【腐】熱狂的な【モブ攻】
そもそも用心すべきだったのだ。
夜中の、人がまばらになった軍部。
そこに設けられている自分の部屋に、初対面の人間が訪れること自体おかしい事であると。
「何の用だい?」
問うても、相手は「中将にお話したいことがあるのですが……ここでは少しあれな内容ですので……場所を変えたく……」歯切れの悪い言葉しか返さない。
陰では昼行灯と揶揄される自分であるが、軍人としてそれなりに場数は踏み、勘は冴えている方だ(と思う)。
しかし、細かな部分まで気が利く秘書がその場にいなかったせいか。それとも、昼間の疲労と眠気のせいで頭が正常に働いていなかったせいか。
挙動不審な相手の男に不信感を抱きつつも。ペンと書類を纏め机の脇に置き、男の後をついていった自分は、愚かとしかいいようがないだろう。
「こちらです」と案内されて通されたのは、軍部の片隅にある普段は使われていない物置。
さぁどうぞ中にとあけられた扉。
明かりが無い、真っ暗な室内に足を踏み入れる直前。第六感が働いたのかもしれない。
ラウルは動きを止めると、相手の濁った目を見ていったのだ。
「本当に、ここで話さなければいけないのかい?」
男は何も答えるかわりに、ラウルの腕を掴むと、部屋の中に引きずり込んだ。
その力は強く、踏ん張りそこね、床につまずき倒れそうになった。だが、斜めに傾いた身体を誰かが受け止めてくれた。
「やぁ、ありがとう」
と暗闇の中相手の顔があるだろう位置を見上げ、いつもの調子で言った。
それと、部屋の明かりが点いたのはほぼ同時のことだ。
ラウルは男の、鍛え上げられた胸板に受けとめられていた。
よくよく見ると、目の前の相手には見覚えがある。
今まで言葉を交わしたことはないし、名前すら知らないけども、確か前線で活躍している軍の将校だったはずだ。
さらに室内にいたのはこの男だけではなかった。
狭い部屋には、白衣を纏った研究員や、高位の軍人。軍正規の防具を着用していない傭兵らしき人物など。
5、6人の男がそこにはいたのだった。
ラウルが異様に感じたのは、老若様々な彼らが皆同じ目をしてラウルを見ている事である。
ねっとりとした、絡みつくような、まるで品定めをしていうような。
――おかしい。
本能で違和感を感じ取ったラウルは、とっさに、彼らに背を向け走り出そうとした。
だが、案内してきた男が扉の前に立っていたので、逃げるどころか部屋を出ることすらままならない。
どうるするべきか。逡巡しているうちに、背後から声がかけられた。
「ラウル中将。お話が」
(もしかして、これは……ハメられた?)
今まで、人気の無い場所に呼連れ出され、理由にならない理由で暴力を加えられそうになったことは、多々あった。
その時は運良く部下や秘書が通りかかり事なきを得たり、ラウルが口先で相手をやりこめたりで、実際に殴られた蹴られたはなかったのだ。
だが、今は違う。
秘書も部下も既に帰宅した時間である。助けが外部からくることは望めない。
それに……今まで感じたことがない雰囲気のせいで、舌が麻痺し、いつものように動いてくれそうになかった。
ラウルは、身体をゆっくり反転させる。
(歯を二、三本折られる覚悟をしておいたほうがよさそうだ……)
「何か、僕に用かい?こんな夜中に呼び出すだなんて。……もしかして、私刑する気?」
生意気だ、気に食わない、腹が立つ。
憎悪や害意、敵意の目線なら、今まで何度も受けたことがあり、慣れてはいるつもりである。
そもそも、事ある度にビクついていたら、身体も精神も擦り切って使いものにならなくなってしまうだろう。
しかし、目の前の将校をはじめとする、周囲の視線は今まで感じたことのない種類のものだった。
(どこか、なま暖かい気がするんだよね。何でだろう……)
「中将」
将校服の男に呼びかけられ、現実に呼び戻される。と、太い腕が脇に回され、羽交い締めされてしまった。
背後の男の方がラウルよりも遙かに背が高いせいか、かかとが浮き、つま先だけで立っている体制になる。
護身の為にと佩いていた剣は、鞘ごと目の前に男にとられ、部屋の片隅に投げ捨てられた。
堅く大きな音を立てて、手の届かない遠い床に件はたたきつけられる。
「私刑だなんて、とんでもない。その逆です。我々は中将に心酔しているのですよ。心底」
「そう……それは、そう」
「例えば傭兵の彼はあなたのために祖国を捨てまして。あぁ、研究員の彼は学生だったのですが、国……ひいてはあなたのために入隊したのですよ」
後ろ髪が引っ張られる。
首元にかかるなま暖かい呼気や、唾液特有の臭いからすると、どうやら引っ張っているのは手ではなく口らしい。
羽交い締めしている男はどうやら、ラウルの茶色の髪をはんでいるらしかった。
生理的嫌悪で背中が震える。しかし、異様なのはそれだけではなかった。
「おや、どうなされたのですか?」
目の前の男が、ぐいと顔を近づけてくる。吐く息がかかるぐらいの近距離だ。
ラウルは思わず身体を後ろに下げて逃れようとしたが、拘束されているせいでそれはままなら無かった。
「汗をかかれているようですが……」
その言葉をきっかけに、一筋の汗が額から頬に流れ、喉を伝っていく。
室内は暑くない、逆に寒いぐらいだ。となると、これは。
「汗は汗でも、冷や汗かもね……」
「それは大変だ、すぐさまお拭きしなければ。しかし、私はハンカチを手元に用意しておりませんので」
抑揚のない一本調子で言ったかと思うと、将校はぬめぬめとした赤い舌を伸ばして、喉の汗を舐めとったのだった。
「うっ……」
情けない悲鳴を上げそうになったのを、寸前の所で押しとどめる。
それと同時に頭部に小さな痛みが走った。背後の口が髪を何本か力任せに引っこ抜いたのだ。
「あぁ、目頭に涙が」
今度は目に近づいてくる舌を、唯一自由の利く首を曲げることによって拒む。
無理強いはしないらしく、それ以上は追ってこなかったのは幸いだった。
だが、この時視界の端に写ってしまったのだ。
羽交い締めにしている男の口端に、見覚えのある栗色の髪の毛……紛れもない自分の物だ……が飛び出していたのを。
そして、彼が喉仏を下げたと同時にそれも引っ込んでしまった……食われた、咀嚼された……ことも、目撃してしまったのだ。
おかしい。
異様だ、異様すぎる。
逃げなければ。心臓が痛いほど強く脈打ち、胃のあたりがキリキリ締め付けられる。
「こちらにお顔を向けてください」
この場をどう乗り切るか算段している間に、顎を捕まれ元の位置に戻される。
軍人らしい節くれ立った大きい手に似つかわしくない、優しい手つきなのが、一層気持ち悪さを引き立てたのだった。
「中将」
「……なんだい」
無表情な男。瞬きが極端に少ない薄気味悪い奴。その腹の内をラウルは探ることができなかった。
一体、この将校……否、男たちは自分になにをしたいのだろう。
「我々は急に不安になったのですよ。
作品名:【腐】熱狂的な【モブ攻】 作家名:杏の庭