Can you keep a Secret?
それは六月半ばの日曜のこと。
部活帰りにぶらついていた繁華街で、清瀬は友人の日野を見掛けた。
日野は少し奥まった通りにある古本屋の店先で、ワゴンセールの文庫本を物色しているようだった。
清瀬は声をかけようとして、一瞬躊躇った。
清楚な服装の美少女が店から出て来て、日野に笑いかけたから。
日野もまた彼女に微笑み返し、会計を済ませてくると言って、入れ違いに店に入っていった。
よく知っていると……理解していると思い込んでいた──親しい人物の知らない一面を目撃し、清瀬はとまどう。
見てはいけないものを見たような気がして、きびすを返しかけた。
けれどその前に彼女は気付いた。清瀬が自分を見ていることに。目を丸くし、きまずそうに俯いた。
噂を、思い出した。
最近鳴神学園近辺に出没する美少女の噂を。
そしてあの優等生の日野貞夫が、休日に擦れ違った男全員が思わず振り替えるような可愛いらしい少女を連れて歩いていると。
「どうしたんだ……あれ、清瀬?」
会計を済ませて戻ってきた日野が、少女の態度を不審に思い、清瀬の存在に気付く。
彼は笑った。後ろめたいことなど何も無いというように。
「よぉ、日野。その娘、噂の彼女だろ?」
「え?」
「水臭いじゃん。恋人が出来たなら、言ってくれりゃいいのに」
日野の笑顔に苦みがくわわる。彼は軽く頭を振って少女の頭を撫でた。
「何を勘違いしてるんだ。こいつは、俺の妹だよ」
「えっ?」
清瀬は、思わず少女をまじまじと見つめた。
人見知りするタイプなのか、彼女は日野の背中に隠れるように引っ込んでしまった。
「可愛いだろう」
日野は妹を庇いながら自慢する。溺愛しているのだ。
「あ、ああ」
「だからといって近づくなよ?俺の大事な妹なんだからな。俺の認めた男でなきゃダメだ」
「つまり俺は認めないってわけか」
「悪いな、そう聞こえたか」
日野は愉快そうに声を立てる。うまく冗談にしたつもりだろうが目が笑っていない。
妹はそんな兄を心配そうに見上げている。
いつか日野と決闘することになるかもしれない──と清瀬は思った。
部活中に怪我をした。大した怪我ではなかったが、侮るなとマネージャーに厳命されて仕方なく保健室へ向かっていた。
その途中、見覚えのある少年が廊下の向こうからやってきた。彼は急いだ様子で保健室に駆け込んだ。
清瀬は少し考えてから、彼が日野の新聞部の後輩であることを思い出した。
先日行われた七不思議の集会の聞き役だった、坂上修一。
七人目として呼ばれていた清瀬は当日都合が悪くなって参加できず、後日自分から彼の元に出向いて七話目を語ったのだ。
授業をサボる必要も無い放課後に、廊下を走るほどの元気があって、どこかを怪我したわけでもなさそうだったのに、坂上は一体保健室に何の用があるのだろう。友人の見舞いだろうか。それとももっと別の……?
清瀬は少し怪訝に思いながら、ゆったりした足取りで保健室の前まできた。
ドアを開けようとしかけて、中から聞こえてきた声に動きを止める。
「すみません、いつも利用させていただいて」
「いいのよ。これも貴方のお兄さんの心の安定の為ですものね。貴方も大変でしょうけど……無理はしないで、あまり思いつめないように」
「はい……」
まずいところに居合わせてしまったらしい。
何の話なのかはっきりとはわからないが、他人が聞いていい話ではないだろう。
清瀬は何となく入りづらくなり、今はひとまず退散して後で出直そうとした。
だが、遅かった。
清瀬が離れる前に、目の前の扉が開いた。
相手は清瀬と目があった途端、笑顔を凍りつかせた。
清瀬もまた、唖然として「彼女」を見下ろした。
「え? あれ? 坂上……?」
目の前にいるのは日野の妹。
室内に坂上の姿は無い。
「ええと、……まさか」
──坂上と日野の妹は、同一人物なのか?
清瀬は自分の突飛な考えに冷汗を垂らした。
──だとしたら何故?何の目的があって?
女子の制服を身につけ、セミロングのウィッグを被った坂上修一は、強張った表情で告げた。
「秘密にしてください。誰にも言わないで下さい。特に貞夫兄さんには絶対に……!」
「な……ちょっと待ってくれ!何がなんだか……!」
坂上も錯乱している。校医が見兼ねて駆け付け、彼をなだめた。
「わけをきちんと話しましょう。ね?」
「でも、今は……もう行かなきゃ」
「そうね。お兄さんが待っているものね。また明日」
「はい。失礼します……清瀬さん、明日の昼休みにお時間を頂けますか?」
「あ、ああ……」
坂上は頭を下げると、そのままパタパタと駆け去っていった。
「兄さんって……あいつ、日野の弟なんですか?」
清瀬の問いに、校医は俯く。
「ええ。日野くんのお父様と坂上君のお母様が内縁関係にあって、今はまだ籍をいれていないけれど、いずれはと考えているそうよ。既に四人で同居しているんですって。──私から教えてあげられるのはここまでね」
「……そうですか」
たとえ口止めされなかったとしても、誰かに話すような気分にはなれなかった。
昼休みに入ると、約束通り坂上が訪ねてきた。
ふたりは屋上に向かい、そこで昼食をとることにした。
弁当をつつきながら、坂上は静かに語り始めた。
「貞夫兄さんの本当の妹さんは、既に亡くなっているんです。
自殺でした。彼女は、虐められていたんです。
その時から貞夫兄さんは……おかしくなってしまって。
妹さんを虐めていた人達を見つけ出して、復讐を計画するほどに思いつめていました。
義父と母はそんなこととは知らずに、再婚話を進めていて……僕は更に何も知らずに、部員の倉田さんと悪ふざけを……つまり、部室で王様ゲームをして、王様になった彼女は僕に女装をさせて……校内を一周してくるようにと……。
その時、取材に出ていた貞夫兄さんとばったり出くわしてしまって、僕は咎められるものだと思っていたのに、兄さんは僕を妹さんだと……妹さんが生きていたのだと思い込んでしまって……。
何故そんなことになったのか、僕にはわかりません。妹さんの写真は見せてもらいましたけど、僕は似てないと思います。
それと前後して、義父は貞夫兄さんの復讐計画を知りました。貞夫兄さんが計画を書き留めていたノートを見てしまったんです。同じ頃、僕は母から再婚話を聞かされ……兄さんの状態を説明しました。そして、三人で相談して、決めたんです。僕は登下校時と家にいる間、妹のふりをするって。
今の生活をはじめてから、兄さんは驚くほど元気になりました。
復讐の為に人を殺すなんて恐ろしいことも、考えなくなりました。
だから清瀬さん……どうかこのことは、誰にも言わないで下さい。僕と貴方だけの秘密にしてください。お願いします」
坂上に深々と頭を下げられ、清瀬は愕然とした。
彼らの背負うものは、あまりに重苦しかった。
その重さに耐えきれず、清瀬はただ頷くしかなかった。
部活帰りにぶらついていた繁華街で、清瀬は友人の日野を見掛けた。
日野は少し奥まった通りにある古本屋の店先で、ワゴンセールの文庫本を物色しているようだった。
清瀬は声をかけようとして、一瞬躊躇った。
清楚な服装の美少女が店から出て来て、日野に笑いかけたから。
日野もまた彼女に微笑み返し、会計を済ませてくると言って、入れ違いに店に入っていった。
よく知っていると……理解していると思い込んでいた──親しい人物の知らない一面を目撃し、清瀬はとまどう。
見てはいけないものを見たような気がして、きびすを返しかけた。
けれどその前に彼女は気付いた。清瀬が自分を見ていることに。目を丸くし、きまずそうに俯いた。
噂を、思い出した。
最近鳴神学園近辺に出没する美少女の噂を。
そしてあの優等生の日野貞夫が、休日に擦れ違った男全員が思わず振り替えるような可愛いらしい少女を連れて歩いていると。
「どうしたんだ……あれ、清瀬?」
会計を済ませて戻ってきた日野が、少女の態度を不審に思い、清瀬の存在に気付く。
彼は笑った。後ろめたいことなど何も無いというように。
「よぉ、日野。その娘、噂の彼女だろ?」
「え?」
「水臭いじゃん。恋人が出来たなら、言ってくれりゃいいのに」
日野の笑顔に苦みがくわわる。彼は軽く頭を振って少女の頭を撫でた。
「何を勘違いしてるんだ。こいつは、俺の妹だよ」
「えっ?」
清瀬は、思わず少女をまじまじと見つめた。
人見知りするタイプなのか、彼女は日野の背中に隠れるように引っ込んでしまった。
「可愛いだろう」
日野は妹を庇いながら自慢する。溺愛しているのだ。
「あ、ああ」
「だからといって近づくなよ?俺の大事な妹なんだからな。俺の認めた男でなきゃダメだ」
「つまり俺は認めないってわけか」
「悪いな、そう聞こえたか」
日野は愉快そうに声を立てる。うまく冗談にしたつもりだろうが目が笑っていない。
妹はそんな兄を心配そうに見上げている。
いつか日野と決闘することになるかもしれない──と清瀬は思った。
部活中に怪我をした。大した怪我ではなかったが、侮るなとマネージャーに厳命されて仕方なく保健室へ向かっていた。
その途中、見覚えのある少年が廊下の向こうからやってきた。彼は急いだ様子で保健室に駆け込んだ。
清瀬は少し考えてから、彼が日野の新聞部の後輩であることを思い出した。
先日行われた七不思議の集会の聞き役だった、坂上修一。
七人目として呼ばれていた清瀬は当日都合が悪くなって参加できず、後日自分から彼の元に出向いて七話目を語ったのだ。
授業をサボる必要も無い放課後に、廊下を走るほどの元気があって、どこかを怪我したわけでもなさそうだったのに、坂上は一体保健室に何の用があるのだろう。友人の見舞いだろうか。それとももっと別の……?
清瀬は少し怪訝に思いながら、ゆったりした足取りで保健室の前まできた。
ドアを開けようとしかけて、中から聞こえてきた声に動きを止める。
「すみません、いつも利用させていただいて」
「いいのよ。これも貴方のお兄さんの心の安定の為ですものね。貴方も大変でしょうけど……無理はしないで、あまり思いつめないように」
「はい……」
まずいところに居合わせてしまったらしい。
何の話なのかはっきりとはわからないが、他人が聞いていい話ではないだろう。
清瀬は何となく入りづらくなり、今はひとまず退散して後で出直そうとした。
だが、遅かった。
清瀬が離れる前に、目の前の扉が開いた。
相手は清瀬と目があった途端、笑顔を凍りつかせた。
清瀬もまた、唖然として「彼女」を見下ろした。
「え? あれ? 坂上……?」
目の前にいるのは日野の妹。
室内に坂上の姿は無い。
「ええと、……まさか」
──坂上と日野の妹は、同一人物なのか?
清瀬は自分の突飛な考えに冷汗を垂らした。
──だとしたら何故?何の目的があって?
女子の制服を身につけ、セミロングのウィッグを被った坂上修一は、強張った表情で告げた。
「秘密にしてください。誰にも言わないで下さい。特に貞夫兄さんには絶対に……!」
「な……ちょっと待ってくれ!何がなんだか……!」
坂上も錯乱している。校医が見兼ねて駆け付け、彼をなだめた。
「わけをきちんと話しましょう。ね?」
「でも、今は……もう行かなきゃ」
「そうね。お兄さんが待っているものね。また明日」
「はい。失礼します……清瀬さん、明日の昼休みにお時間を頂けますか?」
「あ、ああ……」
坂上は頭を下げると、そのままパタパタと駆け去っていった。
「兄さんって……あいつ、日野の弟なんですか?」
清瀬の問いに、校医は俯く。
「ええ。日野くんのお父様と坂上君のお母様が内縁関係にあって、今はまだ籍をいれていないけれど、いずれはと考えているそうよ。既に四人で同居しているんですって。──私から教えてあげられるのはここまでね」
「……そうですか」
たとえ口止めされなかったとしても、誰かに話すような気分にはなれなかった。
昼休みに入ると、約束通り坂上が訪ねてきた。
ふたりは屋上に向かい、そこで昼食をとることにした。
弁当をつつきながら、坂上は静かに語り始めた。
「貞夫兄さんの本当の妹さんは、既に亡くなっているんです。
自殺でした。彼女は、虐められていたんです。
その時から貞夫兄さんは……おかしくなってしまって。
妹さんを虐めていた人達を見つけ出して、復讐を計画するほどに思いつめていました。
義父と母はそんなこととは知らずに、再婚話を進めていて……僕は更に何も知らずに、部員の倉田さんと悪ふざけを……つまり、部室で王様ゲームをして、王様になった彼女は僕に女装をさせて……校内を一周してくるようにと……。
その時、取材に出ていた貞夫兄さんとばったり出くわしてしまって、僕は咎められるものだと思っていたのに、兄さんは僕を妹さんだと……妹さんが生きていたのだと思い込んでしまって……。
何故そんなことになったのか、僕にはわかりません。妹さんの写真は見せてもらいましたけど、僕は似てないと思います。
それと前後して、義父は貞夫兄さんの復讐計画を知りました。貞夫兄さんが計画を書き留めていたノートを見てしまったんです。同じ頃、僕は母から再婚話を聞かされ……兄さんの状態を説明しました。そして、三人で相談して、決めたんです。僕は登下校時と家にいる間、妹のふりをするって。
今の生活をはじめてから、兄さんは驚くほど元気になりました。
復讐の為に人を殺すなんて恐ろしいことも、考えなくなりました。
だから清瀬さん……どうかこのことは、誰にも言わないで下さい。僕と貴方だけの秘密にしてください。お願いします」
坂上に深々と頭を下げられ、清瀬は愕然とした。
彼らの背負うものは、あまりに重苦しかった。
その重さに耐えきれず、清瀬はただ頷くしかなかった。
作品名:Can you keep a Secret? 作家名:_ 消