素晴らしき日々かな?
『今日の夜、家に行ってもいいですか?』
そう昼過ぎに届いたメールは、短く簡素だった。
そのメールに 何時頃? と返すと、すぐに『8時くらいになりそうです。大丈夫ですか?』と返事が返って来た。
いいよ、とだけ打ち返し、携帯を閉じる。
そういえば、彼からメールが来たのは、二か月ぶりの事だ。
書類とディスプレイを見比べながら、キーボードを叩く。
この仕事を六時までに終わらせて、その後買いものに行けば、ちょっとしたおつまみくらいは作れるだろう。彼と会うときは、どうしてもつまみが必要になる。帝人君からの誘いは、つまりは飲み会なのだから。
○
台所で揚げ物をしていると、玄関のインターホンが鳴った。
もうそんな時間かと思い玄関に向かいながら時計を確認すれば、約束の時間を三十分ほど過ぎていた。
鍵を回しドアを開けてやれば、走って来たのか少し頬を赤らめた帝人君が立っていた。
ドアの隙間からひょっこっり顔をのぞかせる帝人君は、青い制服ではなく、きっちりとスーツを着こなしている。帝人君は、入社一年目の、立派な社会人だ。
「遅くなってすみません、お酒買ってたら遅くなっちゃって」
そう言った帝人君の右手に掴まれたビニール袋の中には、確かに様々な缶がひしめき合っていた。
「いいよ。とりあえず冷蔵庫入れとくから、それ貸して」
缶で膨れたビニール袋を帝人君から奪い取り、中へと招く。
「今揚げものしてるから、適当に座ってて」
「あ、はい。すいません、わざわざ」
「わ、凄い良い匂い」という帝人君の言葉を背中で聞きながら、俺は揚げ物のもとへと急いだ。
○
冷蔵庫で冷やしておいたグラスにビールを注いでやる。
それを渡すと、帝人君は「ありがとうございます」というや否や、喉を鳴らしながら一気に半分飲み下し、口周りについた泡を手の甲で拭った。なんだか動作がオヤジ臭い。全く、帝人君も歳をとったものだ。
「乾杯とかしないわけ?」と言ってやれば、恥ずかしそうに眉根を寄せる。その姿に、無意識に高校生の時の彼を重ねてしまう。
彼が俺の家に来て飲むものは、メロンソーダとかオレンジジュースだとか、そういうジュース類から、缶チューハイだとかビールだとか焼酎になって、彼が俺に話す事は、学校の事から会社の事になった。彼は、どんどん大人になる。彼が大人になった分、俺も歳をとった。
彼は非日常を追いかけることをやめたけれど、俺は今でも人間を愛しているし、情報屋なんてくそったれな仕事を続けている。彼は変わったかもしれないけれど、俺は、変わらない。
そんなことを思っている間に、帝人君はグラスのビールを飲み干したようで、次は自分が買ってきたという焼酎に手をつけ始めていた。
ハイペースで酒を飲みながら料理をつまむ帝人君を見ながら「帝人君ってさ、俺に会いに来るとか、他に会う人とかいないわけ?」と問いかければ、
「しょうがないじゃないですか、杏里は県外で働くことになっちゃったし、正臣とは仕事の関係でなかなか予定が合わなくて……」と困ったように眉根を寄せながらそう返してきた。
「あ、でも、青葉君とは、今でも時々会ってますよ。というか合コンとかで酔っぱらってぐでぐでになって僕の家に押し掛けてきて、『昔の先輩は~』って一方的に愚痴ったらすぐ帰っちゃうんですけどね。まあ、青葉君も最近は卒業制作で忙しいみたいで、あんまり会えてませんけど」
そう言って、帝人君は少し寂しそうにコップに少し残っていた芋焼酎を呷った。そしてすぐに、空になったグラスに再び焼酎を注ぐ。透明な液体が揺れて、その向こうに映る景色も揺らした。
彼の口から黒沼青葉の名前を聞いたのは、そういえば、彼とこうして妙な会合を始るようになってから、初めての事だった。ある意味、この子に一番心酔していたのは彼だったから、今の帝人君をみてかつての帝人君を祭り上げてしまうような物言いになってしまうのは、致し方のない事のようにも思う。確かに、日常に帰化した帝人君からは、かつての二面性といっても過言ではない鋭さは身を隠してしまっている。
「他のブルースクウェアのみんなとは、二年前にネコ君の結婚式で会ってから会ってないです。あ、そうだ。結婚式と言えば、正臣、先月結婚しましたよ」
不意打ちの台詞に少し驚いたが、冷静を装いながら口をつけていた缶を傾け、喉に絡みつくように甘ったるいチューハイを飲み下す。
「まあ、今日臨也さんの家に来たのもそのためなんですけど。これ、渡すように言われて」
そう言って渡された写真には、紀田正臣と白いウエディングドレスに身を包んだ三ヶ島沙樹が、小さな教会の前で笑って映っていた。紀田君はかつては明るかった金髪も地毛である焦げ茶色になっていて、耳のピアスもなくなっていた。高認を取って、働き始めたとは人づてに聞いていたけど、まさか結婚したとは。
なんとなしに裏面を向けると、そこには黒いサインペンで汚い字で『シネ!!』と書かれていた。
更にその下に丸みを帯びた字で『結婚しました。私、今凄く幸せです。臨也さんもどうかお元気で。サキ』と書かれている。
何とも言えない気分になって、持っていた写真を投げ捨てる。写真は、うまくテーブルの上に着地した。
「こりゃご丁寧にどうも。俺の事なんて、もう忘れたもんだと思ってたけどね」
自傷気味にそう言うと、帝人君は目を丸くして「まさか」と笑った。その笑顔は、相変わらずまだどこかあどけないけれど、それでも確実に大人びてきている。
「確かにみんな臨也さんの事、嫌ってたり死んでほしいって思ってたり憎んでたりしてるけど、それでもみんな、臨也さんの事、忘れたりしてないですよ」
言い終えて、帝人君はいつの間に開けたのか、手に持っていた缶チューハイを呷った。ぐっぐっぐっと、帝人君の喉仏が上下する。
「……というか忘れたくても忘れられないでしょう。あれだけ酷い事したら」
「俺はできれば、忘れたいけどね。あれは失敗だったし」苦笑しながらそう言うと、
帝人君がこちらを見やり「そんなの、許しませんよ」と呟いた。
「誰も、何も忘れちゃいけないんです。僕たち三人も、会うたびに、過去を悔んでいるんだ。正臣は僕達から逃げた事を。杏里は隠していた事を。僕は、他人を盾に自分の理想をなすりつけようとしていた事を」
「なにそれ、重くない?」
「いいんですよそれで。ある意味僕たちは、忘れない事で、繋がってるんですから」言葉と言葉の合間に、時折、かんっと帝人君の歯と缶が当たる音がする。「だからあなたも忘れないでください。あなたが、正臣や杏里や僕にした事を」
「だから君はこうして俺に会いに来るんだね」
「ええ」缶から口を離した帝人君が、こちらを見据えながら、言った。
「なんだかそれって、真摯な愛の告白みたいだ」
笑いながら言うと、意味が分からなかったようで帝人君は眉根を寄せ、チューハイを飲みながら首を傾げた。
「だってようは、帝人君は俺に忘れてほしくないんだろ? 俺と、繋がっていたいんだろ?」
「真摯というには、些かひねくれすぎでしょう、それ」と、帝人君が笑う。「でもまぁ、間違ってはいないのかなぁ……」
そう昼過ぎに届いたメールは、短く簡素だった。
そのメールに 何時頃? と返すと、すぐに『8時くらいになりそうです。大丈夫ですか?』と返事が返って来た。
いいよ、とだけ打ち返し、携帯を閉じる。
そういえば、彼からメールが来たのは、二か月ぶりの事だ。
書類とディスプレイを見比べながら、キーボードを叩く。
この仕事を六時までに終わらせて、その後買いものに行けば、ちょっとしたおつまみくらいは作れるだろう。彼と会うときは、どうしてもつまみが必要になる。帝人君からの誘いは、つまりは飲み会なのだから。
○
台所で揚げ物をしていると、玄関のインターホンが鳴った。
もうそんな時間かと思い玄関に向かいながら時計を確認すれば、約束の時間を三十分ほど過ぎていた。
鍵を回しドアを開けてやれば、走って来たのか少し頬を赤らめた帝人君が立っていた。
ドアの隙間からひょっこっり顔をのぞかせる帝人君は、青い制服ではなく、きっちりとスーツを着こなしている。帝人君は、入社一年目の、立派な社会人だ。
「遅くなってすみません、お酒買ってたら遅くなっちゃって」
そう言った帝人君の右手に掴まれたビニール袋の中には、確かに様々な缶がひしめき合っていた。
「いいよ。とりあえず冷蔵庫入れとくから、それ貸して」
缶で膨れたビニール袋を帝人君から奪い取り、中へと招く。
「今揚げものしてるから、適当に座ってて」
「あ、はい。すいません、わざわざ」
「わ、凄い良い匂い」という帝人君の言葉を背中で聞きながら、俺は揚げ物のもとへと急いだ。
○
冷蔵庫で冷やしておいたグラスにビールを注いでやる。
それを渡すと、帝人君は「ありがとうございます」というや否や、喉を鳴らしながら一気に半分飲み下し、口周りについた泡を手の甲で拭った。なんだか動作がオヤジ臭い。全く、帝人君も歳をとったものだ。
「乾杯とかしないわけ?」と言ってやれば、恥ずかしそうに眉根を寄せる。その姿に、無意識に高校生の時の彼を重ねてしまう。
彼が俺の家に来て飲むものは、メロンソーダとかオレンジジュースだとか、そういうジュース類から、缶チューハイだとかビールだとか焼酎になって、彼が俺に話す事は、学校の事から会社の事になった。彼は、どんどん大人になる。彼が大人になった分、俺も歳をとった。
彼は非日常を追いかけることをやめたけれど、俺は今でも人間を愛しているし、情報屋なんてくそったれな仕事を続けている。彼は変わったかもしれないけれど、俺は、変わらない。
そんなことを思っている間に、帝人君はグラスのビールを飲み干したようで、次は自分が買ってきたという焼酎に手をつけ始めていた。
ハイペースで酒を飲みながら料理をつまむ帝人君を見ながら「帝人君ってさ、俺に会いに来るとか、他に会う人とかいないわけ?」と問いかければ、
「しょうがないじゃないですか、杏里は県外で働くことになっちゃったし、正臣とは仕事の関係でなかなか予定が合わなくて……」と困ったように眉根を寄せながらそう返してきた。
「あ、でも、青葉君とは、今でも時々会ってますよ。というか合コンとかで酔っぱらってぐでぐでになって僕の家に押し掛けてきて、『昔の先輩は~』って一方的に愚痴ったらすぐ帰っちゃうんですけどね。まあ、青葉君も最近は卒業制作で忙しいみたいで、あんまり会えてませんけど」
そう言って、帝人君は少し寂しそうにコップに少し残っていた芋焼酎を呷った。そしてすぐに、空になったグラスに再び焼酎を注ぐ。透明な液体が揺れて、その向こうに映る景色も揺らした。
彼の口から黒沼青葉の名前を聞いたのは、そういえば、彼とこうして妙な会合を始るようになってから、初めての事だった。ある意味、この子に一番心酔していたのは彼だったから、今の帝人君をみてかつての帝人君を祭り上げてしまうような物言いになってしまうのは、致し方のない事のようにも思う。確かに、日常に帰化した帝人君からは、かつての二面性といっても過言ではない鋭さは身を隠してしまっている。
「他のブルースクウェアのみんなとは、二年前にネコ君の結婚式で会ってから会ってないです。あ、そうだ。結婚式と言えば、正臣、先月結婚しましたよ」
不意打ちの台詞に少し驚いたが、冷静を装いながら口をつけていた缶を傾け、喉に絡みつくように甘ったるいチューハイを飲み下す。
「まあ、今日臨也さんの家に来たのもそのためなんですけど。これ、渡すように言われて」
そう言って渡された写真には、紀田正臣と白いウエディングドレスに身を包んだ三ヶ島沙樹が、小さな教会の前で笑って映っていた。紀田君はかつては明るかった金髪も地毛である焦げ茶色になっていて、耳のピアスもなくなっていた。高認を取って、働き始めたとは人づてに聞いていたけど、まさか結婚したとは。
なんとなしに裏面を向けると、そこには黒いサインペンで汚い字で『シネ!!』と書かれていた。
更にその下に丸みを帯びた字で『結婚しました。私、今凄く幸せです。臨也さんもどうかお元気で。サキ』と書かれている。
何とも言えない気分になって、持っていた写真を投げ捨てる。写真は、うまくテーブルの上に着地した。
「こりゃご丁寧にどうも。俺の事なんて、もう忘れたもんだと思ってたけどね」
自傷気味にそう言うと、帝人君は目を丸くして「まさか」と笑った。その笑顔は、相変わらずまだどこかあどけないけれど、それでも確実に大人びてきている。
「確かにみんな臨也さんの事、嫌ってたり死んでほしいって思ってたり憎んでたりしてるけど、それでもみんな、臨也さんの事、忘れたりしてないですよ」
言い終えて、帝人君はいつの間に開けたのか、手に持っていた缶チューハイを呷った。ぐっぐっぐっと、帝人君の喉仏が上下する。
「……というか忘れたくても忘れられないでしょう。あれだけ酷い事したら」
「俺はできれば、忘れたいけどね。あれは失敗だったし」苦笑しながらそう言うと、
帝人君がこちらを見やり「そんなの、許しませんよ」と呟いた。
「誰も、何も忘れちゃいけないんです。僕たち三人も、会うたびに、過去を悔んでいるんだ。正臣は僕達から逃げた事を。杏里は隠していた事を。僕は、他人を盾に自分の理想をなすりつけようとしていた事を」
「なにそれ、重くない?」
「いいんですよそれで。ある意味僕たちは、忘れない事で、繋がってるんですから」言葉と言葉の合間に、時折、かんっと帝人君の歯と缶が当たる音がする。「だからあなたも忘れないでください。あなたが、正臣や杏里や僕にした事を」
「だから君はこうして俺に会いに来るんだね」
「ええ」缶から口を離した帝人君が、こちらを見据えながら、言った。
「なんだかそれって、真摯な愛の告白みたいだ」
笑いながら言うと、意味が分からなかったようで帝人君は眉根を寄せ、チューハイを飲みながら首を傾げた。
「だってようは、帝人君は俺に忘れてほしくないんだろ? 俺と、繋がっていたいんだろ?」
「真摯というには、些かひねくれすぎでしょう、それ」と、帝人君が笑う。「でもまぁ、間違ってはいないのかなぁ……」
作品名:素晴らしき日々かな? 作家名:小雲エイチ