虫の息・2
十三歳の時ならいざ知らず、育ったアカギを担いだりできるような体力はもはや市川にはなく、ほとんど引きずるようにして万年床に横たえる。着てきた服は何処へかアカギが脱ぎ散らしたようなので放っておくことにし、ひとまず洗いざらしの自分の寝間着、冬には少し寒そうなそれを二枚ばかり着せておく。完全に眠ってしまったらしいアカギのぐにゃりとした身体をどうにか布団でくるんで、市川はやっと小さなくしゃみを数回しながら濡れた寝間着を脱ぐことが出来た。
「布団……は一枚しかないな……」
当然と言えば当然のことで、この家は長らく、代打ちをしていたころは一応家主であるところの市川ですら滅多にここで寝ることもない場所だった。ましてや余分の布団があるはずもなく、そしてまさか事前に赤木しげるがふらっと立ち寄るときのために余分の布団をくれ、等と言える筈もない以上、今夜はアカギと共寝をするしかないようだ。
薄い布団をはぐり、中へ入ろうとすると寝入ったアカギは遠慮無しに手足を伸ばしている。先程の様子からすると少しくらい押しやっても起きはしまいと踏み、市川はアカギが転げ出ない程度に自分の場所を確保した。布団の中はアカギの体温で幾らか暖かく、それだけは少し得をしたような気がするのもおかしな話である。
「ん……市川、さん?」
「……起こしたか」
寝ていろ、とアカギに向けて話す言葉が、恐らくもう無色透明とは言えないような気がする。焼きがまわったものだな、と自嘲しながら確保した自分の場所に身を横たえると、待ちかねたようにアカギは市川の背に腕を回してきた。冷え切った身体には随分温かく思えるアカギの体温に困惑し動きを止めた市川に、寝ぼけたような口調でアカギは「場所の節約」と理由を説明する。
「こんな妙な格好で寝られるのか?」
「あんたは俺に変な気を起こさないらしいからね」
俺にとっちゃつまらない事だけど。投げやりに言いながら頭を市川の胸に寄せるアカギの囁く声は、相変わらず随分と眠そうなままだった。
「お前……もういい加減そんな話はよせ」
「どうして?俺はずっと待っているのに」
「何を?」
「あんたが今の俺を見てくれるのをさ」
もう子供じゃないんだよ市川さん。
何とはなしに、今アカギは自分を眺めているような気がする。いたたまれなさに市川は、敢えて言い回しに引っかかり「見られるものか、この目で」と答えたが、直ぐに間に耐えられなくなり、アカギがそうしてきたようにその背中にゆっくりと腕を回した。微かに、ほんの僅かにその身を固くし、アカギはその身を寄せてくる。
知っているさ。そして儂ももうお前に足る相手ではない。
何度も繰り返した言葉を、言いかけてやめた。アカギが何故、こんなにも簡単な、解りきったことを解ろうとしないのかがずっと理解できなかった。勿論今も理解はしていない。しかしアカギの意に沿うことは出来ないまでも、残された時間せめて口を出さずにしたいようにさせてやってもばちは当たるまい、そう思った。
どうせ、そう遠くない将来、儂は死ぬのだ。
ならばそれまで、恐らく今、寝ると言う言葉が睡眠を意味しないアカギの枕代わりを勤めるのも悪くない。少なくともここにいる時は、傷も痣も増えることは無いのだ。
すきま風の冷たさに目が覚めた。視力のない目に感じる辺りの様子はまだ暗い時分の雰囲気で、市川は自分の眠りの浅さを知る。昼間に身体がだるさを訴えるまま寝たり起きたりの時間を過ごしているせいで、真っ当な時間の寝起きが最近出来ていないのだ。傍らに感じる僅かな温み、アカギはどうやらまだ眠っているようで、長い調子の規則正しい呼吸が手に触れた。
「全く、何考えてんの、はお互い様だ」
呟いて、目覚めていないその頭に手をやり髪を梳く。真っ直ぐで硬いその感触は昨日のままだが、濡れたまま寝たせいでひどく寝癖が付いているようだ。そのはね返る髪の中にゆっくりと指を繰り返し通しながら、市川はぼんやりと苦笑した。
終わりが見えているひとときなら、儂のような人間もまっとうな顔が出来るということか。
その時までに、アカギの気まぐれな興味が何処か遠くへ移っていればいい、理由もなく強く思った。