Shelter シェルター
―――いつもの朝……
背中を向けて眠っている相手の肩に手をかけてこちらを向かせると、そのまま自分の胸の中へ抱き込んだ。
プラチナの髪に顔を寄せると、ドラコの少し湿った汗を含んだ香りが鼻腔をくすぐる。
ハリーはその首筋に鼻を摺り寄せた。
夜、眠るときまではドラコはパフュームを付けない。
上品な香りの昼間の彼も大好きだったけれど、この何もつけていないドラコの匂いがとても好きだった。
ドラコのまぶたが動き、ぼんやりと相手を見つめる。
しかしとても眠たそうで、また今にも眠りに落ちてしまいそうなほど動きが鈍かった。
柔らかくほほにキスをすると、くすぐったそうに首をすくめて瞬きを繰り返す。
そうして目覚めたばかりのドラコは、いつも何かを探すように視線をさまよわせて、やがて自分の顔を見つけると薄青い瞳を細めて、いつものように名前を呼んでくれた。
「――ハリー……」と。
キッチンでハリーは結構ごきげんで朝食をつくった。
とりあえず、ベーコンはカリカリに焼くこと。
それがドラコのリクエストで、いつもハリーはその火加減に苦労していた。
気を抜くと、すぐそれは真っ黒になるからだ。
手早く器用にフライパンを動かしている。
ドラコはバジャマ姿でダイニング用の椅子に座って、ぼんやりとまだ眠たそうな顔のまま窓の外を見ていた。
木々が揺れて、すがすがしい風が吹いているようだ。
ドラコはすぐに、今日の予定を決めたらしい。
「いい天気だな。どこかドライブに行かないか?」
と、明るい声で尋ねてきた。
遅めの朝食のあと、僕たちはフラットの前に停めていた青い車に乗り込んだ。
近頃、ドラコはこの『ドライブをすること』に夢中だった。
ほんの少し前に、免許を取ったばかりのハリーはあまり運転が上手ではなかったけれど、それでもドラコは喜んで、あまり広くはない車の助手席に座ってくれる。
「みんな僕の運転を怖がって、あまり乗りたくなさそうなのに、ドラコだけがドライブしようと言ってくれるね。怖くないの?」
流れていく景色を楽しんでしたドラコは、振り向いて悪戯っぽく笑う。
「君の箒に乗るより、こっちのほうが断然安心じゃないか。あっちは硬い一本の棒きれだし、君はスピード狂だし、たまったものじゃないけど、車ならスプリングがきいたソファー付きだ。しかも音楽まで聴くことが出来る」
そう言って、覚えたばかりのオーディオのボタンを押した。
途端にラジオからはうるさいロックががなり立ててくる。
顔をしかめてそれをさえぎると、ダイヤルを変えて、ドラコは選局していった。
早口なDJのスラングだらけの語りを飛ばして、今流行の音楽も無視をして、何局か変えると、やがて満足したのか、流れてきた曲にうなずいて、ドラコはシートにもたれた。
アコースティックなギターは少しルーズで、軽やかだった。
歌詞は聞き取れない。
多分ポルトガル語だろうと思う。
「へぇー……。ドラコは育ちがいいから、きっと上品なクラシックしか聞かないと思っていたのに」
「キライだよ、ハリー。実はああいう、おカタイのは大嫌いだ」
鼻にしわを寄せるしぐさに、ハリーはクスリと笑った。
ドラコはゆったりと新緑がまぶしい木々が流れすぎるのを愉しみながら、小さな声でハミングをした。
「この曲、知っていたの?」
「まさか……。なんとなく、合わせてみただけだ」
照れてうつむいて、そしてハリーの顔を見て、またはにかんだように笑う。
その笑顔に、ハリーの心も温かくなり、自然と笑みが浮かんだ。
いくつもの緩やかなカーブを曲がると、やがて連なっていた家が途切れて、広々とした開けた場所に出てきた。
背丈の高い草が青い海のように茂っている丘を、まっすぐに車を走らせる。
草の葉が流れるように揺れて、空はどこまでも青かった。
今の季節がロンドンの郊外では、一番新緑が美しい。
牧草は日差しを弾いて、明るく輝き、風に大きく波の打つようにたなびいている。
ハリーは窓を大きめに開けると深呼吸をした。
目を細めて、気持ちがいい風をほほに受ける。
―――ふとドラコが、自分のひざの上で組んでいた指を見つめたまま、ポツリと言った。
「誰だって、うまくいかないときだってあるさ、ハリー……」
そう柔らかく言うから、ハリーはその意味が最初分からなかった。
「―――えっ?」
「車をとめてくれ」
ふいに言われて、ハリーは牧草地のわきに車を寄せる。
「深夜にうなされていたよな?何か、悩んでいることがあるのか?──僕はもちろん君の代わりにはなれないし、君のしている仕事の内容もマグル界のことだから、よく分からない。ときどきしか君のフラットに来られない僕は結局、何も出来ないかもしれない。君の今いる現実を変えることも出来ない。それでも……」
ドラコは顔をあげてハリーを見る。
「何でも抱え込むなよ、ハリー」
「―――えっ?」
ドラコは無言のままからだを寄せてくると両手を広げて、ぎゅっとハリーを抱きしめた。
驚いたように身じろぎ離れようとすると、余計に強く抱きしめてくる。
「動くんじゃない」
そんな命令口調でも、ハリーは嬉しかった。
「何かしんどいことがあったのか?ひとりで落ち込むな。話を聞かせてみろよ」
そう言って、ハリーを抱きしめたまま囁く。
「仕事の話だよ。つまらない愚痴だ。聞いていても楽しくも何ともないよ。そんなことより、せっかく君と過ごすことができる休日なんだし、もっと面白い話でも――――」
話題を変えようとしたら、ドラコはその唇をふさいだ。
そっとそれを離すと、「いいから」と言葉を続けた。
「―――いいから、話してみろ」
目を細めてやさしく促すように、ドラコはそう言った。
ハリーはため息をつくと、思い切ったようにぽつりぽつりと話し始める。
職場の人間関係が、近頃うまくいってないこと。
取引先からの無理な注文。
上司の気まぐれな言動に振り回されていること。
きっとどこにでもある仕事の愚痴だったけど、ドラコは何度も頷いて、一切口を挟まず、最後までハリーの言葉を聞いてくれた。
ドラコはけっして辛抱強い性格じゃなかった。
どちらかというと短気で、気が短いほうだ。
しかしハリーのために、真剣に耳をかたむけてくれる。
それがとても嬉しかった。
仕事の悩みを話し終えたハリーを見つめたまま、そっとドラコは告げる。
「──だけどそれは、君だけのせいじゃないからな」
そう言ってハリーの手を握った。
「君にそう言ってもらえて、気分が楽になったよ。本当にありがとう……」
ハリーが言うと、ドラコは照れたような、それでいて柔らかい笑みを口元に浮かべた。
自分を見る淡い水色の瞳が、空の青い色を映しこんで、とてもきれいだった。
ハリーが笑うと、ドラコも目を細める。
──こういう静かなふたりの時間が、とても好きだった。
からだを重ねて抱き合うよりももっと、深い喜びがあることを知ったのは、ここ最近だ。
誰だって、甘えたり、愚痴を言ったり、悩みを打ち明けたりすることが出来る『逃げ場所』を、持つことが大事だと思う。
ハリーはドラコの、ドラコはハリーの、そういう『場所』に、いつの間にかなっていたことが嬉しい。
背中を向けて眠っている相手の肩に手をかけてこちらを向かせると、そのまま自分の胸の中へ抱き込んだ。
プラチナの髪に顔を寄せると、ドラコの少し湿った汗を含んだ香りが鼻腔をくすぐる。
ハリーはその首筋に鼻を摺り寄せた。
夜、眠るときまではドラコはパフュームを付けない。
上品な香りの昼間の彼も大好きだったけれど、この何もつけていないドラコの匂いがとても好きだった。
ドラコのまぶたが動き、ぼんやりと相手を見つめる。
しかしとても眠たそうで、また今にも眠りに落ちてしまいそうなほど動きが鈍かった。
柔らかくほほにキスをすると、くすぐったそうに首をすくめて瞬きを繰り返す。
そうして目覚めたばかりのドラコは、いつも何かを探すように視線をさまよわせて、やがて自分の顔を見つけると薄青い瞳を細めて、いつものように名前を呼んでくれた。
「――ハリー……」と。
キッチンでハリーは結構ごきげんで朝食をつくった。
とりあえず、ベーコンはカリカリに焼くこと。
それがドラコのリクエストで、いつもハリーはその火加減に苦労していた。
気を抜くと、すぐそれは真っ黒になるからだ。
手早く器用にフライパンを動かしている。
ドラコはバジャマ姿でダイニング用の椅子に座って、ぼんやりとまだ眠たそうな顔のまま窓の外を見ていた。
木々が揺れて、すがすがしい風が吹いているようだ。
ドラコはすぐに、今日の予定を決めたらしい。
「いい天気だな。どこかドライブに行かないか?」
と、明るい声で尋ねてきた。
遅めの朝食のあと、僕たちはフラットの前に停めていた青い車に乗り込んだ。
近頃、ドラコはこの『ドライブをすること』に夢中だった。
ほんの少し前に、免許を取ったばかりのハリーはあまり運転が上手ではなかったけれど、それでもドラコは喜んで、あまり広くはない車の助手席に座ってくれる。
「みんな僕の運転を怖がって、あまり乗りたくなさそうなのに、ドラコだけがドライブしようと言ってくれるね。怖くないの?」
流れていく景色を楽しんでしたドラコは、振り向いて悪戯っぽく笑う。
「君の箒に乗るより、こっちのほうが断然安心じゃないか。あっちは硬い一本の棒きれだし、君はスピード狂だし、たまったものじゃないけど、車ならスプリングがきいたソファー付きだ。しかも音楽まで聴くことが出来る」
そう言って、覚えたばかりのオーディオのボタンを押した。
途端にラジオからはうるさいロックががなり立ててくる。
顔をしかめてそれをさえぎると、ダイヤルを変えて、ドラコは選局していった。
早口なDJのスラングだらけの語りを飛ばして、今流行の音楽も無視をして、何局か変えると、やがて満足したのか、流れてきた曲にうなずいて、ドラコはシートにもたれた。
アコースティックなギターは少しルーズで、軽やかだった。
歌詞は聞き取れない。
多分ポルトガル語だろうと思う。
「へぇー……。ドラコは育ちがいいから、きっと上品なクラシックしか聞かないと思っていたのに」
「キライだよ、ハリー。実はああいう、おカタイのは大嫌いだ」
鼻にしわを寄せるしぐさに、ハリーはクスリと笑った。
ドラコはゆったりと新緑がまぶしい木々が流れすぎるのを愉しみながら、小さな声でハミングをした。
「この曲、知っていたの?」
「まさか……。なんとなく、合わせてみただけだ」
照れてうつむいて、そしてハリーの顔を見て、またはにかんだように笑う。
その笑顔に、ハリーの心も温かくなり、自然と笑みが浮かんだ。
いくつもの緩やかなカーブを曲がると、やがて連なっていた家が途切れて、広々とした開けた場所に出てきた。
背丈の高い草が青い海のように茂っている丘を、まっすぐに車を走らせる。
草の葉が流れるように揺れて、空はどこまでも青かった。
今の季節がロンドンの郊外では、一番新緑が美しい。
牧草は日差しを弾いて、明るく輝き、風に大きく波の打つようにたなびいている。
ハリーは窓を大きめに開けると深呼吸をした。
目を細めて、気持ちがいい風をほほに受ける。
―――ふとドラコが、自分のひざの上で組んでいた指を見つめたまま、ポツリと言った。
「誰だって、うまくいかないときだってあるさ、ハリー……」
そう柔らかく言うから、ハリーはその意味が最初分からなかった。
「―――えっ?」
「車をとめてくれ」
ふいに言われて、ハリーは牧草地のわきに車を寄せる。
「深夜にうなされていたよな?何か、悩んでいることがあるのか?──僕はもちろん君の代わりにはなれないし、君のしている仕事の内容もマグル界のことだから、よく分からない。ときどきしか君のフラットに来られない僕は結局、何も出来ないかもしれない。君の今いる現実を変えることも出来ない。それでも……」
ドラコは顔をあげてハリーを見る。
「何でも抱え込むなよ、ハリー」
「―――えっ?」
ドラコは無言のままからだを寄せてくると両手を広げて、ぎゅっとハリーを抱きしめた。
驚いたように身じろぎ離れようとすると、余計に強く抱きしめてくる。
「動くんじゃない」
そんな命令口調でも、ハリーは嬉しかった。
「何かしんどいことがあったのか?ひとりで落ち込むな。話を聞かせてみろよ」
そう言って、ハリーを抱きしめたまま囁く。
「仕事の話だよ。つまらない愚痴だ。聞いていても楽しくも何ともないよ。そんなことより、せっかく君と過ごすことができる休日なんだし、もっと面白い話でも――――」
話題を変えようとしたら、ドラコはその唇をふさいだ。
そっとそれを離すと、「いいから」と言葉を続けた。
「―――いいから、話してみろ」
目を細めてやさしく促すように、ドラコはそう言った。
ハリーはため息をつくと、思い切ったようにぽつりぽつりと話し始める。
職場の人間関係が、近頃うまくいってないこと。
取引先からの無理な注文。
上司の気まぐれな言動に振り回されていること。
きっとどこにでもある仕事の愚痴だったけど、ドラコは何度も頷いて、一切口を挟まず、最後までハリーの言葉を聞いてくれた。
ドラコはけっして辛抱強い性格じゃなかった。
どちらかというと短気で、気が短いほうだ。
しかしハリーのために、真剣に耳をかたむけてくれる。
それがとても嬉しかった。
仕事の悩みを話し終えたハリーを見つめたまま、そっとドラコは告げる。
「──だけどそれは、君だけのせいじゃないからな」
そう言ってハリーの手を握った。
「君にそう言ってもらえて、気分が楽になったよ。本当にありがとう……」
ハリーが言うと、ドラコは照れたような、それでいて柔らかい笑みを口元に浮かべた。
自分を見る淡い水色の瞳が、空の青い色を映しこんで、とてもきれいだった。
ハリーが笑うと、ドラコも目を細める。
──こういう静かなふたりの時間が、とても好きだった。
からだを重ねて抱き合うよりももっと、深い喜びがあることを知ったのは、ここ最近だ。
誰だって、甘えたり、愚痴を言ったり、悩みを打ち明けたりすることが出来る『逃げ場所』を、持つことが大事だと思う。
ハリーはドラコの、ドラコはハリーの、そういう『場所』に、いつの間にかなっていたことが嬉しい。
作品名:Shelter シェルター 作家名:sabure