黄金 半分の
「おい、モモを探すぞ。」
ぼんやりとした幸田の手を取ると、北川が外へ連れ出す。ぼんやりとした幸田は、「モモ?」と呟いて、その手を払った。
「・・・モモは・・・死んだ・・・探すなら、あの世だぞ・・・」
モモがいなくなったら生きてはいけないと言った幸田は、そう言って部屋へ戻ろうとする。日本から逃げ出して、金塊もすぐに野田と共に山分けにした。一人当たり167枚の金塊を前にして、北川は傍で眠っている幸田を眺めていた。撃たれた右肩、落下した時に折った足など、あちこち傷ついていて満足に金の話もしなかった。どうにか医者には見せたものの、それとて満足のいくものではない。ここから脱出するべきだと、北川は判断して換金したドルと共に幸田を暖かい国に移した。野田とは、そこで別れた。彼は宣言通りにシンガポールに逃げた。暖かい国で、やっと治療を始めてわかったことは、幸田の半身が軽い麻痺をしているということだった。三階あたりから落下した幸田は、やはり頭を打っているらしく、その後遺症だと診断された。モモが半分だけ幸田を連れていったのだと北川は思った。
「北川、俺の取り分は春樹にやってくれ。俺はまだ食うには困らないぐらいにはあるから、そうしてくれ。」
以前よりもぼんやりとしてしまった幸田はそう言って、北川を驚かせた。たぶん、このままモモのところへ往くつもりだと北川は感じていた。初めて好きなものができた幸田は、それを手放してしまった。肩の傷は癒えたものの、半身が不自由な幸田は借りた部屋から外に出なかった。ただ、窓からぼんやりと空を見上げているだけの生活だ。
「駄目だ。春樹は何もしていない。これは、おまえが受け取る報酬だ。」
「・・・わかった・・・そろそろ別れよう。世話してもらって悪かった。おまえも好きなところへ行ってくれ。」
「幸田、本気で言ってるのか?」
「本気だ。おまえは、こんなところでジメジメしているのは性に合わない人間だ。そろそろ動いたほうがいい。俺も動くから・・・」
「人間のいない土地へ?」
「・・・いや・・・」
そこで幸田は言葉を止めて、そこからは言わなかった。続きは北川にもわかっている。けれど、やっと自分の元を訪れてくれた幸田を、このままにしたくなかった。だから、嘘をつく。
「・・・モモは死んでいない。おまえが間違ったんだ。あいつは逃げてる。それを追い駆けるんだ。」
もう一度、今度は無理に手首を引っ張った。唖然とした顔で幸田は北川を見ていた。あの教会でモモは冷たくなっていた。あれ以上には死ねないだろうというぐらいにだ。瞼を閉じられないほどに硬直していた身体が生きていた筈がない。
「モルヒネで、おまえは感覚が狂ってた。モモは、あの後、息を吹き返して逃げたんだ。だから、一緒に探しにいこう。」
「北川、モモは・・・死んでた。それは間違いない。」
「違う。ちゃんとモモに逢わせてやる。俺ができないことを言ったことがあるか? 幸田、一緒に行こう。」
手首を引いて、幸田を自分の胸に抱き込んだ。抵抗はない。半分はモモに渡してしまったが、残った半分は自分のものだ。絶対に離さない。
「おまえらしくもないな。」
「騙されたと怒るなら、もう少し後でいいだろう。さあ、行こう。」
いつまで騙せるだろう。嘘だとわかりすぎるほどの嘘だ。それでも、幸田は手放したくない。もし、騙されたと怒るなら、それでも構わない。十年付き合った謎ばかりの男が、やっと少しだけ自分で手を延ばした。それを掴んだモモは、そのまま神の国へ逃げた。残った半身を地上に繋ぎ止める。そのための悲しい嘘、どちらも嘘だとわかるのに、それを真実と無理遣りにこじつける。
「幸田、俺と行こう。モモに出会うまで、俺が傍にいる。」
「そんなの北川じゃない。女々しいことを言うな。」
「うるさいっっ。おまえは俺についてくればいいんだ。モモに逢いたくないんなら、ここで燻ってればいい。どうするんだ?」
逢いたい。逢って、モモとたくさんの話がしたい。神の話、心の話・・・父親のこと、今度の仕事のこと、猫のこと・・・・たくさん、たくさん・・・語りきれなかったことを話したい。
「・・・逢いたい・・・」
「なら、俺と行くんだ。ここにいたって、モモは訪ねてくれない。」
ここから連れ出して、あっちこっち流離って、最後に幸田はどうするだろう。その時、自分はどうするのだろう。何もかも見えない未来に向かって扉を開ける。
何年か慌ただしく過ぎ去った。日本に帰れない。途中で春樹に連絡はつけたが居場所は告げなかった。幸田は何も言わずに、北川に従っていた。最初から分かっていたからなのか、詰りも謗りもしなかった。ただ、大人しく北川に従っている。
ある日、とうとう幸田が、「ありがとう」と口にした。今までのことに礼を告げるということは、この関係も清算するということだ。だが、北川は聞かなかったことにした。相変わらず、どこでもすぐに眠れる幸田は、そう言った後でソファで眠っている。殺してしまえば、この呪縛から解き放たれる。幸田は完全にモモのところへ逝き、自分は一人になる。どれほど清々するだろう。ゆっくりと幸田の馘に手をかける。力を込めれば、それで終わる。ただ、それだけのことなのにできなかった。
「・・・北川?・・・やってくれ・・・」
眠っていたはずの幸田がぼそりと呟いた。執着を断ち切るなら壊せばいい。北川の自分に対する固執を清算するには、それしかないだろうと幸田も覚悟はしていたのだ。最初からわかっていた。モモはいない。一時の気の迷いかと、幸田は思っていたが、それにしては長すぎた。あれから、北川は仕事の話をしない。何かに怯えるように、あっちこっちと世界を渡り歩いた。それはモモの影なのだ。幸田がモモを追い求めるのと同じくらい、北川はモモの影から逃げ出していた。疲れ果てているのは北川のほうだ。
「・・俺は・・・もういいよ・・・おまえも疲れただろ?・・・」
だから、こういう最後になるのだろう。これで北川は元の自信たっぷりの北川に戻り、自分はモモのところへ逝くのだと安堵した。
「・・・できるものなら、とっくにやってるっっ。幸田、俺の傍に居てくれよ。モモのところへ逝くな。」
十数年付き合った男は泣き叫んで、自分の上に伸し掛かった。弱みを見せなかったはずの男が盛大に泣いている。この声に励まされるようにして生きている。
「おまえが言うなら生きてる。モモのほうは慌てなくてもいずれ逝くんだ。北川、俺と最後まで一緒に逝くのか?」
「そうだ。俺はおまえと一緒に暮らしていたい。」
「・・・わかった・・・最後まで一緒にいく・・・」
たぶん、あの嘘で自分をこの世に止めた北川は、何かを捨てた。その代わりに自分を得ることで生きている。モモが守ってくれた生命を、今度は北川が守ってくれている。それが嬉しいのだと流離っていて気付いていた。だから、モモさんには待ってもらうことにしよう。北川が捨て去る日が来るまで付き合う。そのために嘘をつく。きっと最後まではいけない。いつか、この男が気付くまで・・・この男が元の北川に戻るまで、それまで傍にいる。
「・・・幸田・・・こっちにいる限りは、おまえは俺の傍にいろよ。」
「ああ、居るよ。」