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それを魔法と呼ぶのなら

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最近リフレッシュコーナーでよく目にするひとがいる。
おそらく俺と同い年ぐらいだろうか――。

オフィス街の一角に佇んでいる、地上7階建てのテナントビル。
俺はその4階にかまえている某企業の支店で、営業として働いている。
まあどこにでもいるような会社員だ。
課長には営業は18時まで社内に戻ってくるなと言われているから、18時までは無理矢理にでも外まわりをしなくてはいけない。事務作業はおのずと定時後にならないとできず、自動的に俺には定時退社という概念は捨て去るほかなくなってしまった。定時ってナニソレおいしいの?おかげで平日の俺はとんと付き合いの悪い人間になっている。

18時以降の俺は何かと忙しい。その日の成果報告、後輩の相談、顧客向けの資料作成など一服する時間もないほどだ。そうやって社内に戻ってから2時間ほど仕事に没頭した後、20時頃に一旦落ち着く。
俺は20時以降のひとときが好きだった。
20時も過ぎ、仕事もひと段落着いた頃、俺はビル内の共有スペースになっているリフレッシュコーナーへと向かうのが日課だった。

このビルは、一坪の無駄もできないとばかりに窓際をすべてテナントオフィスで埋め尽くされていて、トイレや給湯室といった共有スペースはすべて建物の真ん中におかれている。
喫煙室と自動販売機がおかれている、このリフレッシュコーナーもしかりだ。
ちなみにリフレッシュとは名ばかりで、畳2つ分ほどの狭い喫煙室と、喫煙室を出ればメーカー違いの自動販売機が2機、そしてそれぞれの部屋には脚の高い小さな丸テーブルがひとつずつおかれているだけである。自販機と壁にできたデッドスペースに申し訳程度におかれている観葉植物でさえも、窮屈そうで所在なげにしているようにみえる。
建物自体はけっして古びているわけではない。むしろキレイなほうだとおもう。
けれども一日中光の差し込まない廊下は、いつもどこか薄気味悪く、正直あまり気に入ってはいない。社内も4階なうえに、隣にあるのは同じようなビルだから、窓からみえる景色はいつだって打ちつけのコンクリートだ。もうなれたとはいえ、よどんだ空気がいつも俺を圧迫し続けている気がしてならない。

それでも俺は、この喫煙室でのひとときが、特に20時以降のこの時間帯がすきだ。
多数の人間が最大に活動している時間もとっくに過ぎ、ビル全体がしんと静まり返っているこの雰囲気がとてもすきなのだ。
住めば都とはよくいったものである。
俺のいるこのフロアも、きっともう帰路についている者が大半だろう。
時には喫煙室も人口密度MAXで息の詰まりそうなときさえあるが、この時間帯はそんなふうになることもない。たいていが俺一人だ。俺はこの時間になると喫煙室に向かい、今日一日を振り返っては「今日も一日よくがんばったなあ」と自分を褒めてあげるのだ。シガナイ会社員の、なんともちいさな幸せである。

ところが最近、20時すぎの人の気配の少なくなったこの建物で、このリフレッシュコーナーでよく顔をあわすひとがいる。
名前もしらない。どこの会社のひとかもしらない。なにもしらない。だけど、ほとんど毎日顔をあわすものだから顔だけはすっかり覚えてしまった。なんとなく、その日そのひとに会わないと、なにか物足りなさまで感じてしまう。
毎朝同じ車両の同じ電車で、顔をあわすひとがある日いなくてふとどうしたんだろう?と思う感覚と似ている。

テナント同士のコミュニケーションはあまりない。喫煙室で愛想のいいオジサンに話しかけられ、「ボーナスさがっちゃってねえ」とか「キミんとこはいつも遅くまで残業しているねえ」とか、世間話の相手になるぐらいだ。俺は案外そういうコミュニケーションがすきなのでオジサンの話に乗っかっていくけど、なかにはこんなことすら億劫に感じるひともいるんだろうなとおもう。
思えば自分の会社の、左右隣りの会社が一体どんな会社でどんなひとたちがいるのかもよくしらない。仕事上HPで調べてはいるものの、その程度だ。きっと都会で働くとはそんなものなんだろうとおもう。ちょっと、さみしいけれど。

だから20時過ぎにいつも会うひととも軽く会釈をする程度だった。
おそらく俺とは同い年ぐらいだろうとおもう。予想している。
背格好も同じくらいだろうか。背は俺のほうがほんの少し高いのかもしれない。
背のわりには華奢な体つきではない感じがした。学生時代にスポーツでもしていたのかもしれない。
というよりなによりも、色素の薄いことに驚いた。本人に言ったら怒るかもしれないけれど、まるで女性のように透明感のある白い素肌に、髪色もうすい。そんだけ白かったらこれからの日差しの強い季節、丸焦げになってしまうんじゃないかと心配になってくる。だけど、そんな中性的な容姿とはうらはらに、なぜかとても男らしい雰囲気も感じることができた。

(不思議なやつだなあ……)

そいつはけっして喫煙室に入ってこない。タバコは吸わない主義なんだろう。
もしかして酒も飲まないんだろうか、俺とはちがってとても真面目な空気が漂っている。
そいつは会釈をしたあと、いつも自販機でエスプレッソティーを選び、チープな脚の高いテーブルに肘をついてはカコンとタブを開け、紅茶をひとくち飲み、そしてまたすぐに自分のオフィスへと戻っていく。
あれで休憩できているんだろうか。きっとああいうタイプはがむしゃらに仕事に没頭するタイプなのだろうと自論で決めつける。過労で倒れなければいいが。
まるで俺とは反対の生き方をしているんだろうな、とも雰囲気のみで、これも根拠のない自論で決めつける。

なんとなく、一度話してみたいと思うようになったのは確かだった。
月並みな世間話でいいから、会話をしてみたい。


 * * * 


きっかけというものは、何の前ぶれもなく、突然あらわれるものなんですね。

缶コーヒーの種類というのは、無駄に多い気がする。俺は切らしたコーヒーの補充に、リフレッシュコーナーの自販機とにらめっこをしている最中だった。タバコとコーヒーは仕事中に欠かせない。タバコとココアでもいい。
何せにらめっこというほどだ、視野が完全に自販機にしか向いておらず、いつものあの人が空き缶を捨てたそうに俺を見つめて突っ立っていたことにずいぶんな時間が必要だった。だったとおもう。

「あ、すみません」
「はい?」

(声、高ッ!)

途端に出た感想がこれだった。すっかり成人した今がその声ならいったい声変わりする前はどんな声してたんだ、声優とか声の仕事に就いたほうがよかったんじゃないのか、今からでも遅くはないぞ、などと次々とおせっかいレベルの彼への感想が押し寄せる。
とかく缶を捨てるにはこの立ち位置にいる俺が邪魔だとすぐにわかったので、慌ててその場所から立ち退いた。

「先、いいんですか?」

俺はなんとなく、彼が、さっきまで俺のいた場所を通り、空き缶を捨ているのを見つめていた。
ぼんやりと彼の立ち振るまいを眺めていると、意外にも声がかかった。
ここにいるのは彼と俺だけだ。顔見知りでしかない俺に声がかけられたのはおのずと知れた。
彼が話すのをはじめて聞いた瞬間だった。
作品名:それを魔法と呼ぶのなら 作家名:矢野