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目隠しの恋

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それからというもの、少しずつ奴からのメールが増えていった。特に雨が降る前は必ず一言ある。おかげで俺は最近雨に降られることがなくなった。トムさんからは、準備がいいと褒められた。テレビを見ない所為で、今まで天気などろくに気にしてなかったのだから当たり前か。
折原臨也は天気予報以外にも、たまに何の脈絡もない文を送ってきた。
露西亜寿司で大トロを食っただの、こんな映画を見ただの、どうでもいい内容ばかりだったが、こうしてみるとあいつは確かに生きているようだった。
あいつの姿が見えなくなってどれくらい経つのだろう。今ではすっかり怒りが消えてしまった。セルティとか、もともと喋らない奴には切れることはないのだ。
不思議なものだ。あれほど忌み嫌っていた奴が、姿が見えないだけですべて霧散してしまう。
今では俺からもたまにメールを送っていた。といっても、くだらない内容だ。朝飯をどうするかとか、何か面白い本はないかとか、日常のふとした瞬間の疑問を送りつける。臨也は携帯にでも張り付いているのか、いつも直ぐに返信が来た。情報屋に訊ねるとは、と少し呆れていたようだが、それでも何らかの答えが来る。
あまり人とこういったやり取りをしない俺にとって、それはとても新鮮なことに思えた。
思うと同時に、少しばかり不便さを感じる。元々携帯を弄る方でない俺は、打つのが遅いしいちいち携帯を取り出すのが面倒だ。隣に居れば直ぐ訊けるのに。
だが目の前に折原臨也が居たとして、果たして俺はまともに会話が出来るのか。
昔は本気で殺そうとしていた男だ。今でもあのときのことを思い出せば沸々と怒りが湧き上がる。姿が見えないからこそ、きっと俺は落ち着いていられるのだろう。
ハァと重い息を吐く。なんでこうなっちまったのか。見えたらいいのに、見たらきっと切れてしまう。
雨の降り出した池袋の街を、傘を広げながらとぼとぼと歩く。
と、ポケットの中でピリリと携帯が震えた。きっと臨也だ。片手で取り出したそれには、予想に違わず情報屋の名前があった。

『溜息なんてついてどうしたの?』

現れた本文に、俺の足はピタリと止まる。
くるりと振り返って見るが、辺りに人の姿はなかった。

「臨也、居るのか?」

返ってくる言葉はない。ただ代わりに、手元の携帯が震えた。

『居るよ。君の目の前』

俺は再び顔を上げた。目の前には、雨にけぶる池袋の街が広がるだけだ。

「…見えねぇ」

ポツリと呟いた言葉は、まるで雨粒が傘を叩いたように小さく響いた。
どうしてだろうか。
ただ見えないことが、こんなにも、悲しいだなんて。
さぁさぁと雨が流れる。そこには何の影もない。
ピリリと、携帯が鳴った。

『じっとしてて』

一体なぜ。そう思った瞬間に、頬に冷たい何かが触れた。
一瞬雨が跳ねたのかと思った。だが触れてくるそれは、包むように熱を奪っていく。
それが人間の“指”の感触だと気付いたとき。
唇に何かが触れた。同じように、冷たい何かが。
呆然と立ち尽くす俺を引き戻すように、手の中で携帯が鳴く。画面を見て、初めて自分が何をされたのか理解した。
信じられなくて思わず唇を拭う。嘘だろう。だって、じゃあなんであんなに。
そこでようやくハッとした。そうだ、指だって、なんであんなに冷たいんだ。

「お前…傘、さしてねーのか?」

携帯は鳴らなかった。いつまで待っても鳴らない。
俺にはあれだけ傘の用意をしろと言っておきながら、自分はずぶ濡れで俺の目の前に立っているのか。

「臨也。おい、居るんなら返事しろ。いざ、」

ドッと、何かがぶつかった。急な衝撃に、思わず後ろに倒れる。傘が、携帯が、道の脇に転がった。
服がじわりと濡れていく。肌に感じる感触は、雨だけの所為ではない。何か、冷たい何かがくっついている。

「臨也?」

居るのだろうか、そこに。
俺には何も見えないが、お前はそこに居るのだろうか。
恐る恐る、宙に手を伸ばした。何も触れない。手のひらは、雨に濡れるばかりで。
それでも、俺は抱き締められているのだろうか。
顔も、声も、存在すらわからなくなったひとりの男を、抱き締められているのだろうか。
雨に体温が奪われていく。冷たかった臨也の輪郭が溶けていく。
まるで存在そのものが消えていくようで、俺は必死に空気を抱いた。
馬鹿げている。俺はいま、何をしているのだろう。
折原臨也を映さなくなった世界の中で、確かにそこに居るのだと。
信じるしか、なかったのだ。
作品名:目隠しの恋 作家名:ハゼロ