ユリへ 愛を込めて
ユリ <愛猫との別れに>(1ページ〜8ページ)
▼あらすじ
6月10日午前9時33分、愛猫ユリは20歳の生涯を閉じた。
ここ数日体調を崩し、病院通いが続いていた。
一進一退を繰り返し、体重も増えたり減ったりだった。
かかりつけ病院の最長老猫で、先生も気にかけて診てくれていた。
しかし、年齢には勝てなかった。
ユリは最期まで気丈に振る舞い、私の手を煩わせないように、お漏らし一つしないまま静かに息を引き取っていった。
「ユリ、ユリ!おかあさんここに居るよ!」
その言葉かけに、小さく「ニャァ」と鳴いて、数回手足をばたつかせ喘ぐような仕草の後、絶命した。
出会ってからおよそ19年。
私の分身のように、傍らで辛苦を共にしてくれた猫だった。
このエッセイは、賢く誇り高く、私の人生を支えつつ天命を全うした愛猫ユリに捧げるものだ。
ありがとうユリ、いつまでも愛しているよ。決して忘れない。
===================================================
ユリへ 感謝をこめて・・・
-----------------------(p.1)-----------------------
もう、長いことはない。20歳はとうに越えているはずのユリ。うちの子になって18年9ヶ月が過ぎている。
当時、可愛がっていた三毛猫に家出され、寂しさのあまり「生後3ヶ月くらいの三毛猫が欲しい」と、ミニコミ誌にあったボランティアに連絡した。
連れてこられたのが…どう見ても2歳くらいにはなっていると見えたユリだった。
30匹も飼っていたおばあさんが病気で亡くなり、手分けして里親探しをしているのだと、無理やり押し付けられた形で引き取った。右耳が血腫でつぶれた猫だった。
来た時から10年も住んでいるような図々しさで家中を探索し、階段の12段目に鎮座ましまし、ギョロリと下界を見下ろした。
先住猫にも物怖じせずに、突然やってきたことなどモノともしない、実に肝っ玉の据わった猫だった。
頭の良さは抜群で、何度舌を巻いたことだろう。
歳を取っても、ずば抜けた賢さは他の猫たちの比ではなかった。
2年前の冬に、咳が続き嘔吐を繰り返したので病院へ行った。
風邪なのだと思っていたら、思いの外「心臓病」という診断だった。しかも心臓の内側に肥大が大きく、心臓の中にほとんど隙間がない状態だった。継続的な治療と投薬が始まり、一日も薬を切らすことが出来なくなった。薬切れは即、死に繋がるのだった。
ユリは頑張って毎日の投薬を受け入れた。その甲斐あって、ずっと小康状態が続いていた。歳の割には食欲もあった。
ところが最近、急に状態が悪くなった。
遅かれ早かれ、今年の夏の暑さは身に堪えることになるだろうとは予測していた。が、夏場を前に体力の限界が来るとは思ってもいなかった。
5月29日に病院へ行き、点滴と注射、お薬をもらった。
3日分の薬を飲みきる頃、一旦自分から食欲を見せた。
缶詰も食べたし、私が食べているものを欲しがって、焼きそばだのロールケーキのカスタードクリームを美味そうに夢中で食べた。
もう、食べるなら何でもいいと思って食べさせた。
-----------------------(p.2)-----------------------
6月3日、金曜日頃からまたヨタヨタとしてきて、トイレに行っても疲れてしゃがみ込んでしまうようになった。
水を飲んでいても、ジッと考えているだけ・・・、留守中に水飲みバケツに顔を突っ込んで溺れてしまわないかハラハラした。
もう、餌も自力で食べない。缶詰を与えるとそっぽを向く。
仕方無しに、S/D缶(療養食)を少しずつすり鉢ですって、シリンジで強制給餌をした。
日曜日に再び病院に行ったら、先生は「もう何でも好きなものを食べさせていい」と言った。飲み薬も、もう飲まなくてもいいと言われてしまった。
「ユリは人間だったら100歳くらいですか?」と聞いたら、「そんなもんじゃない」といわれた。「120歳くらい?」「もっと・・・」
ユリは考えられないくらい年を取って頑張ってくれていた。
いつもなら車で病院に向かうキャリーバッグの中で、ずっと鳴き続けているのだ。
それが、もう鳴くこともなくただ力なく横たわっているだけ。
食べさせても体重は減る一方で、一週間で200グラムは減っていた。
体を撫でても、骨と皮でゴツゴツだ。
もう、自力で私のベッドに登ることも出来ず、ベット下のフローリングにうずくまっている。
しばらく前まで、私がいないと「な〜お、な〜お」と呼んでいたのに、その声が聞こえてこない。
ぐっすり眠っているのか、死んでしまったのかと驚いて手を触れると、ビクッと顔をもたげる。
こんな繰り返しをしながら、ユリは近い将来、虹の橋に旅立っていってしまうのだろう。
出会ってからの私の人生は過酷だった。何度も引越しをしたけれど、ずっと一緒だった。
誰よりも一番賢くて、空気の読める猫だった。
もう少し頑張ってくれると思っていたのに、思いの外、急に弱りだした。
嫌だ。苦楽を共にしてきたユリと離れたくない・・・。
嫌だ、嫌だ!!
まだ、傍にいて欲しい。ユリのゴロゴロを、ウルサイなぁと思いながら眠りたい。
いつも私の顔にぴったりとくっ付いて寝ていたユリ。
あくびをすると口が臭くて困ったけれど、それでも抱き寝していた私だった。
しかし、現実は容赦なく、ユリを失うことを怖れる日々が始まっていた。
-----------------------(p.3)-----------------------
具合が悪くてじっと横たわっていた数日間も、やおら立ち上がりふらふらになりながらトイレに行っていた。
最期まで、一度もお漏らしをしなかった…。たいした猫がいたもんだ。
死期を悟ったのか、二日前から食べ物を受け付けなかった。
強制給仕をしようと思っても、キッと口を結びシリンジを拒んだ。
なだめながら口に入れようとすると私の手を払いのけようとした。
それでも爪を立てるようなことはしなかった。
もう、水さえも受け付けなくなり、私の覚悟も決まった。
病院へは行かないことにした。
ここに至ってユリの嫌いな車に乗せ、何本も注射を打ったところで回復もしないだろう。
それよりは、たっぷりと一緒に居ようと思った。
そんな私の気持ちが通じていたのか、ユリを寝かせておいて隣室で用事をしていると「ナーオ、ナーオ」と子猫のように私を呼んだ。
「どうしたの、ユリちゃん?」
そばに行けば鳴き止んだ。
幾度とも無くそんな繰り返しをして、すっかり軽くなってしまったユリを抱き上げ、昨晩もいつも通り定位置に寝かしつけた。
一晩中荒い息遣いが聞こえてきた。朝方になってトロトロと眠り、眼を覚ますと、いつの間にかベッドの下に横たわっていた。
自分の足で体を支えられないほど弱っていたが、トイレに行こうとしたのだ。
腹の下に手を入れて体を支え、トイレの手助けをした。
何も食べていないのだから出るはずもない。
諦めさせると、再びヨロヨロとベッド下のバスタオルに倒れこみ身を横たえた。
小さな弱々しい声で数回鳴いた。
▼あらすじ
6月10日午前9時33分、愛猫ユリは20歳の生涯を閉じた。
ここ数日体調を崩し、病院通いが続いていた。
一進一退を繰り返し、体重も増えたり減ったりだった。
かかりつけ病院の最長老猫で、先生も気にかけて診てくれていた。
しかし、年齢には勝てなかった。
ユリは最期まで気丈に振る舞い、私の手を煩わせないように、お漏らし一つしないまま静かに息を引き取っていった。
「ユリ、ユリ!おかあさんここに居るよ!」
その言葉かけに、小さく「ニャァ」と鳴いて、数回手足をばたつかせ喘ぐような仕草の後、絶命した。
出会ってからおよそ19年。
私の分身のように、傍らで辛苦を共にしてくれた猫だった。
このエッセイは、賢く誇り高く、私の人生を支えつつ天命を全うした愛猫ユリに捧げるものだ。
ありがとうユリ、いつまでも愛しているよ。決して忘れない。
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ユリへ 感謝をこめて・・・
-----------------------(p.1)-----------------------
もう、長いことはない。20歳はとうに越えているはずのユリ。うちの子になって18年9ヶ月が過ぎている。
当時、可愛がっていた三毛猫に家出され、寂しさのあまり「生後3ヶ月くらいの三毛猫が欲しい」と、ミニコミ誌にあったボランティアに連絡した。
連れてこられたのが…どう見ても2歳くらいにはなっていると見えたユリだった。
30匹も飼っていたおばあさんが病気で亡くなり、手分けして里親探しをしているのだと、無理やり押し付けられた形で引き取った。右耳が血腫でつぶれた猫だった。
来た時から10年も住んでいるような図々しさで家中を探索し、階段の12段目に鎮座ましまし、ギョロリと下界を見下ろした。
先住猫にも物怖じせずに、突然やってきたことなどモノともしない、実に肝っ玉の据わった猫だった。
頭の良さは抜群で、何度舌を巻いたことだろう。
歳を取っても、ずば抜けた賢さは他の猫たちの比ではなかった。
2年前の冬に、咳が続き嘔吐を繰り返したので病院へ行った。
風邪なのだと思っていたら、思いの外「心臓病」という診断だった。しかも心臓の内側に肥大が大きく、心臓の中にほとんど隙間がない状態だった。継続的な治療と投薬が始まり、一日も薬を切らすことが出来なくなった。薬切れは即、死に繋がるのだった。
ユリは頑張って毎日の投薬を受け入れた。その甲斐あって、ずっと小康状態が続いていた。歳の割には食欲もあった。
ところが最近、急に状態が悪くなった。
遅かれ早かれ、今年の夏の暑さは身に堪えることになるだろうとは予測していた。が、夏場を前に体力の限界が来るとは思ってもいなかった。
5月29日に病院へ行き、点滴と注射、お薬をもらった。
3日分の薬を飲みきる頃、一旦自分から食欲を見せた。
缶詰も食べたし、私が食べているものを欲しがって、焼きそばだのロールケーキのカスタードクリームを美味そうに夢中で食べた。
もう、食べるなら何でもいいと思って食べさせた。
-----------------------(p.2)-----------------------
6月3日、金曜日頃からまたヨタヨタとしてきて、トイレに行っても疲れてしゃがみ込んでしまうようになった。
水を飲んでいても、ジッと考えているだけ・・・、留守中に水飲みバケツに顔を突っ込んで溺れてしまわないかハラハラした。
もう、餌も自力で食べない。缶詰を与えるとそっぽを向く。
仕方無しに、S/D缶(療養食)を少しずつすり鉢ですって、シリンジで強制給餌をした。
日曜日に再び病院に行ったら、先生は「もう何でも好きなものを食べさせていい」と言った。飲み薬も、もう飲まなくてもいいと言われてしまった。
「ユリは人間だったら100歳くらいですか?」と聞いたら、「そんなもんじゃない」といわれた。「120歳くらい?」「もっと・・・」
ユリは考えられないくらい年を取って頑張ってくれていた。
いつもなら車で病院に向かうキャリーバッグの中で、ずっと鳴き続けているのだ。
それが、もう鳴くこともなくただ力なく横たわっているだけ。
食べさせても体重は減る一方で、一週間で200グラムは減っていた。
体を撫でても、骨と皮でゴツゴツだ。
もう、自力で私のベッドに登ることも出来ず、ベット下のフローリングにうずくまっている。
しばらく前まで、私がいないと「な〜お、な〜お」と呼んでいたのに、その声が聞こえてこない。
ぐっすり眠っているのか、死んでしまったのかと驚いて手を触れると、ビクッと顔をもたげる。
こんな繰り返しをしながら、ユリは近い将来、虹の橋に旅立っていってしまうのだろう。
出会ってからの私の人生は過酷だった。何度も引越しをしたけれど、ずっと一緒だった。
誰よりも一番賢くて、空気の読める猫だった。
もう少し頑張ってくれると思っていたのに、思いの外、急に弱りだした。
嫌だ。苦楽を共にしてきたユリと離れたくない・・・。
嫌だ、嫌だ!!
まだ、傍にいて欲しい。ユリのゴロゴロを、ウルサイなぁと思いながら眠りたい。
いつも私の顔にぴったりとくっ付いて寝ていたユリ。
あくびをすると口が臭くて困ったけれど、それでも抱き寝していた私だった。
しかし、現実は容赦なく、ユリを失うことを怖れる日々が始まっていた。
-----------------------(p.3)-----------------------
具合が悪くてじっと横たわっていた数日間も、やおら立ち上がりふらふらになりながらトイレに行っていた。
最期まで、一度もお漏らしをしなかった…。たいした猫がいたもんだ。
死期を悟ったのか、二日前から食べ物を受け付けなかった。
強制給仕をしようと思っても、キッと口を結びシリンジを拒んだ。
なだめながら口に入れようとすると私の手を払いのけようとした。
それでも爪を立てるようなことはしなかった。
もう、水さえも受け付けなくなり、私の覚悟も決まった。
病院へは行かないことにした。
ここに至ってユリの嫌いな車に乗せ、何本も注射を打ったところで回復もしないだろう。
それよりは、たっぷりと一緒に居ようと思った。
そんな私の気持ちが通じていたのか、ユリを寝かせておいて隣室で用事をしていると「ナーオ、ナーオ」と子猫のように私を呼んだ。
「どうしたの、ユリちゃん?」
そばに行けば鳴き止んだ。
幾度とも無くそんな繰り返しをして、すっかり軽くなってしまったユリを抱き上げ、昨晩もいつも通り定位置に寝かしつけた。
一晩中荒い息遣いが聞こえてきた。朝方になってトロトロと眠り、眼を覚ますと、いつの間にかベッドの下に横たわっていた。
自分の足で体を支えられないほど弱っていたが、トイレに行こうとしたのだ。
腹の下に手を入れて体を支え、トイレの手助けをした。
何も食べていないのだから出るはずもない。
諦めさせると、再びヨロヨロとベッド下のバスタオルに倒れこみ身を横たえた。
小さな弱々しい声で数回鳴いた。