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火蓋は切って落とされた

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「下手なことは考えない方が身のためよ、臨也。……帝人、この馬鹿の事は気にしないでお茶でも飲みなさい。暑かったでしょう? ちゃんと水分は取らなくちゃだめよ」
「ありがとうございます、波江さん」
「これくらいなんでもないわ」
 ふんわりと花開くように微笑む波江はその容姿と相俟って美しい。ただし普段の彼女をよく知る臨也は帝人に対する対応に眉を顰める。おかしい。内心の呟きと共に無言で臨也の前にも茶器が置かれるが、波江の視線は帝人にのみ注がれる。
 紅茶に口をつけながら臨也は考える。波江の対応は明らかに異常だ。彼女がこんな風になるのはただ一つ、溺愛してやまない弟の誠二限定だと思っていたのだが。
 帝人と波江を逢わせたのは勿論わざとだ。春の一件で対立した者同士、反応が見たいと思ったからに他ならない。だが予想外な事態に反応を見るどころかこっちが面食らっている。なんだこれ。内心で呟いた。
 だがそれで終わらないのが折原臨也。とりあえず内面の動揺をおくびにも出さず、にこりと笑みを浮かべて彼らに視線を向ける。
「随分と仲がいいねえ、波江さん? いつからそんなに仲良くなったのかなあ」
「いつだっていいでしょ。貴方には関係ないわ」
「ひっどい言い草。これでも心配してやってるんだよ、ねえ帝人くん!」
「へ?」
 これも食べなさいとどこから出したのか、振る舞われたケーキを食べていた帝人はいきなり投げられた話題に首を傾げる。あ、可愛いかも。きょとんとした表情をしながら首を傾げた帝人に臨也はなおも話題を振った。
「てっきり君たちは仲が悪いんだと思ってたんだけど、いつからそんなに仲良くなったの?」
「……えっと、そうでしたか?」
「いいえ。全然。全く持って違うわね。何処をどう見ればそう思えるのかしら。帝人、こんな馬鹿は相手をするだけ無駄よ。馬鹿の戯言はいいからケーキを食べてしまいなさい」
「波江には聞いてないんだけど」
 帝人の返答の前に波江が全てを遮る。後半帝人に向けた内容はそれこそ臨也へ対するそれとは雲泥の差で、まさしくこれが贔屓というものだと思う。波江に言わせれば当然の対応だと言われるだろうが。
 段々と機嫌が底辺へ近づく臨也とは裏腹に、至極上機嫌な波江はケーキを頬張る帝人をうっとりと見つめている。その様は正に幸せと言った様子だ。しかし解せない。
 怪訝を通り越して恨みがましい眼差しの臨也を見とめ、帝人がぱちぱちと瞬きした後苦笑した。フォークを置いて波江さん、と声をかければ彼女は何、と即座に反応する。
「あの、僕は今日臨也さんに呼ばれて来たんです。頂いてしまっておいてなんですけど、ちょっとお話いいでしょうか」
「…………五分なら許すわ。変なことしたら殺すわよ」
 僅かな沈黙の後、凄まじい眼差しで臨也を睨んだ後、憎々しげに舌打ちしながら波江は席を立った。そのまま二階へと上がる彼女はきっちり五分と言えども席を外すのだろう。代わりに五分ジャストで舞い戻ってきそうだが。
 ともあれ僅かな時間は有効活用すべきだと、臨也は改めて帝人へと向き直る。困ったように首を傾げた子どもは苦笑を浮かべて座っていた。
「すみません、臨也さん。招いて頂いたのに」
「いいや、別にそれは気にすることは無いよ。面白いものも見れたしね。……それで帝人くん、いいかな?」
「はい」
「君は、いつから波江さんと?」
「はっきりと顔を合わせたのは、僕は先日の出来事が最初なんですけど」
「それでこの対応? ほんとに君たち初対面だったの?」
「僕はそうでしたよ」
 苦笑する帝人は嘘を言っているようには見受けられない。だとするならばネットか何かで交流があったという事だろうか? 自分のように? しかしネット上で監視していた限りではそんな動きは無かったはずだ。
 過去を思い出し、臨也は再び竜ヶ峰帝人に対しての全ての情報を洗い出そうと決意する。多少時間はかかるかもしれないが、今後を思えば必要な措置だ。なにせ彼は臨也の盤上にある大切な駒だ――。ともすればそれ以上にもなるかもしれない、大事な相手。
 ふむ、と嘆息して口の端を歪める。
「あれだけの事されたのに随分と寛大だなぁ。普通なら険悪どころじゃ済まないと思うんだけど」
「それは僕も思います。でも波江さんがいいのよって……気にすることじゃないわって言うんですよ。なんだかとても申し訳ないんですけど」
 そりゃそうだ。口には出さないが内心で同意する。普通ならば自らが築いてきたほぼ全てのものを奪った相手を憎まずにいられようか。
 しかし現状として波江は憎むどころか嬉々として世話を焼き、可愛がっているように見えた。猫可愛がりという言葉が相応しいくらいに。
 はてさて、どうしてと僅かに首を傾げれば階上より冷たい声音。
「余計な想像はしない方が身のためよ」
「おや聞こえてたの」
「吹き抜けですから。何を今更」
 聞こえるように言っていただろうと暗に告げる波江に肩を竦め、再び視線を帝人に戻す。困惑したようにやり取りを見ていた帝人は尚更に縮こまる。この辺が彼の親友に言わせれば未だ都会に慣れていないせいだろうか。気にすることは無いのに。
 あ、でも可愛いかもしれない。僅かに俯いた彼が見た目以上に幼く見え、臨也にしては何の害意も思惑も無く、ただほんの少し、撫でてやりたいと思って手を伸ばした。のだが。
 嫌な気配にさっと手を引く。音もなく、空気を斬ってぐさりとソファに突き刺さったのは臨也愛用のナイフ――ではなく。どこにでもよくある、カッター。ただし刃が5センチほど出た。
 ざあっと顔を青ざめさせる帝人と共に、臨也も血の気が引いた。いくら臨也でも自宅にカッターが飛び交うような仕掛けは施していない。ならばこれを落とした人物は一人しかおらず、即座に階上を睨む。
「何する、波江」
「それはこちらのセリフよ。人が席を外していればべたべたと……」
 互いに温度は零下。冷えた声でもって対峙する。普段よりも粗い足取りで階段を下りてきた波江が臨也の視線を遮るように間に座る。
「汚い手で帝人に触るなと言ったはずよ」
「失礼な。俺のどこか」
「全てよ。いい? 今後一切帝人に関わらないで。違えれば今度こそ潰すわよ」
「怖いなぁ」
 軽口を叩くが互いに目は笑っていない。本気で臨也に対して牙を剥く、と宣言した波江にかわす体制の臨也だが、その実受けてもいいかと思っている。それも一興と。
 しかしそれを覆したのは、「やめてください!」と必死に叫んだ子どもだった。
「臨也さんも波江さんもやめてください! ……ごめんなさい臨也さん、失礼なことを」
「帝人、なにを」
「波江さんも、言いすぎです。仮にも上司の方にそんなこと言わないでください。僕なら別に酷い事されているわけでもないですし……姉さんはちょっと、過敏なんですよ」
「……帝人、」
 臨也に頭を下げ、困ったように波江を見た帝人に彼女も僅かに眉を寄せた。その様子はまるで仲の良い家族のようで――そこで臨也は、珍しくも言い淀む。
「……姉?」
 どういうことだ。帝人と波江の間に血縁関係なんて無かったはずだ。現に苗字は違うし彼らの居住していた場所だって違う。そんな情報は無かった。
作品名:火蓋は切って落とされた 作家名:ひな