レイニーデイズ
何かが壊れた月曜日
その日はひどい雨が降っていた。地面を叩きつけるように降る大粒の雨粒と突風が、古びたアパートを揺らしている。ざあざあと絶え間なく雨ばかりが音をたてている、そして電気すらつけずにいる室内はひどく暗かった。汚れるように錆びた窓からこぼれる灰青色の光だけが唯一の光源で、そして窓のすぐ下にあるベットばかりに光を投げかけている。もうずいぶん長い間使われていたものだったので、体を載せればスプリングが甲高い悲鳴を上げ、真ん中あたりを少しだけへこませた。自分の部屋ではあるが、こうしているとまるで知らないところのようだと静雄は思う。ベットに横たわる血の気の無い男の顔を見下ろして、溜息を吐くこともなく、息を荒くして殴りかかるでもなく、ただそれだけをぼんやりと思った。窓に叩きつけられた水滴が流れていくさまが、影となって血の気の無い男に黒い筋を引いている。まるで死んでいるようだなと静雄は思った。いったい自分は何をしているんだろうな、と自嘲したけれども、その感覚というものは今に始まったことではなく、この一週間の間ずっと静雄を追い続けるものであった。いったい自分は何をしている、こいつを殺さなくていいのかと、静雄の中でことさら冷静だと言える場所がずっとささやいていたけれど、この一週間だけは静雄は耳を貸さなかった。仮初とはいえ、傍らにある体温が思いのほかに気持ち良かったせいなのかもしれない。どちらにしろ、気の迷いであることに変わりはなかった。
こんこんと眠り続ける男の傍らで、静雄はそっと触れるだけの力でかかる前髪をわけてやる。すると赤くはれ、少しばかり黒ずみ始めた打撲の跡がそんざいを主張するように姿を現した。
この怪我は自分が負わせたものではない。不慮の事故だ。だが、静雄はこれがこの嘘ばかりでできた一週間を終わらせるものだと理解していたので、言いようの無い、罪悪感とも違う感情を、冷え切った顔をする男に重ねていた。ひどい雨は雷を呼び、時折窓の向こう側を嘘のように明るくする。静雄は小腹が空いてきたことを思い出し腰を上げた。キイとなる軋んだ音が、何とも悲しげに聞こえるのだった。
足音をあまり立てないように慎重に歩いて、リビングのドアの前で静雄は振り返って、窓の向こう側を見る。一際高なる雷鳴がぼろアパートを震わせた。
思い出したように、静雄は溜息を吐いた。吐いて、小さく苦笑をこぼした。
「目が覚めたら、手前はいなくなるんだろうな」
誰に言うでもなく呟いて、静雄はそのまま部屋を後にした。きっとそれを願っているんだととうに静雄は気づいていたけれど、それをあえて考えることはしないで、錆びたビニール傘をさし十分ほどかかるコンビニへと足を向ける。ゆっくりと時間を潰していたせいもあって家に帰るころには優に三十分をこし、とどろいていた雷鳴が嘘のように静かに、雨まで止んでしまっていた。一時的なものではあるんだろうな、と思いながら錆びた階段を上ると、自室の扉があいている。あれ、と思いながら近づくと、置いてあった男の靴が消えていた。部屋の中には人の気配すらない。
驚きはしなかった。部屋を出て行くときに、そうかもしれないと懸念はしていた。していたから、落胆はしなかった。
部屋の扉を開けてみると、そこは驚くほど出てきたままの形で残っていた。人の気配も、一週間男が暮らした痕跡も何もない。あるいはこの一週間が妄想の産物ではなかったのかと思わせるほど静けさばかりが部屋には満ちている。
コンビニのビニール袋を机の上に置き、静雄は殊更ゆっくりと溜息を吐いた。
近づいたベットに寝ていたはずの男は居らず 、綺麗に整えられたベットとシーツと枕があるだけ、もうぬくもりも何も残っていないだろう。
そんなものを見ながら、一体自分は何がしたかったんだろうと、もう一度静雄はぼんやりと考えた。
それから、もう二度と戻ってこないだろううそのように穏やかだった日々を思い出して、煙草の煙を吐き出した。一人きりの部屋に冷えた空気がひどく冷たいのだった。