火蓋は切って落とされた
静かに混乱する臨也にしまったと波江が舌打ちするがそれよりも早く帝人が頷いた。
「はい。波江さんは、僕の実のお姉さんです」
「…………名前が違うよね?」
「……家の事情で、帝人は養子に出されたのよ。正真正銘血の繋がった姉弟よ」
「じゃあ、君の弟くんとは」
「矢霧誠二は、僕の双子の兄さんです。本当はあんまり憶えていないんですけどね」
何せ引き離されたのが赤子の頃ですから、と苦笑する帝人に目を瞠りながら、得心がいったと臨也は頷く。これで納得がいく。
波江の奇行。あれだけの事をされ、最愛の弟から引き離されたのにこうまで大人しくしている理由が。代替、ではない。取り戻したのだ。己の最愛の相手を。情を注いだ弟の片割れを。
随分と奇妙なこともあったものだ、と事実は小説より奇なりという言葉を噛みしめる。ああ、これだから人間は面白い。自然と口の端が釣りあがる。笑みを殺しきれない。
そんな臨也を帝人は怪訝そうに、波江は唾棄すべきもののように睥睨し、不快感を隠そうとせずに言い放つ。
「わかった? ならこれから一切帝人に関わらないで頂戴。貴方になんて関わったらどうなることか」
「酷い言い草だなぁ」
波江さん、と帝人が呼ぶが彼女はこればかりは聞き入れる気は無いらしい。ちらりと振り向いた眼差しが冷たさを含んでおり、帝人は口を噤む。
まあ無理はないか、と臨也はせせら笑う。彼の行状、尚且つ今後の予定を触り程度でも知っている波江ならば、己が最愛の弟に災厄が降りかかるのを見ていられないのだろう。ご苦労なことだと思いながら、とりあえず表面上だけでも取り繕う事が出来るが――いや、止めたと臨也は口角を吊り上げる。
はらはらと成り行きを見守る帝人の様子から見て、波江の言葉に全面的に頷く気はないのだろう。子どもゆえか、彼は自分の欲に素直だ。例え、どれほど表面上は御しやすそうに見えても、本質はやすやすと支配させたりはしない。
だから面白いんだよねと口中で呟き、殊更に笑みを深める。そういうところが臨也の興味を惹いてやまない。面白い、もっと見たいと手を伸ばすのだ。
「俺は別に聞いてやってもいいけどさあ、本人の意思はどうなのかな? 帝人くんの意思を無視してあれこれいうのは野暮ってもんでしょ」
「……帝人、」
急に大人二人から視線を浴びた帝人は、びくっと体を震わせて視線を彷徨わせ、最後には膝の上へと落ち着いた。波江の言葉は尤もだと思いつつ、臨也との縁も切ることが出来ないだろう。それほど帝人に害を伴うちょっかいを出していない今、彼にとって臨也は信頼のおける大人の一人、と数えられているのだろう。それを知るからこそあえて口に出したのだ。
ふふんと勝ち誇る臨也の前で、波江は憎々しげに睨む。刺さる視線は氷のそれだが、そんなものに今更怯む臨也ではない。何せ今は新たな事実が判明し、それが予想以上に面白いのだから!
「てなわけで、これからも俺と帝人くんは付き合っていくから。お姉さんは蚊帳の外で指銜えてみてて欲しいな?」
「馬鹿は寝てほざきなさいよ。なにかしたら殺すから」
絶対零度の空気の中で、少年が一人居心地悪そうに縮こまる。
互いに可哀想に、と思いながらも譲ろうとはしない。
池袋の喧嘩人形の天敵たる、新宿の情報屋。彼の敵対者リストに助手の名前が刻まれた記念すべき日だった。
作品名:火蓋は切って落とされた 作家名:ひな