるのだろうか、この恋を。