生まれ育つもの
おそらくよく礼拝に来る老人から聞いたのだろう。燐達とも顔見知りで、ミサの終わりによく話している。
「あのなぁ、死ぬのはもっともっと先のことだぞ? 大人になってすげえ時間が経って、ヨボヨボのじいさんになってからの話だ」
もしかしたら燐にはあてはまらないかも知れないが、それは今は考えないことにする。
「でも、おれは雪男のにいちゃんだ。ふたごでもにいちゃんなんだから、雪男よりとしうえってことだろ?」
「まぁ、そりゃそうだが……」
「おれがさきにしんじゃったら、もう雪男まもれないもん。だから、雪男はつよくならなきゃだめなんだ」
こちらの手を握る小さな手にきゅっと力が込められる。
「からだもつよくなって、なきむしもなくなって、おれよりつよいやつがきてもまけないくらい、おれがいなくてもだいじょうぶなくらい、雪男はおれよりもっともっとつよくならなきゃだめなんだ」
青い眼はいつのまにか、じっと前をみている。それは遠い未来を見つめているようで、
(まるで、自分の未来を知っているような)
そんな風に見えて。
なぁ、と燐がこちらを見上げる。
「とうさん。ゆきおもとうさんみたいにつよくなる?」
大きな青い目はどこまでも澄んでいて。
言葉はどこまでも真っ直ぐで。
「俺みたいに、か?」
「おう! だってとうさん、おれよりつよいし、それにかっけぇもん!」
どうしようもなく、泣きたくなった。
強くなんてない。格好良くなんてない。
兄を慕う弟を利用できるくらい卑怯で、その純粋な眼差しで見られる価値もないほど、汚れた大人で。
今繋いでる手はもしかしたら、その命を奪うのかもしれなくて。
けれども、そんな言葉は言えるはずもなくて。
今まで感じたことがないほど、胸が苦しい。
ああ、これが罪悪感と言うものかと、初めてその言葉の意味を知った。
「…なるさ。俺の息子で、お前の弟だぞ。強くなるに決まってる」
笑顔を浮かべて、小さな手をぎゅっと握ってやれば、燐は柔らかな頬を嬉しそうに緩ませてこちらの手を握り返す。
「そっかぁ。そうだよな! つよくなるよな! きまってるよな!」
「当然だ。あっという間にお前の背も追い抜いて、逆に守ってもらうようになるかもな」
「それはだめ!」
ぷくりと頬を膨らませ、不満げに口をとがらせる。
「何だよ。自分より強くなって欲しいんじゃないのか?」
「そうだけど、でもそれはヤだ」
「なんだそりゃ」
くつくつと笑えば、さらに燐はムッとする。
「だって、おれがにいちゃんなんだから、雪男にまもってもらうんじゃなくて、ずっとおれが雪男をまもるんだ!」
何の迷いもなく燐は言い切る。無性にその小さな身体を抱きしめたくなったが、右腕は雪男を支えているし、燐と繋がっている左手は離しがたい。なのでせめて、繋ぐ手の力を強めてぬくもりを共有する。
「きょうのばんめしなに? すきやき?」
「……あ、まだ何にするか考えてなかった」
「えー、なんだよそれ!」
「んー、うぅ」
雪男の声に顔を見合わせ、二人して雪男の顔を見てみればその顔は笑っていて、それを見て二人も小さく笑い合う。
眠る雪男を起こさないように声を潜めるのが面白いのか、燐は上機嫌に繋いだ手を揺らす。楽しげなその顔を見ながら思う。
雪男にこれから教えるたくさんのことも。燐にこれから伝えるたくさんのことも。
そのどれもが、二人の笑顔を守るものになれば良い。
(……ん?)
ふと、気がついた。
自分の気持ちはただの情なのか、親としての愛情なのかとか、もしものときに躊躇することなく燐を殺せるだとか、そんなことの以前に、
(二人の笑顔を守りたいって思っちまってんじゃねぇか)
そんな簡単なことにどうして気がつけなかったのか。自分の頭がいかに凝り固まっていたのか、思わず笑いが込み上げる。
「とうさん? どうかしたか?」
「なんでもねぇよ」
不思議そうに燐は首を傾げる。それには笑みを返してやりながら、雪男を軽く支えなおし、
「さて、とっとと帰るか」
「おう!」
コンクリートに三人分の影が伸びる。周囲の家々からはちらほらと団欒の声が聞こえ、夕空には白い月が浮かんでいる。
背中と左手に感じる自身よりもあたたかいぬくもりを感じながら、今日の夕飯は何にしようかと考える。
(二人が美味いって言うもん作らねぇとな)
そして、笑ってくれれば何よりだ。
未だに自分が二人に父親としての愛情を持っているのかは分からない。けれども、二人に父と呼ばれても、恥ずかしくない自分でありたいと思う。
――二人が育っていくように、自分も父親になっていきたい。