夏嵐ヴァカンス
(1)一日目
――電気代もおトクになりますよ、っつーんで、格安業者に頼む前に思いたって自分でエアコンばらしてフィルター掃除して、それで余計に調子が悪くなったのかもしれない。
前の晩からどうにも寝苦しくて、寝付けないと言いながら翌朝とっくにだいぶお寝坊さんの時間帯ではあったが、頭はボーッとしてるし肩の辺りは重たいし、――てゆーか実際何か乗っかっちゃってんし。
「オハヨウございます、」
一点の曇りも澱みもない笑みで、何ならこっちの良心がウッと鈍痛を催す必要以上の爽やかさに先生が言った。
「……はよございあす」
半分しか上がり切らない瞼と同じ、どんよりもっさり彼は返した。――よいしょっと、膝を詰めていた肩から降りると、先生は縒れた着物の裾を直した。そのとき、彼は改めてあることに気が付いた。
「――今日はちゃんとしてんすね」
こないだみたく身体も透けてないし、マットカラー仕様の足までくっきり床についてんし。
「でしょうっ?!」
指先に着物の袖を掴んで、くるっとその場ターンした先生が嬉々として言った、
「今回は調整に時間かけて、ギリギリまで粘ったんですよ、」
――まぁ、本当はできれば真っ盛りシーズンは避けたかったんですけど、割引クーポンも使えないし、
「……は?」
寝癖頭を掻いて彼は訊ねた。
「イイエ何でも!」
――ニコッ! 長い髪を揺らして、先生はまたしても非の打ちどころのないスマイルを返した。
(……。)
タオルケットの上に腕を下ろしてぼーっとしたまま考える。……なんというか、何でもホイホイ定価で買って、ポイントカードのスタンプひとつまともに集められなかったこの人が、――俗世を離れて逆に生活力ついたんじゃないすか先生、感慨深いものではあるが、だからと言ってタイムセール攻略に血道を上げる先生、というのもあんまり見たくない光景のような逆に面白いかもしれないような。
「――そうだ、今日はおみやげがあるんですよ、」
先生がいそいそと風呂敷包みを取り出した。なんっか急に無の空間からポッと出てきたよーにも見えたけど、多分まだちゃんと目が開いてないせいだな、ウン。
「ハイ、」
――じゃじゃーん、効果音付きで先生が広げてみせたのはド派手ないちご模様のアロハシャツ、――あっそんでコッチが私のです、これまた目がチカチカしそーな大判のヒマワリ柄だ。
「かわいいでしょう?」
すっかりご満悦の表情に先生が言った。
「……ドコで買ったんすか?」
寝起きのボケた視界にはキツイ、彼はそれだけ訊ねるのがやっとだった。
「コレですか? これはねっとの通販で」
さも当たり前のように先生が返した。
「ええっ?!」
彼はまたまた度胆を抜かれた。
――まとめ買いした方が送料とかポイントとかお得なんですよ知ってました? いかにも常識ですよという顔で先生が言った、――イヤ、ハイ、ウン、しっ、知らな……いや知ってたかな、あれー知らなかったかなアハハハハ、テキトーに笑ってごまかして、信じられない、ホントーにこれがあの霞食って生きてたよーな先生だろうか、まーだ俺の心臓バクバク言ってんすけどっ!
で、せっかくのおみやげだし、コレ着て出かけるトコと言ったら海かプールか、手っ取り早く近場は区営プールだけど、いちごアロハの浮かれた姿でそろっと居間を通り抜けようにもどだい始めから無理があった。
「ドコ行くんですかっ」
盆休みだというのに自主的サマータイム出勤中のメガネ少年が即行前のめりに食いついてきた。ちっちっち、指を振ってアルアル少女が言った、
「どー見てもプールじゃん、あの手荷物ぶらり近場感は海じゃないヨ、」
「わふっ!」
ベターッと床にだらし寝していたワン公も首をもたげて同意した。
(……。)
――食っちゃ寝ばっかで何もわかっちゃいないくせに、とかほんの一瞬心でも思おうもんなら、たちまち牙剥いて来やがるからなあいつアブネアブネー、
「来てぇんなら来てもいーけど、俺に何かあっても一切構わないでくれ」
透明のビニールバッグを肩に背負い直して彼は言った。ちなみに今回、分身の術をやめた先生の姿はどうやら他の人間には見えていないらしい。あんなにハデハデひまわりアロハ着てるのに、……もっとも、だったらなんで同じ冥界みやげのいちごアロハはくっきり存在主張してんのかとか、考えるとまた頭痛がしそうなのでそのへんはなぁなぁの設定にしておこう。
「へっ? 何ですかっ?」
言い訳の独り言を口の中でぶつぶつ唱えている彼に、メガネ少年が首を傾げた。
「――だからぁ、」
アルアル娘がまたも訳知り顔に横から割り込んできた、
「プールサイドでいいカンジのおねいさんといいカンジになったらいいかおまえら他人のフリしてぜってー邪魔すんじゃねーぞって、ンなありもしない妄想に憑りつかれたかわいそうなオッサンのことはまるっと見て見ぬふりしてあげてねって、まったくイチから十まで説明しないとわかんないからイマドキの子はァ~、」
――はーやれやれ、少女が大袈裟に肩を竦めた。
「……。」
ゴメンネ気の利かないメガネで、何かを堪える面持ちにメガネ少年はぐっと唇を噛んだ。
まるで気にしていない様子の少女は、♪フンフフンフ、押入れを開けて、非常持ち出し袋よろしく予めティーン雑誌の全サマチ付きキラキラ☆夏コレおでかけクリア手提げに用意していたぷーるせっとをいそいそ持ってきた。
――でもね、泳ぐとおなかがすくからコレだけはコッチに入れ替えといたよじゃじゃん! 少女が取り出してみせた缶入り乾パンに、――バカおまえそりゃマジに非常用なんだよっ! いちごアロハの保護者代理がキレたので、――ええーーー、思きし露骨に不本意顔にではあるが、仕方なし、少女は名残惜しそうに乾パンを居間の机に置いた。
とかなんとか無駄なやり取りの間にもっかいドサッとベタ寝にかかったワンコはおるすばん、見えない一人と三人で、じむしょの表に休業中の札を掛けてプールに向かう。オバケ(なんだろーなやっぱり)、ってカテゴリはないからいちお大人一人と子供二人ってコトでいいよね!って、若干キョドりつつ入場料払って、
「ぱっつーーーーん!!!」
ロッカー越しの向かいの女子更衣室から、一秒たりとも待ってらんない声がした。
「じゃあっボク先に行ってますねっ」
――すちゃ! 三本線入りのぴっちり水泳帽にメガネの上から水中メガネ装着して(しかしいろいろと都合よく便利なモンがある時代だ)、少年は転ばない程度に用心しながら駆け出していった。
「……やれやれあいつら、ナマ言っててもやっぱコドモだな、」
余裕かまして呟いた彼に、
「そういえば、君は水に入るの嫌いでしたよね、」
先生がぽつりと言った。――濡れると天パが余計くるんくるんになっちゃうからって、
「あー、アレはねー、年食って髪質改善したんですよ」
腕組みしたまま彼は返した。
――電気代もおトクになりますよ、っつーんで、格安業者に頼む前に思いたって自分でエアコンばらしてフィルター掃除して、それで余計に調子が悪くなったのかもしれない。
前の晩からどうにも寝苦しくて、寝付けないと言いながら翌朝とっくにだいぶお寝坊さんの時間帯ではあったが、頭はボーッとしてるし肩の辺りは重たいし、――てゆーか実際何か乗っかっちゃってんし。
「オハヨウございます、」
一点の曇りも澱みもない笑みで、何ならこっちの良心がウッと鈍痛を催す必要以上の爽やかさに先生が言った。
「……はよございあす」
半分しか上がり切らない瞼と同じ、どんよりもっさり彼は返した。――よいしょっと、膝を詰めていた肩から降りると、先生は縒れた着物の裾を直した。そのとき、彼は改めてあることに気が付いた。
「――今日はちゃんとしてんすね」
こないだみたく身体も透けてないし、マットカラー仕様の足までくっきり床についてんし。
「でしょうっ?!」
指先に着物の袖を掴んで、くるっとその場ターンした先生が嬉々として言った、
「今回は調整に時間かけて、ギリギリまで粘ったんですよ、」
――まぁ、本当はできれば真っ盛りシーズンは避けたかったんですけど、割引クーポンも使えないし、
「……は?」
寝癖頭を掻いて彼は訊ねた。
「イイエ何でも!」
――ニコッ! 長い髪を揺らして、先生はまたしても非の打ちどころのないスマイルを返した。
(……。)
タオルケットの上に腕を下ろしてぼーっとしたまま考える。……なんというか、何でもホイホイ定価で買って、ポイントカードのスタンプひとつまともに集められなかったこの人が、――俗世を離れて逆に生活力ついたんじゃないすか先生、感慨深いものではあるが、だからと言ってタイムセール攻略に血道を上げる先生、というのもあんまり見たくない光景のような逆に面白いかもしれないような。
「――そうだ、今日はおみやげがあるんですよ、」
先生がいそいそと風呂敷包みを取り出した。なんっか急に無の空間からポッと出てきたよーにも見えたけど、多分まだちゃんと目が開いてないせいだな、ウン。
「ハイ、」
――じゃじゃーん、効果音付きで先生が広げてみせたのはド派手ないちご模様のアロハシャツ、――あっそんでコッチが私のです、これまた目がチカチカしそーな大判のヒマワリ柄だ。
「かわいいでしょう?」
すっかりご満悦の表情に先生が言った。
「……ドコで買ったんすか?」
寝起きのボケた視界にはキツイ、彼はそれだけ訊ねるのがやっとだった。
「コレですか? これはねっとの通販で」
さも当たり前のように先生が返した。
「ええっ?!」
彼はまたまた度胆を抜かれた。
――まとめ買いした方が送料とかポイントとかお得なんですよ知ってました? いかにも常識ですよという顔で先生が言った、――イヤ、ハイ、ウン、しっ、知らな……いや知ってたかな、あれー知らなかったかなアハハハハ、テキトーに笑ってごまかして、信じられない、ホントーにこれがあの霞食って生きてたよーな先生だろうか、まーだ俺の心臓バクバク言ってんすけどっ!
で、せっかくのおみやげだし、コレ着て出かけるトコと言ったら海かプールか、手っ取り早く近場は区営プールだけど、いちごアロハの浮かれた姿でそろっと居間を通り抜けようにもどだい始めから無理があった。
「ドコ行くんですかっ」
盆休みだというのに自主的サマータイム出勤中のメガネ少年が即行前のめりに食いついてきた。ちっちっち、指を振ってアルアル少女が言った、
「どー見てもプールじゃん、あの手荷物ぶらり近場感は海じゃないヨ、」
「わふっ!」
ベターッと床にだらし寝していたワン公も首をもたげて同意した。
(……。)
――食っちゃ寝ばっかで何もわかっちゃいないくせに、とかほんの一瞬心でも思おうもんなら、たちまち牙剥いて来やがるからなあいつアブネアブネー、
「来てぇんなら来てもいーけど、俺に何かあっても一切構わないでくれ」
透明のビニールバッグを肩に背負い直して彼は言った。ちなみに今回、分身の術をやめた先生の姿はどうやら他の人間には見えていないらしい。あんなにハデハデひまわりアロハ着てるのに、……もっとも、だったらなんで同じ冥界みやげのいちごアロハはくっきり存在主張してんのかとか、考えるとまた頭痛がしそうなのでそのへんはなぁなぁの設定にしておこう。
「へっ? 何ですかっ?」
言い訳の独り言を口の中でぶつぶつ唱えている彼に、メガネ少年が首を傾げた。
「――だからぁ、」
アルアル娘がまたも訳知り顔に横から割り込んできた、
「プールサイドでいいカンジのおねいさんといいカンジになったらいいかおまえら他人のフリしてぜってー邪魔すんじゃねーぞって、ンなありもしない妄想に憑りつかれたかわいそうなオッサンのことはまるっと見て見ぬふりしてあげてねって、まったくイチから十まで説明しないとわかんないからイマドキの子はァ~、」
――はーやれやれ、少女が大袈裟に肩を竦めた。
「……。」
ゴメンネ気の利かないメガネで、何かを堪える面持ちにメガネ少年はぐっと唇を噛んだ。
まるで気にしていない様子の少女は、♪フンフフンフ、押入れを開けて、非常持ち出し袋よろしく予めティーン雑誌の全サマチ付きキラキラ☆夏コレおでかけクリア手提げに用意していたぷーるせっとをいそいそ持ってきた。
――でもね、泳ぐとおなかがすくからコレだけはコッチに入れ替えといたよじゃじゃん! 少女が取り出してみせた缶入り乾パンに、――バカおまえそりゃマジに非常用なんだよっ! いちごアロハの保護者代理がキレたので、――ええーーー、思きし露骨に不本意顔にではあるが、仕方なし、少女は名残惜しそうに乾パンを居間の机に置いた。
とかなんとか無駄なやり取りの間にもっかいドサッとベタ寝にかかったワンコはおるすばん、見えない一人と三人で、じむしょの表に休業中の札を掛けてプールに向かう。オバケ(なんだろーなやっぱり)、ってカテゴリはないからいちお大人一人と子供二人ってコトでいいよね!って、若干キョドりつつ入場料払って、
「ぱっつーーーーん!!!」
ロッカー越しの向かいの女子更衣室から、一秒たりとも待ってらんない声がした。
「じゃあっボク先に行ってますねっ」
――すちゃ! 三本線入りのぴっちり水泳帽にメガネの上から水中メガネ装着して(しかしいろいろと都合よく便利なモンがある時代だ)、少年は転ばない程度に用心しながら駆け出していった。
「……やれやれあいつら、ナマ言っててもやっぱコドモだな、」
余裕かまして呟いた彼に、
「そういえば、君は水に入るの嫌いでしたよね、」
先生がぽつりと言った。――濡れると天パが余計くるんくるんになっちゃうからって、
「あー、アレはねー、年食って髪質改善したんですよ」
腕組みしたまま彼は返した。