屋根裏部屋の空の下
3.
〈それは何だ? 遊馬〉
「これ? アイアン号だよ、玩具の」
照明を灯した屋根裏部屋。床にあぐらをかき、遊馬は紙箱を開けて中身をばらまいた。中袋からころころ転がる細かいパーツを、アストラルが誘い込まれたかのように目で追っている。
「姉ちゃんに買い物頼まれてたから、ついでに――……あ、たまたま見つけたから買っただけだからな。昨日お前があれこれ言ったからじゃないからな」
遊馬は、先手を打ってアストラルの次の言葉を封じた。
「うわ、パーツ細けえなこれ。ちゃんと組み立てられんのか?」
買ってきたのは食玩と呼ばれる類の玩具だったが、組み立てには意外と手間がかかるものらしい。小さな取扱説明書を前にして、遊馬は頭をひねった。
数分後、ようやく組み立てが始まったが、遊馬の手つきはどこか危なっかしい。アストラルはその様子を上の方から黙って見下ろしていたが、やがて音もなく床に降りてきて遊馬の目の前に正座した。遊馬の手の中にあるできかけのアイアン号を指差して、
〈その方向だと、左の翼が逆向きだ。そこに付けるべきパーツは、君の足元にある〉
「あ、そっか」
解説通りにパーツを付けると、今までの苦労は何だったのかと思うほど簡単にはまった。
――そうしてできあがったのは、遊馬の手のひらに乗るくらいの小さなアイアン号だった。
アストラルが首をかしげる。
〈随分と小さいのだな〉
「しょ、しょうがねえだろ。オレが買えるのはここまでなんだよ。大きいのは、えーと、大人が買うもんで。子どもが買っちゃいけないんだ」
遊馬にしてみれば、苦し紛れの言い訳だった。これできちんと納得してもらうのは、どう考えても無理な話。相手は探究心旺盛なアストラルなのだ。きっとこの後怒涛の質問攻めに遭うものだと思われたが。
〈ああ、なるほど。君はまだ子どもだから、大きいアイアン号を買うことができないのか〉
熱い視線をアイアン号に注ぎつつ、アストラルはうなずいた。遊馬の方が拍子抜けするほどにあっさりと。子どもと大人の身分の差が分かるのか、それとも、「実物」が目の前にあるから大小はどうでもいいのか。多分後者ではないかと遊馬は予想した。
「そ、そうなんだよ。うん、そうなんだけど。……何でだろう、何かむかつく」
ここまで来るのに、随分と遠回りした気がする。
何はともあれ、アイアン号はできあがったのだ。ほらよ、とばかりに遊馬はアイアン号をアストラルの前の床に置いてやる。アストラルが、身を乗り出してアイアン号を眺め始めた。
早速観察を始めるアストラルを横目に、遊馬は食玩に付いていた菓子袋に手を伸ばした。本来はこちらがメインなのだろうが、どう見てもおまけにしか見えない、ラムネ菓子が三粒だけのささやかなものだ。つまみ出して二粒噛み砕いたところで、何気なくアストラルに目を向けた。相手を眺めている内に、赤い目が怪訝さを含みだす。
アストラルは、アイアン号を見続けている。遊馬にそれを渡されてから、ずっとだ。身を乗り出したり、首を傾けたりするだけで、言葉を発することも、手を伸ばすことすらせず。真剣な眼差しが対象に注がれている。
遊馬は、とりあえずアストラルに訊いてみた。
「お前、そんだけでいいの?」
〈ああ。私は〉
青白い右手が、床の上のアイアン号に伸ばされた。形のよい指は、アイアン号にぶつからずに幻のようにすり抜ける。そろりと手を引っ込め、口の端をわずかに歪めてアストラルは静かに告げた。
〈……私は、この世界の物体に触れることができない。君を除いたこの世界への干渉を、許されてはいないのだ。許されるのは、観察し、思考し、そして記憶することだけ。だから私は、今のこの瞬間をできうる限り記憶の中に収めておきたい。それができればもう十分だ〉
言い終わると彼は、再び視線をアイアン号に向けた。ただひたすらに対象を見続けるその様子を見て、遊馬の心にある感情が浮かんだ。……何だか面白くない、と。
「――おい、手ぇ出せ」
〈遊馬? 一体どうしたのだ?〉
「いいから。早く」
ぶっきらぼうな指示にややまごつきながらも、アストラルは観察を中断して右手を遊馬に差し出した。手のひらを上にするよう言い渡し、遊馬は差し出された手を同じく伸ばした自分の右手に重ねる。そこに、床のアイアン号をつまんでちょこんと載せた。見ようによっては、アストラルの手のひらにアイアン号が載っているようにも見える。
「こうすりゃ、お前にだって触れるだろ?」
アストラルは、ゆっくりとした動作で自分の手とアイアン号を見下ろした。遊馬のした行いに何も言うことなく、ただ黙って見下ろしていた。
痛い。この何とも言えない沈黙が、妙に痛い。自分は、彼に対して不味いことをしでかしたのか。屋根裏部屋に漂い出す静けさを打ち消すべく、遊馬の口が思うより先に動いておどけた口調で言葉を紡ぐ。
「あ、いや、その、せっかく買ったのに、一人で楽しむのはちょっともったいねえかなーって思っただけで、」
〈遊馬〉
穏やかな声音が、屋根裏部屋の沈黙と遊馬の言い訳に割って入った。遊馬の喋りが、途端にぴたりと止んだ。今までアイアン号に熱心に向けられていたアストラルの目が、いつの間にか遊馬の方を向いていた。
〈そうだ。私は今、アイアン号を持っている。この手で〉
その時のアストラルの表情は、遊馬の記憶の中のみに収められたのだった。
「……なあ」
〈『チェンジ! ジェット・アイアン号!』〉
「お前、まだ飽きねえの?」
〈『行け、アイアン・フェニックス!』〉
「アストラルぅ……」
アストラルは、最初の内はおとなしく手元のアイアン号の観察をしていたはずだった。それが、観察している内に段々と気分が乗って来たらしく、今ではこの有様。これまでにどれほどの量を記憶していたのか、劇中の名台詞の大盤振る舞いだ。
いつもの真顔で燃える台詞を吐くアストラルは、物凄くシュールだった。
――今度は、どっから間違っちまったんだ、オレは?
遊馬は空いている左手を伸ばし、手探りでラムネの小袋を探した。指にがさりとした感触が引っかかる。残念ながら袋の中身は空っぽだ。ラムネはもう、一粒も残っていない。
制止も暇潰しも全てあきらめた。あぐらに頬杖をつき、遊馬はあくび交じりにぼそりとつぶやく。
「オレ、ごっこ遊びはとっくに卒業したんだっての」
それでも、一旦貸し出した右手を途中で引っ込めたりはしなかった。
屋根裏部屋の空の下。
階下で遊馬を呼ぶ声がするまで、アイアン号は二人の間を飛び続けていた。
(END)
2011/7/25