プラネット・ブルー
「じゃあ、好きなものは、」
「は?」
虚を衝かれ、ジョミーは思わず間抜けな声をあげた。荒んだ心に、いきなり水を流し込まれたかのようだった。自分では気がつかなかったが、ジョミーの顔面からは、数秒前までの老人めいた憂いの気配が、きれいに消し飛んでいた。そこにあるのは、幼い顔だ。無垢な、14歳の顔だ。
「好きな、もの……?」
そんなことを、考えたことはなかった。
「たとえば、」
途切れた言葉につられて、少年を見やる。少年は、どこか優雅な仕草で、上に向かって手を差しのべてみせた。まるで限り無いように、広がる青い色。その先に何があるかもジョミーは識っていたのだけれど、なぜかこの刹那、白い指先の向こうは、永遠に見えた。
「空。」
「そら、」
呆然としたまま呟くジョミーを見て、少年はやはりほとんど無表情のまま、しかし焦れたようにその目つきだけを鋭くした。
「いつも見つめてるじゃないか、」
「いつも?」
ジョミーは、屋上に居る。退屈な授業から抜け出して、いつも。ただ、空を見上げて。何故だろう、云われてみればいつだって、ジョミーはこの蒼を見つめていた。
「どうして君が、そんなこと知ってるんだ?」
「……見えていたから。それより、空は好き?」
少年は、ジョミーの困惑も意に介さないようだ。もうその口元には、先刻までの笑みは無い。ジョミーは戸惑い、そんな素直な自分にまた少し驚いた。訊かれても、判らない。それがジョミーの正直な答えだ。この世界に自分が好きになるものなど、在りはしないと思っていたのだから。だが、そう答えるのも憚られるくらい、少年の声色は真剣だった。
瞬きをせずに見つめてくる視線と、まともにぶつかってしまう。目が、逸らせない。そこだけが、少年の強い感情を窺わせた。人形のように静かに端整な顔の中で、蒼だけが、輝いている。
「あお、」
ジョミーの口からは、言葉が勝手に滑り出た。
「空の、青だけは……好き、かもしれない。」
ふいに、少年の、無表情にしか見えなかった顔が綻んだ。微笑み。今度のそれは、偽物めいた笑みではなく、自然に広がるものだった。ジョミーは思わずどきりとした。そんな自分に、はっきりと戸惑った。
「そっか。なら、きっと君はぼくを好きになってくれる、」
「な、」
余りな内容に、驚きと他の何かで、ジョミーの鼓動が速まる。もう要らないとさえ思っていた感情が、動き出す。勝手な言葉に文句を云いたくとも、その感情が苛立ちを波うつ先から飲み込んでしまう。焦りにも似て、人を戸惑わせるような。
(ぼくはこれも知っているはずだ、何と云ったっけ。)
少年の手が、ジョミーの手を掬い取った。伝わってくる体温。熱いような、少しせつないような。
(こんな気持ち、何と云うんだっけ、)
「ぼくの名前、ブルーっていうんだ。君が唯一好きなものと、同じ名前。」
きれいな笑顔と共に、少年は秘密を打ち明けるようにして云った。ぎゅ、と握りこまれた指先に、酩酊感にも似た甘い震えが走る。
ブルーは、嬉しそうにその蒼い瞳でジョミーを見つめた。