夏嵐ヴァカンス
「そうなんですか?」
驚いたように先生が言った、――なんででしょうねぇ、――さぁ苦労したからじゃないですか、とかなんとか、――はっイカンっ! 油断してたぞっ更衣室いんの俺だけじゃなかったっ! 訝る周囲の視線を避けて咄嗟に手のひらサイズのスマートフォンでダラダラくっちゃべってるフリしつつ、更衣室出て消毒槽の方に行きかけて、後ろを見ると先生もトテトテあとをついてくる。はたと立ち止まって彼は訊ねた。
「……先生、マジ水入るんすか?」
――だってさ、よく考えたらシュールだよなァ、オバケ(仮)が水泳って。
「えっ?」
顔を上げた先生が、
「――あっ」
思い出したように足を止めた。
「そうだった、水には入っちゃいけないんでした、」
「は?」
彼は眉を顰めた。先生はコツンと頭をぶつふりをした。
「なんか、触媒の作用起こしちゃうらしくて、こっちとアッチの世界繋がって扉開いてエライことなっちゃうからって」
「!!」
冷や汗かいて彼は拳を握り締めた、――先生! 頼んますよしっかりして下さいよ!! どんだけ周り巻き沿いにする気ですかうっかりにも程があるでしょうよォォ!!
「それじゃ私はあっちで見てますね、」
先生がプールサイドに行きかけた。
「……」
彼は消毒槽に浸かっていた片足を引いた。
「――やっぱ俺もやめときます」
「え?」
戻って来た彼に先生が首を傾けた。早々にタイルに腰を下ろすと、彼は天パの首筋を掻いた。
「なんか、クーラー当たりかビミョーに熱っぽいんすよ」
「……」
並んで隣に座った先生が言った。
「プール、止めといた方がよかったですね」
「いーんです」
いちごアロハの腕を伸ばして彼は言った
「どうせあいつらに、いっぺんは連れてけってわーわー言われてたし」
「……、」
くすりと笑った先生が彼の額に手を当てた。彼は振り向いた。
「ちょっとだけ冷たいでしょう?」
首を傾げて先生が言った。
(……。)
一方、ザバーっと潜水から上がってきたアルアル少女は、プールの中からそれを見ていた。
「ねーねーぱっつん、」
少年の海パンの紐を無造作に引いて少女が言った。
「アレ、銀ちゃんさっきから首ぐりんってやってお子様プールのほーばっかずーーっと見てるんだけどさー……」
――ママさん狙いなのかな? ……いんやまさかひょっとしてっ!?
戦慄に少女は己の肩を抱き、二つに結ったおだんごヘアを震わせた。
「そんな、考えすぎだよ、独り身が堪えて父性に目覚めたんじゃないの?」
――あれぐらいの子供がいてもぜんぜんおかしくないトシだしねー、正面のズレた海パンを直しつつ、メガネ少年がしみじみ言った。
「そうアルか?」
だがしかし、万が一にもヤツが父性でなく不正義に目覚めたのでアルならば過ちを犯す前にジーク!マイコー!!さんでりすとの名に懸けて断固正義の鉄槌を下さねばなるまい、悲壮感にも似た固い決意を持って少女はざばざば抜き手を切った。
「銀ちゃーーーん!!!」
リアル彩色チョコドーナッツ浮き輪を腰にパステルカラーのセパレーツ水着でプールサイドを駆けてきた少女が、ぼへーっと甲羅干ししていた彼に手のひらを突き出した。
「――ただし場合と状況によっては見逃してやるからその前にワイロ、」
「……は?」
何のこっちゃと彼は眉を顰めた。
(……。)
――てか正義って何? 一緒に上がって後ろからついてきていたメガネ少年もはははと乾いた笑いを浮かべた。
「ソフトクリーム!」
拳を掲げて少女が勇ましくコールした。
「アホかさっき泳ぎ始めたばっかだろ、」
――最低一時間後にまた来いバカヤロー、散った散ったと彼は少女を追い立てた。
「まじでか?!」
それでも少女はきゃっきゃと足取りも軽く、――こんどはあっち! 流れるやつ!! 少年と連れ立ってプールに戻っていった。
「……」
――はー、賑やかな声を見送って溜め息をついた彼に、
「本当にお父さんみたいですね」
傍で見ていた先生が言った。
「はっ?」
先生にそんな風に言われると、彼は途端に妙にこそばゆい感じがした。
「なんだか不思議なカンジだなあって」
先生は軽く髪を揺らした。アロハのひまわり柄まで一緒に笑ってるみたいに見えた。
「そんなん、フリだけなら誰だってできますよ」
ひまわりから目を逸らして、なげやりみたいに彼は言った。
「フリもやり通せば本物です」
真面目な声に先生が言った。
「はぁ……」
――そーかな、そういうモンだろーか、何も全力で否定することでなし、彼も頷くしかなかった。
それからきっちり一時間後、泳ぎ疲れて約束通りメシたかりに戻って来た連中の食欲は、ソフトから焼きそばからラーメンからピリ辛豚足から、とにかく売店のメニューにあるだけ、まるで遠慮というものを知らなかった。
底無し胃袋持ち約一名を含むガキどもに何があっても腹いっぱいメシ食わせるのがオヤの務めだって言うんなら、じょーだんじゃない、いますぐ辞めさして頂きますっ! レベルの、オマエらちっとは自重しろ!
(2)二日目
プールで散財した上に縁日でまでタカられちゃかなわねぇな、事前に警戒していたところ、今日はガキどもはダチとたむろって別行動、そんじゃまー、オトナ二人でしっぽりコース、……ってまぁ最初から期待してませんけど、あの人はしゃぐとガキ以下だから。
カキ氷でもさ、ブルーハワイとかなんでまたそーゆーアヤシイもんを好んで食しますかね、どー考えても氷いちごのがフツーにウマそうなのに。
(……。)
――頭の方から網を入れて進行方向を遮るのがコツですよ、アセチレンランプの下で首傾げてる子供の隣に座り込んで、金魚すくいの必殺テレパシーレクチャーやってる先生を眺めつつ、人込みの往来で黙々シャリシャリやってたら、――あーイカンイカン、ガキの頃、例のおじさんに連れられて縁日来てさー、――ねーねー叔父上ほら見て下さいって、真っ青になった舌出してきゃっきゃしている先生を受信しました。……ってやーめーてー、俺誰かさんと同類にはなりたくないからぁ、いやほんとまじカンベンっす、
「――、」
ガンガンする頭押さえてたら、――トントン、不意に肩を叩かれた。振り向いたら、いつの間に瞬間移動やら、ものすっげ嬉しそうな先生の顔があった。
「……」
――ねっ? って、お約束通り舌出して“ねっ”じゃないでしょうよォォ、先生俺の何コ上でしたっけェェ、
「楽しいですか?」
多少ぐったりしながら彼は訊ねた。
「楽しいですよ」
いつ来てもわくわくします、笑顔のまま先生は言った。残り少なくなった氷いちごの匙を止めて、彼は一つ息をついた。
「……叔父上と一緒じゃなくても?」
「……」
立ち止まった先生が黙ってこっちを見た。――あーあーついに言っちゃったよ、大人げねーなぁ俺も、突っ立って後ろ頭掻いてるところに、先生がずいと身を乗り出した。
「じゃーキスしましょうか?」
水滴の浮いた紙の器を胸に、彼を見据える先生の視線は揺らがない。
「……は?」
背中にじっとり汗が伝う、先生がふっと口元を緩めた。
「何言ってんだって思うでしょ?」
「はい?」
頭に手をやったまま彼は訊ねた。引き攣った彼の表情、先生が笑みを浮かべた。
「それと同じことですよ」
雑踏の中に爪先を翻して先生が先を行く。
驚いたように先生が言った、――なんででしょうねぇ、――さぁ苦労したからじゃないですか、とかなんとか、――はっイカンっ! 油断してたぞっ更衣室いんの俺だけじゃなかったっ! 訝る周囲の視線を避けて咄嗟に手のひらサイズのスマートフォンでダラダラくっちゃべってるフリしつつ、更衣室出て消毒槽の方に行きかけて、後ろを見ると先生もトテトテあとをついてくる。はたと立ち止まって彼は訊ねた。
「……先生、マジ水入るんすか?」
――だってさ、よく考えたらシュールだよなァ、オバケ(仮)が水泳って。
「えっ?」
顔を上げた先生が、
「――あっ」
思い出したように足を止めた。
「そうだった、水には入っちゃいけないんでした、」
「は?」
彼は眉を顰めた。先生はコツンと頭をぶつふりをした。
「なんか、触媒の作用起こしちゃうらしくて、こっちとアッチの世界繋がって扉開いてエライことなっちゃうからって」
「!!」
冷や汗かいて彼は拳を握り締めた、――先生! 頼んますよしっかりして下さいよ!! どんだけ周り巻き沿いにする気ですかうっかりにも程があるでしょうよォォ!!
「それじゃ私はあっちで見てますね、」
先生がプールサイドに行きかけた。
「……」
彼は消毒槽に浸かっていた片足を引いた。
「――やっぱ俺もやめときます」
「え?」
戻って来た彼に先生が首を傾けた。早々にタイルに腰を下ろすと、彼は天パの首筋を掻いた。
「なんか、クーラー当たりかビミョーに熱っぽいんすよ」
「……」
並んで隣に座った先生が言った。
「プール、止めといた方がよかったですね」
「いーんです」
いちごアロハの腕を伸ばして彼は言った
「どうせあいつらに、いっぺんは連れてけってわーわー言われてたし」
「……、」
くすりと笑った先生が彼の額に手を当てた。彼は振り向いた。
「ちょっとだけ冷たいでしょう?」
首を傾げて先生が言った。
(……。)
一方、ザバーっと潜水から上がってきたアルアル少女は、プールの中からそれを見ていた。
「ねーねーぱっつん、」
少年の海パンの紐を無造作に引いて少女が言った。
「アレ、銀ちゃんさっきから首ぐりんってやってお子様プールのほーばっかずーーっと見てるんだけどさー……」
――ママさん狙いなのかな? ……いんやまさかひょっとしてっ!?
戦慄に少女は己の肩を抱き、二つに結ったおだんごヘアを震わせた。
「そんな、考えすぎだよ、独り身が堪えて父性に目覚めたんじゃないの?」
――あれぐらいの子供がいてもぜんぜんおかしくないトシだしねー、正面のズレた海パンを直しつつ、メガネ少年がしみじみ言った。
「そうアルか?」
だがしかし、万が一にもヤツが父性でなく不正義に目覚めたのでアルならば過ちを犯す前にジーク!マイコー!!さんでりすとの名に懸けて断固正義の鉄槌を下さねばなるまい、悲壮感にも似た固い決意を持って少女はざばざば抜き手を切った。
「銀ちゃーーーん!!!」
リアル彩色チョコドーナッツ浮き輪を腰にパステルカラーのセパレーツ水着でプールサイドを駆けてきた少女が、ぼへーっと甲羅干ししていた彼に手のひらを突き出した。
「――ただし場合と状況によっては見逃してやるからその前にワイロ、」
「……は?」
何のこっちゃと彼は眉を顰めた。
(……。)
――てか正義って何? 一緒に上がって後ろからついてきていたメガネ少年もはははと乾いた笑いを浮かべた。
「ソフトクリーム!」
拳を掲げて少女が勇ましくコールした。
「アホかさっき泳ぎ始めたばっかだろ、」
――最低一時間後にまた来いバカヤロー、散った散ったと彼は少女を追い立てた。
「まじでか?!」
それでも少女はきゃっきゃと足取りも軽く、――こんどはあっち! 流れるやつ!! 少年と連れ立ってプールに戻っていった。
「……」
――はー、賑やかな声を見送って溜め息をついた彼に、
「本当にお父さんみたいですね」
傍で見ていた先生が言った。
「はっ?」
先生にそんな風に言われると、彼は途端に妙にこそばゆい感じがした。
「なんだか不思議なカンジだなあって」
先生は軽く髪を揺らした。アロハのひまわり柄まで一緒に笑ってるみたいに見えた。
「そんなん、フリだけなら誰だってできますよ」
ひまわりから目を逸らして、なげやりみたいに彼は言った。
「フリもやり通せば本物です」
真面目な声に先生が言った。
「はぁ……」
――そーかな、そういうモンだろーか、何も全力で否定することでなし、彼も頷くしかなかった。
それからきっちり一時間後、泳ぎ疲れて約束通りメシたかりに戻って来た連中の食欲は、ソフトから焼きそばからラーメンからピリ辛豚足から、とにかく売店のメニューにあるだけ、まるで遠慮というものを知らなかった。
底無し胃袋持ち約一名を含むガキどもに何があっても腹いっぱいメシ食わせるのがオヤの務めだって言うんなら、じょーだんじゃない、いますぐ辞めさして頂きますっ! レベルの、オマエらちっとは自重しろ!
(2)二日目
プールで散財した上に縁日でまでタカられちゃかなわねぇな、事前に警戒していたところ、今日はガキどもはダチとたむろって別行動、そんじゃまー、オトナ二人でしっぽりコース、……ってまぁ最初から期待してませんけど、あの人はしゃぐとガキ以下だから。
カキ氷でもさ、ブルーハワイとかなんでまたそーゆーアヤシイもんを好んで食しますかね、どー考えても氷いちごのがフツーにウマそうなのに。
(……。)
――頭の方から網を入れて進行方向を遮るのがコツですよ、アセチレンランプの下で首傾げてる子供の隣に座り込んで、金魚すくいの必殺テレパシーレクチャーやってる先生を眺めつつ、人込みの往来で黙々シャリシャリやってたら、――あーイカンイカン、ガキの頃、例のおじさんに連れられて縁日来てさー、――ねーねー叔父上ほら見て下さいって、真っ青になった舌出してきゃっきゃしている先生を受信しました。……ってやーめーてー、俺誰かさんと同類にはなりたくないからぁ、いやほんとまじカンベンっす、
「――、」
ガンガンする頭押さえてたら、――トントン、不意に肩を叩かれた。振り向いたら、いつの間に瞬間移動やら、ものすっげ嬉しそうな先生の顔があった。
「……」
――ねっ? って、お約束通り舌出して“ねっ”じゃないでしょうよォォ、先生俺の何コ上でしたっけェェ、
「楽しいですか?」
多少ぐったりしながら彼は訊ねた。
「楽しいですよ」
いつ来てもわくわくします、笑顔のまま先生は言った。残り少なくなった氷いちごの匙を止めて、彼は一つ息をついた。
「……叔父上と一緒じゃなくても?」
「……」
立ち止まった先生が黙ってこっちを見た。――あーあーついに言っちゃったよ、大人げねーなぁ俺も、突っ立って後ろ頭掻いてるところに、先生がずいと身を乗り出した。
「じゃーキスしましょうか?」
水滴の浮いた紙の器を胸に、彼を見据える先生の視線は揺らがない。
「……は?」
背中にじっとり汗が伝う、先生がふっと口元を緩めた。
「何言ってんだって思うでしょ?」
「はい?」
頭に手をやったまま彼は訊ねた。引き攣った彼の表情、先生が笑みを浮かべた。
「それと同じことですよ」
雑踏の中に爪先を翻して先生が先を行く。