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――どうにもムカムカする。
意識が浮上するのと同時に襲ってきた体調の悪さに、帝人は彼の短い前髪の下の眉を顰めた。
よく似ているが、食べ過ぎによる生理的な胸のむかつきではない。食べ過ぎどころか、ろくに晩御飯も取らせてもらえずにベッドの中に連れ去られたのだから、帝人の腹は空腹を通り越してもう何も感じなくなっている。
もしかすると何も腹に入っていなのに胃液だけが出てしまって気分が悪いのだろうか、と考えてみるが、この吐き気は帝人も過去に何度か経験したそれらとは別物のようだ。
原因不明のむかつき。帝人がここ最近、頭を悩ませているこのむかつきは、普段は忘れるほど大人しいのだが、臨也の顔を見ると途端に発症する謎の症状なのである。
臨也の薄っぺらい笑顔を見ると、ムカムカと腹立たしい気持ちで胸がパンパンに張って、苦しい。気持ち悪い。
そんな帝人の状態に気付いているのか、気付いていないのか。きっと気付いているだろうに臨也は何も言うことなく、窓からさしこむ明るいひかりの中、満足そうな顔で起きぬけの少年の不満顔をじっと見つめている。帝人はきわめて近い位置にある臨也の整った顔から視線を外して、彼の後方にある窓へちらりと目を向けた。
量販店で適当にみつくろった安価な緑色のカーテンでは遮ることの出来ないひかりが、窓から室内へと入ってきている。時計で正確な時刻を確認することは出来なかったが、だいたいのところを把握してしまって帝人はちいさな眩暈を覚えた。帝人が臨也の腕からようやく解放されたのは、カーテンの向こう側が白んできた頃だと記憶している。それから数時間しか経っていないようだった。それだけの休息で起きられたことを幸運に思うのか、貴重な連休の一部を無駄にしてしまったと嘆くのか。勿論、帝人は怒りをもって後者を選んだ。鋭さを増した少年の眉の角度に、悪びれもしない青年の表情が、胸のむかつきに拍車をかけた。
「おはよう、帝人くん。……起きられる?」
一拍おいたそこには「自力で」という言葉が入るのだろう。
爽やかな声に隠されたからかいの色に気付いた帝人の目が、じとりと臨也を睨みつけた。
青みがかった少年の目にきらりとひかりが入る。
それに気付いた臨也はそっと目を細めた。同世代の少年たちよりも年下に見られることが多い彼は、しかし、決して子どもっぽい表情はしない。どちらかというと、外からの何にも揺るがない一定の冷静な感情をおもてに浮かべていることが多く、それは臨也ですら感嘆と賞賛を送るレベルになりつつあった。だが、帝人は臨也の前でだけその仮面を外す。ふたりきりのときだけに見せる、ぽろりと零れるような子どもっぽい表情は、少年本来のもので、臨也をたいへん喜ばせた。それは、臨也だけが知ることを許されている帝人の歳相応のらしさと呼べるものであった。そして臨也はそんな帝人が愛しくてたまらない。
ふかふかの枕に体を預けている臨也は、にこにこと上機嫌である。帝人の怒りなど可愛らしいものなのだろう。
おかんむりの様子の少年が、わざと手を青年の身体の上に置き、ぐっと体重をかけて身を起こしても呻き声のひとつも立てない。それどころか、いつもと逆に帝人を見上げる臨也の目は煮詰めた苺ジャムのようにとろりと蕩けて甘そうで、少年の頬にも密かに同じ色が灯った。
本当は、ひとつひとつの簡単な動作にも、えいやと勢いをつけなければ動けない状態になった原因である青年に、ちくりと文句を言うつもりだったのに。腹へわざと体重をかけたことも、眦の優しいラインひとつで流されてしまっては、若輩者である帝人に出来る反逆の種類は少ない。
帝人のささやかな反抗は、臨也にとって逆らいと名のつくものですらないのだろう。
生まれてまもない生き物が、自分よりもずっと大きな生き物へ甘えて飛びかかって来たのを受けとめるような、そんな余裕に満ちている。
――恋人同士と呼ばれる関係になって、いくつかの季節を経たというのに、まだまだ気持ちに差があるような思いを帝人がするのはこういう時である。
もし、帝人が臨也と同じ年齢であれば違っていたのだろうか。
不安に揺れることもないのだろうか。
八年の差は大きい。それが臨也との差であれば尚更である。帝人と臨也は、人生の濃度も経験も何もかもが違う。今更、何をどうやっても補うことの出来ない大きな差がそこにはある。
不満に思ったところでどうにもならないと理性では分かっていても、追いつけないそれを感じるたびに、悔しいものが帝人の胸の中に広がった。