かくにんふよう
「ほらほらほら、みてみて〜」
ご機嫌な男が肩にまわした腕に力をこめる。こつんとフードごしのこめかみに、男の童顔が寄せられた。細い指先をたどれば、見事な満月。
きっと、この男の故郷での例え、『月にウサギ』が、とかなんとか言うつもりなんだろう。
「なあなあ、ほら、あれ見て!」
見てるよ、と言えば、ぽん、と優しい手が頭をなでて、二人は頭をくっつけたままで同じ空を見上げることになる。
「 ―― 月が明るいから、空が 『藍』 だねえ 」
「・・・・・・」
――― 童顔のうっとりとした言葉が、ため息とともに夜空へ昇る。
「――・・酒くさい」
「お゛う、おまえも飲んでおけえ」
「だあめ!子どもは!」
「隊長!!おれ、のみまああす!」
「いいぞお!」
ぎゃははははははは
「――はい、おまえはジュースをどうぞ」
ご機嫌な男がそれをついで笑う。
呆れたため息をつく子どもは、その酸味が強いジュースに口をつけ、手にしたグラスをそっとなでた。
銀色長髪な男は、ここではちょっとした、『みんなのおかあさん』だったりする。
本人は、気付いていないし、万が一気付けば、かなり不本意だろうけど、そのポジションは、いまさら変えられない。
―――――― 空が、アオイぜぇ
その日は、朝からこのうえなく晴天で、仕事をしながら思わず空なんか見上げていたもんだから、上司に瓦を投げつけられたり(場所が民家の屋根の上だったから)、味方なのに頭のおかしい王子に髪の毛と洗濯干しのロープを結ばれてみたり(おもしろそうだという理由で)、オカマッチョの蹴りでぶっとんだ人間を腹に食らったり(ぼおっとしてるのがいけないのよ)、・・・まあ、あげればきりがない・・・。
本部にもどり、事後報告のまとめと後始末の方針を、既にグラス片手の上司に、一応、確認し(あいまに投げつけられたグラスをよけ)、部下に細かい指示を出し終えたところで、ようやく『片付いた』気分になって、長い廊下を渡っているとき、そのざわつきを耳が拾った。
―――― ・・・進行方向、180度転換。
思うよりも早く身体は実行していた。 ―――のに・・・。
がしいっ!なんて擬音がしそうな勢いで、腰にたくさんの人間がすがり付いてきた。
「・・・・・・・お゛い・・・はなせえ・・」
「「「いやです!見捨てないでください!逃げないでください!置いていかないでえ!!」」」
いっせいにあがる悲鳴にも似たそれらの哀願を、けり倒して逃げられるほどだったら、どんなに楽かと思うのだ。
「―・・てめえらあああ・・いいかげん・・あれにも慣れておけえ・・」
そんな、げっそりした顔で命令されれば、部下だって自分の身がかわいいので頷きたくはない。
そろって無言で首を振る男どもを怒鳴ろうとしたとき、この場にそぐわぬのん気で軽やかな声がわってはいった。
「みんな、なにタックルの練習してんの?」
ずささささささささ!と、まとわりついて押し倒してきていた人間がいっせいに身を引き、潮のように横一列で遠のいてゆく。
「・・・なんかの作戦の、演習?」
「・・そういうことにしておけや」
ふうん大変そうだね、などと微笑んだ童顔は、ときおりこの黒い部隊の屋敷に、紛れ込む『クセモノ』だ。
だいたい、本体の頭が、こんなにふうにふらっと一人で ――――。
「――・・・ う゛ お゛ い。また、一人かあ? 」
「うん」
当然というように肯定するな!と突っ込みたいのを珍しく押さえた男に首根っこを押さえられ、童顔男はそのまま接客用の部屋に押し込まれた。
「――なに、してんだあ?こんなところで」
「えっと、・・人をさがして」
「・・ボスならいねえぞお」
「はあ?違うよ。あの凶悪顔に用はないから」
「ああ゛?じゃあ、誰だ?」
「マーモン」
「・・・あ゛?おまえが?何の用だあ?」
「ただしくは、おれが、じゃないんだけど・・・。渡してほしいって頼まれたものがあってさあ」
「・・・あいつにィ?」
そういえば、童顔は片手にずっと紙袋をさげている。みおろせば、「あ」となにか思い出したような声をあげ、それに手を突っ込んだ。
「これ。この前のお礼」
にこにことだされた箱は、四合サイズの日本酒だ。
「――おれにじゃねえだろ。クソボスに渡せ」
「え?おまえにだよ?お礼なにがいいか聞いたら日本酒でいいって ――」
「 ―――― 」言った。
実は、覚えてもいる。
なにかとくされ縁のあるこの男を、不本意ながらも何度か助けている自覚もある。この前のときは、ひどく酒がはいって上機嫌な状態のこの馬鹿を助けてしまい、抱きつかれ顔に音高くキスされまくりで聞かれたのでとりあえず拳骨で目覚めさせ、しばらくしてから「日本の酒でいい」と答えてやったのだ。
だがしかし、 ――――。
「・・・とりあえず、それ持ってボスのとこに行け。そんで、それをかざしながら、仲良くしに来たことをまわりに宣伝して歩け。じゃねえと、おまえの姿見た奴らが、みんなおれに助けを求めてきやがるぜ」
「はあ?助けって?」
「おまえが単身こっちに来て、うちのボスと壊滅的な規模のいざこざにならなかったことがいままであるかあ?」
「・・・・あったっけ?・・」
「あったら教えろや」
「・・・だって、いないんだろ?」
「―――表面的にな」
「・・・なら、遭わないだろうから、平気だ」
「いいから行け」
「じゃあ、いっしょに」
「う゛お゛い!」
取られた腕をふりほどこうと暴れていると、そいつがふらふらと通った。
童顔がこちらの腕を放り投げ、子どもに駆け寄る。― 子どもといっても、もう、かなり大きいのだが・・・。
「よかった〜マーモン。はい、これ」
「・・・わるいけど、うちは『セールスお断り』」
「違うから!あのさ、・・おれの、かあさんからなんだけど、もらってくれる?」
「・・・・・」
「なんか、ガラスの・・っていっても、日本なんだけど、工房に行って、グラス作ってきたらしくてさ。せっかくだからっていろんな色を作ったら、たくさんになっちゃったんだって。でも、サイズが小さくて、子ども用みたいでさ ――もらって、くれると助かるんだけど・・・?」
最後はちょっと、困ったようにかがんでその箱を相手の目の前に差し出した。
ひどく、かわいらしい趣味の紙で包まれているそれを見ても、あいかわらずフードで隠したような顔が、動くことはない。
童顔が、手にのせたそれと子どもを見比べたとき、後ろから伸びた手が、その箱を掴み取った。
「おらよ」
何の反応も見せない子どもの顔の前で、それを振る。
「いらねえなら、――離すぜえ」
言い終えず落下した箱が、ふわりと戻って静かに子どもの手の平に着地。
「――割れてたら、弁償してもらうからね」
子どものいつもの対応に、銀髪は口端をあげ、童顔はもらってくれるの?と声を弾ませた。
「よかったあ。これでようやくみんなに渡せたよ。残りのは、おれが使おうっと」
子どもがその場でかわいい紙をびりびりと破き、箱から取り出された中身を銀髪が見て、あ゛?と予想外の声を出す。