Can you keep a Secret?
「妹さんを喪った当時の日野君は、本当に酷い状態だったわ」
清瀬の脚に巻かれた包帯を替えながら、校医はぽつぽつと話す。丁度いま窓を叩いている梅雨時の雨のように、辛気臭く話す。
「学校には来るわ。何事もないような顔をして。
でも本当は何も見ていない。聞いていない。
腫れ物に触るような態度の友人達にもね、笑うのよ。笑いかけるの。
冗談を聞いたら声を立てて。
でもまわりは笑えないわ。笑えないわよ……。
貴方は、三年になってから日野くんと親しくなったんですってね。だから知らなかったのね……」
あれから一週間が経った。坂上は相変わらず、日野の妹を演じていた。
清瀬にはわからなかった。
彼らの対応は正しいのだろうか。
あったことを、なかったことにすることで、逆に日野を追い詰めているのではないだろうか。自分を犠牲にして、彼を庇って──表面だけの幸福を取り繕って。
清瀬の目にはすべてが痛々しく映る。
今の日野の方がよっぽど壊れている。
部活が長引いて遅くなった。辺りはすっかり暗くなり、昼から降り続ける雨がアスファルトを浸していた。
校門の前に赤い傘が咲いていた。その下で見知った顔が微笑んでいた。
悲しい嘘で固めた硝子のように脆い幸福がそこにあった。
気付いた時には地面を蹴っていた。泥水が跳ねてスラックスに染みができるのにも構わず走った。
「清瀬?」
日野は驚いたように目をみはった。何も答えずに清瀬は手を伸ばした。坂上の頭に。そして嘘を暴いた。秘密を、曝した。
取り上げたウィッグと、今にも泣き出しそうな坂上を、日野は交互に見る。
その表情は次第に歪み、そして崩れた。
「どういうことだ、これは……」
日野は頭の回転が速い。何もかもわかってしまったはずだ。
坂上は傘を投げ出して泣き崩れた。制服のスカートが水たまりに濡れた。
「秘密だって……言ったのに! どうして!」
「どうしたもこうしたもないよ。こんなこと続けたって本当の救いにはならないだろ。現実逃避を奨励してどうするんだよ」
「兄さんが人殺しになるのを黙ってみてろっていうんですか!」
「復讐でもなんでもすればいい。それで気が済むんならやらせればいいんだ!そうしなきゃ救われないのなら!」
ふたりの怒鳴りあいを、日野は黙って見ている。
坂上は涙と雨でぐちゃぐちゃになった顔で天を仰いだ。人工の光に侵された闇が、どこまでも続いていた。
「あんな奴らの為に兄さんが犯罪者になるなんて……許せない」
「なら止めればいいんだ。殴ってでも張り倒してでも。お前は妹じゃなくて義弟なんだから」
坂上の表情が消えた。感情を雨に洗い流されたように。
そしてそのまま義兄に目を向ける。
日野は笑っていた。
頬を伝う水滴は、雨なのか涙なのかわからなかった。
「どうして妹が死んで、あいつらはのうのうと生きてるんだ?……許せるとは思えない。納得なんかできるはずがない。泣かれても殴られても、邪魔をするならお前を殺してでも」
日野の手がひっくり返った傘の柄に触れる。かつて妹の持ち物であった赤い傘に。
「それともお前は、一緒に堕ちてくれるのか?」
吸った水の分重くなったスカートを持ち上げて、坂上はきつく絞った。そうして少しは軽くなった身体で、日野に駆け寄った。
「連れて行ってくれるなら行きます。貴方のそばにいたい」
「そうか……」
日野は義弟を抱き寄せ、満足そうに笑った。
清瀬は凍りついた。
──もうどうしようもないところまで、狂っていたのだ。
「上手くやればいいんだ。俺達がやったとは気付かれないように。あるいは直接手は下さずに。俺とお前ならできるさ。俺を欺いたお前の手際なら……その前に」
坂上を腕に閉じ込めたまま日野はスラックスのポケットを探った。取り出したのは折りたたみ式のサバイバルナイフだった。
「邪魔者を消そうか」
清瀬は弾かれたように逃げ出した。しかし水の流れに足をとられて思うように進めなかった。条件は同じはずなのに、日野は驚くべき敏捷さで追い付いてきた。
叫ぼうとした。声のかわりに喉から噴き出したのは紅い雨だった。
生暖かい液体が顔にかかり、それもすぐに雨に流される。
この血が日野の制服を汚しても……それさえきっと洗い流される──……
END
作品名:Can you keep a Secret? 作家名:_ 消