星をなくす日
1. 青い色と出会う
流星のように、スパークする光。
触れられそうなほど近くで、青い瞳がちかちかと光った。うつくしい色。
起きぬけでまだ朦朧とする頭を持て余しながら、ジョミーは緩慢に起きあがった。
寝癖のついた金髪を撫でつけつつ、クローゼットへと向かう。どうしてか寝起きには決まって、左の側頭部の髪だけはねるのだ。寝相は良いほうだから、むしろずっと同じ体勢で眠っているせいかもしれない。柔らかい猫っ毛で癖がつきやすい。
部屋着にしているスウェットを脱ぐ。幾つかハンガーにかかっている中から、きれいなペールブルーのシャツを選んだ。
どちらかというとカジュアルな格好が好きなジョミーは、あまりこの母親から贈られたシャツを着た事が無い。けれど今朝は、気が向いた。
身体はキッチンへ向かう。妙な具合でのどが渇いていた。冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
「あ、」
手のひらに伝わった冷たい感触に、唐突に思い出した。
さっきまで見ていた夢だ。夢の中でこのシャツと同じような色の目を見た。細かいところまでは覚えていないが、たぶん全く知らない人だったような気がする。
くだらない、と欠伸を噛み殺した。
「全く、どうせなら、かわいい女の子がよかったな」
「そりゃあ、悪かったね」
唐突にかかった低い声が、ジョミーに呼吸を忘れさせた。
一人暮らしの部屋だ。当然、彼のほかには誰も居ないはずである。正確に言うと、金魚を一匹飼っているので一人と一匹しか居ないはず、だったが、金魚は喋れないのでこの場合考えなくともよい。ともかく、ここで返答などあるはずもない。さらにはジョミーは踵を返したばかりでそれなのに声は背後、つまりついさっきまでジョミーが居たところから聴こえた。
ぎぎぎ、と音がしそうなくらいぎこちなく振り返ると、見知らぬ男が当然のように立っていた。
ジョミーと同じ歳くらいに見えたが、優しげな顔立ちのためよく判らない。本当はいくらか年上かもしれなかった。ジョミーよりも少し上の位置に彼の頭がある。青い双眸が美しい、ひどく整った容姿の青年だった。
そこまでなら、まだ良かった。
良かったと言い切るのには些か問題はある。突然部屋に現れたのだから、何かしら怪しいことは疑いようもない。さらに、相手は自分よりやや身長の勝った人物だ。何かあればこちらが力負けする可能性もあるのだ。警戒すべきに決まっている。
けれどその青年は、強盗だとか殺人鬼だとかいった危険人物のようには見えなかったし、たとえそうならそうでも、対処のしようがあったと思うのだ。
むしろそうであってほしかった、というのがジョミーの紛うことなき本音である。そう、悪意を持っただけの、ただの人間だったならば。
青年の輪郭は、周囲の空気に馴染むようにぼんやりとしていた。ゆらめいていると言ってもいい。そのせいでなかなかお目にかかれないくらいの美形なのに、いまいち存在感が無い。こんなやつ明らかに人間じゃない。これはいわゆるあれだとジョミーは考えて、くらありと眩暈を起こした。
「で、」
「出たあ、なんてありきたりなことは言わないでくれよ。いい加減、聞き厭きているんだ。まったくどうしてどいつもこいつも同じことしか言わないんだろうな。独創性と言う言葉を知らないのか」
それまで全く動かなかった唇が開いたかと思うと、随分ときつい調子の言葉が迸った。
行き場のなくなった恐怖が、たぶん今ここら辺にぷかぷか浮いてるぞ、と言えそうなくらいジョミーは宙ぶらりんな心地になった。今、なんと言われたのだ?
落ち着くために息を吸い込むと、予想外に不格好な呼吸音がした。やっぱり僕は緊張してるんだ、とジョミーは要らない再確認をした。ともかく取って食われそうだったり、とり殺されそうだったりはしない。人間ではなさそうだが話は通じそうだ。ジョミーはけなげに、冷や汗の滲むこぶしを握り気合いを入れた。
「あ、あの……あんた、幽霊、なの?」
男は片眉を上げて、それから重々しげに口を動かした。
「……君は幾つだ?」
「は、」
思わず口から間延びした声が漏れたが、男はジョミーの反応には無頓着だった。はっきりと眉間に皺を寄せ、今度こそ刺々しく口を開いた。
「見たところ君は、僕より年下だと思うんだが。せいぜい学生だろう?なら、その言葉遣いはないんじゃあないかな。年長者には、もっと敬意を払うべきだと思わないか?それでなくても、あんた、という呼称は不躾で僕は好きになれないね」
場違いとも言うような指摘を堂々と言い切った青年は、ゆったりと腕を組んだ。
やれやれと言わんばかりの嘆かわしげなため息付きだ。そこには、芝居じみたわざとらしさがあり、青年の嫌みな態度を余すところなくジョミーに伝えることとなった。それこそ、ジョミーが状況の異常さを忘れるくらいにはっきりと。
結果まだ精神的に大人とも紳士とも言えぬ、いわばまさに“若者”であるところのジョミーは、挑発ともとれる態度に応戦することになった。売られた喧嘩は買うのである。
「悪かったなガキで不躾で!僕は19歳だ文句あるか!!」
噛みつくように怒鳴ったジョミーを見て、今度は、青年がぽかんとした。そんな様子だと顰め面よりはずっと幼く見えたが、勿論今のジョミーにそれを見てとる冷静さなど無い。青年は、ゆっくりと数度瞬きをしてから、首をわずかに傾げた。
「何を急に怒っているんだ?今は、冷静に話をすべきだろう、」
あんたのせいだろ!と叫びたくなるのを、何とか堪えた。
幸いジョミーは聡い人間だったので、自分の今喋っている相手が無頓着さで人の神経を逆なでする物言いをし、かつその自覚に乏しいという、何ともはた迷惑なタイプだと理解できた。となれば、怒っても仕方がない。たとえ相手が人間じゃなくとも、対人関係というのは敏感さや経験に裏付けされ、営まれるのである。妙なところで悟ったジョミーであった。